著者インタビュー

史上最強・最大・最富の組織「テンプル騎士団」の謎

佐藤賢一

──なるほど、現代のネットワークは発達していると同時に誰でもアクセス可能です。テンプル騎士団は、自分たちで整備したネットワークをほぼ独占していたのでしょう。そして、本書に書かれているように、騎士修道院としての本業以外にも貿易・金融にまで進出。農場経営、さらには食肉販売までやっていたというのには驚かされましたが、王室に融資するほどの資金力を持ったことも納得できます。

 

佐藤 ネットワークを持つことは当然、情報を迅速に入手することにつながります。現代で言う諜報活動もおこなっていたはずですが、残念ながら、そのことを示す資料は残っていません。しかし、特に東方では、たとえばエルサレムの王家には相当に取り入っていたと考えられるし、そこからビジネス、蓄財につながる有益な情報を得て操作していたとしても驚くことではないでしょう。

 テンプル騎士団と同時代に設立され、一緒に十字軍にも参加した聖ヨハネ騎士団という組織があります。領地の面積で比べれば、テンプル騎士団と同規模と言っていいでしょう。しかし、テンプル騎士団が滅ぼされたのちも聖ヨハネ騎士団は存続しました。何が違ったのか。なぜ、フィリップ4世はテンプル騎士団だけを叩いたのか?

 ひとつには、聖ヨハネ騎士団は金融には手を出さなかったこともあります。また、聖ヨハネ騎士団はグローバルな組織として国家よりも上位の存在感を示すことには、はやい段階で興味を持たなくなっていた点も挙げられるでしょう。彼らは、はじめはロードス島で、のちにマルタ島に移って、そこを自分たちの国とするような方向性を選んだのです。

テンプル騎士団の歴史は200年に満たないものですが、その間に23人の総長が登場します。私が個人的にもっとも魅かれるのは、ロベール・ド・クラオンという第2代総長。彼の時代にテンプル騎士団の経済的成功の基盤が築かれました。同時に、この組織が持つ特殊性・超然性の色彩が決定したと言えるでしょう。

──騎士団としての本質、戦闘集団としての強さはどうだったのでしょうか?

 

佐藤 これはもう、圧倒的というか。そもそも、それまで諸国の君主が率いていた軍隊、つまり封建軍とは完全に異質の戦闘集団でした。

封建軍というのは、合戦の度ごとに日数を決めて、領内の有力者から兵力を提供させて形成されるもの。つまり、約束の日数以内に勝敗が決しなければ君主は与える褒賞を追加しなければならないし、それを拒めば兵士たちは戦場をあとにします。さらには敵側に寝返ることも、めずらしいことではありませんでした。

 それに対してテンプル騎士団は、そもそも国のために戦っているのではない。聖地奪還のために組織されたオールタイムの騎士たちで、神のために戦うわけですから指揮命令系統も絶対でした。ただし、彼らが戦っていた当時のイスラム勢力というのは、科学技術の面でもヨーロッパよりすぐれていた。そのため、従来の封建軍と比べれば圧倒的に強かったテンプル騎士団でも、東方で上官の命令に従って最後まで戦った結果、数百人の部隊が全滅する事態もしばしば起こりました。

しかし、十字軍遠征でイスラム軍と戦って死ねば、殉教という名誉を得られるわけですから。それまでの封建軍とは、そもそもの戦う姿勢が違っていたわけです。

 

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プロフィール

佐藤賢一
一九六八年山形県生まれ、山形大学教育学部卒業後、東北大学大学院文学研究科で西洋史学を専攻。九三年『ジャガーになった男』で第六回小説すばる新人賞、九九年『王妃の離婚』で第一二一回直木賞、二〇一四年に『小説フランス革命』(全一二巻)で第六八回毎日出版文化賞特別賞、二〇年『ナポレオン』で司馬遼太郎賞、二三年『チャンバラ』で中央公論文芸賞を受賞。『双頭の鷲』『オクシタニア』『褐色の文豪』『ハンニバル戦争』『英仏百年戦争』『フランス革命の肖像』『テンプル騎士団』『王の綽名』『よくわかる一神教 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教から世界史をみる』など著書多数。
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