──主人公・安冨さんを取り巻く、れいわ新選組、そして山本太郎代表に対する印象は?
原 山本太郎という人に対しては、国会で一人で牛歩戦術をやったり、過激な言葉で質問している姿を見ていて、すごいなと思っていました。ああいう所で他の議員や、特に安倍総理を追及するって、できるようで、できないことだと思うので。そういう意味じゃ、よう頑張ってる人だなとは見ていましたね。
その山本太郎さんを、安冨さんを撮ることによって、すぐ目の前で見られるわけだから、興味としては非常に強いものがありました。
──映画の中でも大きな存在として描かれている?
原 ええ。安冨さんが主人公であることは確かですが、れいわ新選組には10人の立候補者がいるわけだからね。映画ってやっぱり、主人公だけじゃ面白い映画になりません。魅力的な脇役っていうのが必要なんです。
そういう意味で、安冨さんを撮ろうと思った時点で、これはもう全員を撮ることになるなと、イメージとしては直結していました。その中でも、山本太郎という人が準主役的に、映画の中で非常に比重が大きくなるとは思っていました。
──10人全員を撮影するということは、山本代表に一応話を通したんですか?
原 撮影を始めるとき、私から「山本さんに仁義を切っておきたい」と安冨さんに言ったら、「じゃあ今、電話しましょう」って、すぐに電話をかけてくれたんです。そしたらすぐに通じて、経緯を説明したうえで「よろしくどうぞ」と。
加えて、「ただ1つだけお願いがあります。『あれ撮っちゃいけない、これ撮っちゃいけない』ということだけは無しにしていただきたい」とお願いしました。すると、山本さんが「主人公は、安冨さんでしょ? 自分たちを撮らないんでしょ?」って意味合いのこと聞いてきたので、私は「いえいえ、そんなことはありません」と。群像劇って言葉を使いましたけど「他の候補者も、可能な限り撮りたいと思ってます」と、即座に答えたんです。
ただ、急遽始めた撮影なのでお金はないし、スタッフも少ない。他の候補者の現場にも行って撮ることは物理的にほとんど不可能でした。それも撮れれば、物語としてもっと膨らみが出た気がしなくもないんだけど、それを言っても仕方ないですよね。
──今回の参院選、山本代表の戦い方はニュースなどで“劇場型”とも表現されていました。間近で見ていて、いかがでしたか?
原 最初、山本さんは公示日に向けて10人の候補者を日替わりで発表していったんですよ。そうやって、次から次へ出していくやり方をカメラを回しながら見ていて、ふと思ったのは「これ、映画を作るノリでやってるのかな」って。
つまり山本太郎が監督・主演。でも、主役だけでは映画になりませんよね。脇役を魅力的に描いてこそ主役が光る。そのための演出じゃないかと思ったんです。あの人は芸能界が長いでしょう。映画で役者をどう描けば魅力的に映るかっていうことを知っていてやっていたんじゃないかと。
──「選挙戦を通じて、一本の映画を作る」という意味では原さんと共通していたかもしれないと?
原 はい。私もドキュメンタリーはエンターテインメントでなければならないと思っているので、その“エンタメ精神”は共有できるなと思ってるんです。れいわを撮っていて、「ああ、面白いな」と思う最大のポイントはそこです。
選挙が終わった後も、山本さんは全国をまわって演説をしているでしょう。そういうやり方含めて、やっぱりエンターテインメントとしての面白さを狙っての演出に違いないと思うんですよね。
──れいわの候補者たちの演説はどうでしたか?
原 有権者の人たちが、かなり一生懸命聞き入っていたのが印象的です。普通、候補者の話ってこんなに聞き入るのかしらって思うくらい。私自身、これまでの人生でわざわざ演説を聞きに行ったことがなかったものですから、素直に、へぇーっていう驚きがありました。
私もカメラを回しながらかなり耳を傾けていました。なんだか、とても心地よかったんです。言葉が届くというか「そうだ、そうだ」「本当に良いこと言うな」と思いながら、自然に笑顔が湧いてくるのがわかりました。それぞれの言葉が、すとんと全部、胸に落ちましたもん。
──主人公である安冨歩さんの選挙戦はどうでしたか?
原:安冨さんは、街宣車に乗って、白い手袋して窓から有権者に手を振って、自分の名前を連呼するという既成の方法を軽蔑しているんですね。そういうやり方だと有権者の気持ちに届かないと。いくら名前を連呼しても、有権者が自ら投票に動かないと政治は変わらないという考えを持っているんです。
安冨さんは選挙活動で音楽を多用するんですが、有権者の中には案外、待ち構えていたかのように、それにノリたいって人が何人もいるんです。一緒に歌を歌いましょうって言ったらすぐ歌う人とか、一緒に踊ろうって呼び掛けるとすぐ体を動かす人とか。日本人の持ってる、自己を表に出すのを抑える傾向があまりない人が結構いるんだなって、行く先々で感じました。ただ、それがもっと大きなエネルギーになって「もっと出していいんだ」ってならないと、日本は変わらないとも思います。
──日本を変えるほどの大きなエネルギーになるには、まだまだ先は長い?
原 そうですね。候補者は演説で有権者たちをアジテーションするわけですが、そのアジテーションに呼応して「よし、じゃあ自分を出しちゃえ」って香港みたいに巨大なエネルギーになるには、まだまだ日本人は場慣れしてないっていうか、未熟だなって思いますね。
──候補者にそこまで心を開くのは、結構ハードルが高いことのように感じますね。
原:演説において有権者の心を開かせるためには、まず候補者が演説の最中に話を聞かなければならないんですね。ところが日本の場合、演説が終わった後で、個別に「先生、ちょっと聞いてください」というパターンが多い。ところが山本さんは演説のときに「みなさんから1人30秒で質問してください。それに30秒で答えます」という方法をとっていました。それを受けて、すぐ質問が出てきてはいましたが、そのやりとりで全体がわーっと盛り上がるようにはなってはいませんでしたね。
プロフィール
1945年、山口県生まれ。東京綜合写真専門学校中退。障害児の問題に興味を抱き、世田谷区の光明養護学校の介助員となり、1969年に障害児たちをテーマにした写真展「馬鹿にすんな!」を開催。
田原総一朗氏の著書に影響を受け、田原氏の撮影現場に出入りするうちに、ドキュメンタリーに出演。『極私的エロス 恋歌1974』で監督として高い評価を得、『ゆきゆきて、神軍』(1987年)でベルリン国際映画祭・カリガリ映画賞、パリ国際ドキュメンタリー映画賞受賞。以後、『全身小説家』(1994年)などを発表し、2018年に『ニッポン国VS泉南石綿村』を公開。この11月、7月の参議院選挙でれいわ新選組を追ったドキュメンタリー『れいわ一揆』が公開予定。