対談

閉ざす小集団と、開く心

荒木優太×外山恒一 『サークル有害論』刊行記念対談vol.2
荒木優太×外山恒一

中心点を複数持ったサークル作り

荒木 今回私が本のなかで確認したのは、要するに、日本の思想史のなかでは閉ざされたサークルよりも開かれたサークルのほうがよいといわれている、ということでした。政治利用するときでさえね。
 ただ、そうした流れに対して、むしろわれわれが考えるべきは、サークル(円)が歪んでいるかどうかという論点だったのではないか、と。真円から楕円へ、と本のなかでは表現しましたが、ポイントは二つあります。
 一つは閉じることを依然評価すること。挑発的にいえば、ホモソーシャルな空間を擁護したいと思いました。もう一つは、楕円とは中心点が二つからなる作図によって描かれるということ。つまり、どんな主張であれ、やっぱり一人のリーダーが絶対であるというふうに過信してしまうところに、サークルなり共同体なりの害が発生してるんじゃないかと考えたわけです。
 そういう意味で、ジャニーズはいま性加害の件でなにかと話題ですが、チームの作り方が上手いですよね。SMAPだったらリーダーである中居正広と花形の木村拓哉が分かれている。嵐ならば花のある松潤がリーダーではなくて大野くんになる、みたいなね。

外山 たしかに「だめ連」にも、ぺぺ長谷川、神長恒一、究極Q太郎といった複数のリーダーがいましたね。しかも「だめ」を自称しているダメな人たちなのであって、絶対的なカリスマ的指導者であるはずもない(笑)。「素人の乱」も、松本哉がリーダーだと誤解されてるけど、もともと山下陽光というもう一人のリーダーがいた。
 うちの場合はどうか。まぁ、外山のワンマン体制という側面は強い。でも実は山本桜子というのがいて、あれはあれで強烈なキャラなんで、彼女の存在によって僕のワンマン体制も多少中和されているんじゃないかな。

互いに在野研究者として

荒木 私がホモソーシャルを擁護したいのは、なにかしら閉ざされているサークルのほうが、しっかりと話ができるという実感があったからです。
 たとえば、もしここにカメラがあって、その動画が全世界に生配信されていたら、われわれの言葉遣いは現状のものとは違ってくるでしょう。失言に気を付けたり、逆にパフォーマンスに特化したりしてね。しかし、そういう外からの視線を切断しているがために、いまこうしてざっくばらんな本音トークができているわけです。つまり、空間が閉ざされているからこそ、そこに参加する人々の心が開くということがある。閉じるから開くという逆説がある。

外山 柄谷行人が“中間団体”の重要性を説いていました。労組とか町内会とか宗教団体とか生協とかの“中間団体”も、必ずしも外に開かれたものではない。で、社会全体と諸個人の中間にそういう団体がたくさんあることが社会を活性化していくんだ、と。つまり荒木さんのおっしゃる、サークルというのは必ずしも外に開かれてなくてもいいというのは、僕もその通りだと思いますよ。

荒木 「サークル」といったときに、多くの人々が想像するのは、やはり大学のサークルですよね。でも、大学サークルというものは年々不自由になってきている。東大なんかは、男女比のクオータ制を受け入れなければならなくなっていると聞きます。これは象徴的な一つの例にすぎませんが、しかし全体的にはこういうコントロールを強めていく傾向は避けられないでしょう。

外山 いや、もう大学なんて何もできないですよ。たばこは吸えない。ビラは貼れない。怪しい奴はうろついてない。そんなところで、何ができるんですか。
 だから僕は、せっかく大学に入ったのに何も面白いことがない、と途方に暮れている学生たちを合宿に勧誘しているわけです。参加者はたいてい、それぞれ大学では孤独に苛まれています。今の大学で、真面目な問題意識を共有できる友達なんか、そうそう作れない。
 ところが、そういう学生が、うちの合宿に参加するといきなり友達がわんさかできる。合宿自体は十日間ですが、そこで形成された人間関係は合宿修了後も続くし、OB・OGネットワークもすでにあって、インカレ的なサークルとしてそれらが機能しています。

荒木 なるほど。大学には、あまり期待してもしょうがないということですかね。

外山 合宿参加者の感想ツイートにも、「難しい本を読んでいる同世代の友人たちと威嚇しあって勉学に励むキャンパスライフを夢見て大学に入り、同級生とほぼ仲良くできずに4年間が過ぎたが、外山合宿に行ったら急にいっぱいそういう友達ができた」というのがありました。そもそも例の“68年”以来、大学そのものに存在意味なんか全然ないんです。
 荒木さんの新刊のテーマである「サークル」論も、もちろん僕にとって他人事ではありませんが、それ以上に僕が荒木さんに親近感を持つのは、大学に籍を置かない「在野研究者」である、という側面にあります。

荒木 あえて名づければ、外山恒一とは稀代の在野歴史家である、と。『全共闘以後』(イースト・プレス)という大きな仕事もそういう文脈で読むと面白いですね。

撮影/須田卓馬
構成/星飛雄馬

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関連書籍

サークル有害論 なぜ小集団は毒されるのか

プロフィール

荒木優太×外山恒一

荒木優太(あらき ゆうた)
1987年東京生まれ。在野研究者。専門は有島武郎。明治大学大学院文学研究科日本文学専攻博士前期課程修了。2015年、第59回群像新人評論賞優秀作を受賞。主な著書に、『これからのエリック・ホッファーのために』『無責任の新体系』『有島武郎』『転んでもいい主義のあゆみ』など。編著には「紀伊國屋じんぶん大賞2020 読者と選ぶ人文書ベスト30」三位の『在野研究ビギナーズ』がある。最新刊は『サークル有害論』(集英社新書)。

外山恒一(とやま こういち)
1970年生まれ。福岡を拠点とする革命家。思想的にはマルクス主義、アナキズムを経て、03年に獄中でファシズム転向。07年の東京都知事選に出馬し、過激な政見放送で一躍注目を浴びる。近年は「右でも左でもないただの過激派」として独自の活動を続けるかたわら、後進の育成や革命運動史の研究にも力を入れている。著書に『全共闘以後』『政治活動入門』、共著に『対論 1968』など。

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