──それほどの資金力、軍事的強さを誇ったテンプル騎士団なのに、最期はあっけない印象を受けます。フィリップ4世が彼らに向けた異端疑惑も、現代ならばタブロイド紙のネタにもならないような、単なる中傷・言いがかりのレベルですよね。
佐藤 まったくです。そもそも異端疑惑に対する審議というのはバチカンの専権事項で、国王にその権限はありません。しかも、先に述べたようにテンプル騎士団は修道会であり、バチカン直属の組織です。フィリップ4世がテンプル騎士団の幹部をはじめ騎士たちを一斉検挙しても、異端の嫌疑を裁くことはできない。それが道理であったはずです。
また、一斉検挙当日のテンプル騎士団の対応を見ても、油断どころか、そもそもフィリップ4世に何ができるのかと自分たちに対する圧力とすら考えていなかった印象を受けます。パリ市内で自治権を持っていた自分たちの城塞に、逮捕のための武装集団が乗り込んできたのは1307年10月13日の金曜日未明のことですが、城内には数百名の戦闘員がいました。なのに、戦うこともなく連行されたのは、やはり国王・フィリップ4世の力を見くびっていたからでしょう。
さらに、このとき一緒に逮捕されたテンプル騎士団の第23代総長ジャック・ドゥ・モレーは、事前にフィリップ4世の企てを知っていた可能性が高いと思われます。しかし、彼も抵抗することなく連行されていきます。これも「自分たちはグローバルな権力機構であるバチカン直属組織だ、ローカルな権力者に過ぎない国王に何ができるのか」という自信の表れでしょう。
しかし、当時のローマ教皇・クレメンス5世は、異端審議の裁判権を巡る争いで、結果的にフィリップ4世に屈してしまう。それは、つい4年前に自分の前々任の教皇・ボニファキウス8世が、やはりフィリップ4世と対立した際、別荘に滞在中のところを1,600人の兵士に襲撃・拉致され、釈放されたものの程なく崩御したのを知っていたからです。
次に教皇となったベネディクトゥス11世も、フィリップ4世との抗争の最中に急死しています。急死は、ベネディクトゥス11世がフィリップ4世を破門するとした期限の前日。毒殺説が声高に唱えられていたので、クレメンス5世が自分の命も奪われると考えるのも当然でしょう。
東ローマ帝国の皇帝が土下座するほどの勢いで謝罪し、教皇に破門の許しを乞うた「カノッサの屈辱」から230年。君主が教皇を超える存在となったのです。そして、テンプル騎士団は、この歴史の節目で消滅したと言えるでしょう。
──グローバルな権力機構であったバチカンは、さらに宗教改革を経て弱体化し、いっぽうで国家が世界を構成する単位になっていく。そう考えるとテンプル騎士団の逮捕劇は、その後のナポレオン1世による国民国家の成立へと向かう、新たな世界秩序の露払いとなった気がしてきます。
佐藤 そう言っていいと思います。いま、グローバリズムということが盛んに言われるようになって、新自由主義経済で国家の役割が縮小していっている時代ですが、これとまったく逆ベクトルの現象がテンプル騎士団逮捕劇の背景で起きていたことになります。
──国民国家の時代をナポレオン1世の治世から新自由主義が台頭する1980年前後のことと規定すれば150年余のことですが、その間になにが起きたかと言えば2度の世界大戦と米ソの冷戦です。諸国家が2つの陣営に分かれて殺し合ったり対立したわけで、あまり良い時代ではなかった気がします。
佐藤 しかし、では現代にテンプル騎士団のようなスーパー・ナショナリズムの存在が求められるかといえば、私は否定的です。本書でも「テンプル騎士団は嫌われる」という章を設けましたが、嫌われた理由は彼ら自身の振舞いが次第に傲慢になっていったからです。
そうやって権力の座にある者が堕落し、腐敗していくのは、グローバリズムであってもナショナリズムであっても変わらないでしょう。
ただ、グローバリズム・新自由主義が声高に言われる現代でもまだ、世界は国家単位で動いているわけで、実際に私たちは国が定めた法律に従って生活していますよね。自分が逮捕されるときに「フンッ! やれるものなら、やってみろ」なんて考えることは想像できない。教皇に破門されそうになったからといって、君主が謝罪に行くこともナンセンス。しかし、現代でナンセンスと考えられていることが実際にはナンセンスでなく、逆に現代では前提として存在している国家のほうが脆く危ういものだった。そんな時代があったこと、そして、その時代性を証明するようにテンプル騎士団が存在したことを書きたかった。現代人の価値観からは、もっとも想像しにくい存在が彼ら、テンプル騎士団なのだと思います。
文/田中茂朗
撮影/フルフォード海