──織田信長の「比叡山焼き討ち」も、僧兵まで擁する比叡山の力を信長が怖れたからだと思いますが、フィリップ4世がテンプル騎士団に対して抱いたのも、同じような感情だったのでしょうか?
佐藤 そうだと思います。実力組織を持ち、さらに宗教的権威もある。まさに国を統治する君主としては“目の上のタンコブ”と言えるでしょう。それどころか、テンプル騎士団の場合はフランス王室に対しても融資をおこなうなど、経済面でも支配的立場にあったわけですから。フィリップ4世にとって看過できない存在であったことは間違いありません。
では、なぜテンプル騎士団が王室も上回るほどの力を持ち得たのか。その背景に存在しているのはバチカン(ローマ教皇庁)です。神聖ローマ帝国の皇帝・ハインリヒ4世が教皇と対立して破門され、最後には教皇に謝罪した「カノッサの屈辱」は1077年の出来事ですが、当時の教皇が国王も皇帝も敵わぬ権威と力を誇っていたことを示すエピソードと言えるでしょう。バチカンは超国家のグローバルな権力機構だったわけです。
そのグローバル組織であるバチカンが「聖地・エルサレムの奪還」を掲げて1095年に始めたのが、いわゆる「十字軍」の遠征です。バチカンが掲げた十字の御旗に諸国の王やその軍隊も参加し、テンプル騎士団はこの熱狂を背景として誕生したと言えます。
さらに、彼らは修道会としても認可され、バチカン直属の組織となります。つまり、テンプル騎士団は、その成立当時からグローバルな存在であったと言えるでしょう。そして、最初に言われたように、現代のグローバル企業にとって交通網・通信網は成長のために不可欠な要素ですが、テンプル騎士団は自分たちでこれらのネットワークを整備していったのです。
第1回十字軍がイスラム勢力から聖地・エルサレムを奪還すると、西方のヨーロッパからクリスチャンたちが聖地巡礼に訪れるようになりますが、エルサレムまでの道程には山賊も潜み、危険が多かった。テンプル騎士団は巡礼の旅に護衛として随行し、まずは西方から東方へのルートに関してたしかな知見を持つようになり、その後はさらにヨーロッパ全域に「テンプル街道」と呼ばれる交通網を張り巡らしていったのです。