対談

閉ざす小集団と、開く心

荒木優太×外山恒一 『サークル有害論』刊行記念対談vol.2
荒木優太×外山恒一

僕がやってきた運動は「ほっといてくれ」運動だけ

荒木 これはちょっと言葉を選ぶところですが、アイデンティ・ポリティクスを唱えている方々というのは、非常に強烈な被害者意識を持っていると思うんですよね。でも、多くのマジョリティは、マイノリティに対する加害の自覚がない。そして実際、そこまで差別している意識があるわけでもない。
 ただ、被害者意識を持ったマイノリティにとっては、まさにそれが許せないわけです。お前らが平凡にのほほんと暮らしてる、まさにそのこと自体が(無意識の慣習や振舞い、制度となって)俺たちを踏みつけているんだ! というのが、マイノリティ側の主張なわけです。
 かつて、外山さんは『政治活動入門』(百万年書房)の中で、政治を駆動させるのはやっぱり被害者意識なんだということをおっしゃっていました。にも拘らず、外山さんのいう政治はマイノリティ運動とは違うようにみえるのですが、そのあたりは?

外山 政治活動の初発の動機には正義感と被害者意識とがありますが、当事者意識という観点からも被害者意識に基づく政治活動のほうが正当だと僕は考えます。しかし被害者意識は、徹底的に洗練させる必要がある。洗練されていない被害者意識のことを俗に「被害者ヅラ」と言います。
 マイノリティが不愉快な目に遭うのは、少数派なんだから当たり前です。もちろん少数派には文句を言う権利がありますが、そうした文句に耳を傾けてくれる人もいれば、そうでない人もいる。それも当たり前です。しかし最近のマイノリティ運動は、すぐ法律を制定して、自分たちへの“配慮”を強要しますよね。そういう強権的な運動は反発されて当然でしょう。

荒木 私の理解ですと、そもそも目的としているところが違うのではないかという気がするわけです。マジョリティを変えるには、一本槍ではダメで、方法的洗練が必要なのはその通りでしょう。でも、そもそもマジョリティを変えようと思ってあれら言説を操っているのか。
むしろ、同じマイノリティの仲間内から、SNSで「いいね」ボタンを押してもらえたりする。そして、その「いいね」ボタンによって、自分が日常の中で受ける屈辱的な感情だとか、ある種の生きにくさが、ちょっと救われたような気がする。マジョリティを改心させるための戦略的言説というより、自己慰撫的な政治運動のようにみえるのです。

外山 単に仲間集めならいいんです。ただ、ポリコレ新法を次々と制定させるなよ、と。
「ほっといてくれ」的なマイノリティ運動なら僕は支持します。例えば同性愛者たちが独自のコミュニティを形成して、「私たちは勝手にやっていくんで、ほっといてください」ということであれば共感する。「ほっといてやれよ」という立場から支援するかもしれない。しかし「我々を理解しろ、配慮しろ」という傲慢な運動、まして「理解」や「配慮」を促進する法律を制定しろなんて運動には、僕はとことん敵対していくつもりです。
 僕のルーツである反学校運動も結局、「ほっといてくれ」運動ですからね。代替的な教育を受けさせろ、という運動ではなかった。最近の僕の「反嫌煙」も喫煙者迫害に対する「ほっといてくれ」運動だし、コロナ状況下で展開したマスク拒否運動もそうです。僕がやってきた運動は全部、「ほっといてくれ」運動なんです。

外山合宿での実践

荒木 外山さんが主宰されている外山合宿についてもぜひお尋ねしたい。外山合宿は、学生を中心として若い方々を外山さんのご自宅に呼んで、膨大な政治史的な知識を伝授していくというものですよね。そして、その合宿にかかる費用は、すべて外山さん持ちであると。なぜそんな慈善事業をやってらっしゃるのですか?

外山 善行を積んでいます(笑)。僕は2007年の都知事選以降も、国政選挙の時に街宣車で原発推進派の候補者に嫌がらせをするとか、人気維持の努力はしていて、常に一定数の若者が僕の身辺に出入りしていました。ところが僕らの若い頃と違って、ちょっと年上の先輩たちから“口伝”で最低限の知識を植えつけられるという回路があらゆる分野で今もうなくて、若い連中がひたすら無知蒙昧になっている。
 で、ファシズムって、共産主義とかアメリカ的価値とかの“普遍的正義”に反対する運動で、自らは何ら積極的に正義を打ち出さないんです。せいぜい“我々は仲間である”という感覚だけが基盤で、じゃあどういう奴が“仲間”なのかというと、正義とかではなくて、歴史観とか文脈を共有しているのが“仲間”ということになる。つまり無知な若者にとりあえず知識を注入しまくるという行為と、ファシズムとは相性がいい。
 それで2014年に、参加資格を現役学生に限定して、まずは一週間コースで「教養強化合宿」を始めてみた。僕は高校中退だし、学籍にはこだわってないんだが、限定しとかないとオッサンとか来ちゃうからさ。こっちは若い連中に悪い影響を与えたくてやってるんだ(笑)。
 内容的には、過去の左右の政治運動史や文化運動史の知識を、期間中に詰め込めるだけ詰め込むという。今では十日間コースで年に六回も開催してて、これを体験した学生・元学生たちのネットワークが、荒木さんの言うように、一種の「サークル」としてもうまいこと機能している感じも確かにあると思います。

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関連書籍

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プロフィール

荒木優太×外山恒一

荒木優太(あらき ゆうた)
1987年東京生まれ。在野研究者。専門は有島武郎。明治大学大学院文学研究科日本文学専攻博士前期課程修了。2015年、第59回群像新人評論賞優秀作を受賞。主な著書に、『これからのエリック・ホッファーのために』『無責任の新体系』『有島武郎』『転んでもいい主義のあゆみ』など。編著には「紀伊國屋じんぶん大賞2020 読者と選ぶ人文書ベスト30」三位の『在野研究ビギナーズ』がある。最新刊は『サークル有害論』(集英社新書)。

外山恒一(とやま こういち)
1970年生まれ。福岡を拠点とする革命家。思想的にはマルクス主義、アナキズムを経て、03年に獄中でファシズム転向。07年の東京都知事選に出馬し、過激な政見放送で一躍注目を浴びる。近年は「右でも左でもないただの過激派」として独自の活動を続けるかたわら、後進の育成や革命運動史の研究にも力を入れている。著書に『全共闘以後』『政治活動入門』、共著に『対論 1968』など。

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