──安冨さんと山本さんの他に、印象的な候補者は?
原 元派遣労働者でシングルマザーの渡辺照子さんは、論理の力で語る安冨さんとは対象的で、情念で訴えるっていう性質が一番強かったですね。それはもう、恐ろしいくらいに。彼女自身、これまでフラストレーションを抱えてきて、「やっと思っていたことが言える」という気持ちがあったんでしょうけど、演説を重ねるうちに彼女自身が高揚してきて、言葉の調子がだんだん激烈になっていくんですよね。見ていて、それがすごく面白かった。
撮れたものは激しいシーンになるわけですが、それが映画の面白さだったり、人間を描けているということになるのかは、また別の問題です。あまり描くと観客が逆に離れていくかも、とも思いました。
──れいわ新選組の候補者のうち、選挙に出たことがあるのは安冨さんと、難病のASL患者である舩後靖彦さん、経済思想家の大西恒樹さんのみで、あとはみなさん選挙においては素人だったわけですが。
原 そうですね。特に大西さんは、自分は政治家なんだ、政治活動をしているんだっていう自覚が一番はっきりしているように見えました。一方で、他の人には良い意味でアマチュア的な純粋性や正義感を感じましたね。そういう考え方も面白いと思うので、候補者それぞれが持っている良い話を映画に入れるために、今一人ずつインタビューを撮っているところです。
──初めて選挙を題材にドキュメンタリーを撮られたわけですが、これまでの題材と比べてどうでしたか?
原 実は今回、カメラを回していてとても気持ちが良かったんですよね。ドキュメンタリーを撮っていると大概、撮り手である私たちと主人公との間で葛藤が生じるんですよ。俗っぽく言えば、人間にはプラスの面とマイナスの面がありますよね。私はマイナスの面も含めて描いてこそ、その人の魅力が描けるという考え方を持っています。でも、マイナスの面を描くとなると、相手がすんなり「どうぞ、撮ってください」というふうにはいかんでしょう。
ところが今回、登場人物のマイナスの面も含めて描くという発想は最初からないんです。だって、選挙戦を撮るというのが与えられた条件でしょ。つまり演説の場でどんな言葉を発して、それがどのように有権者に届いて、心を動かすことができるんだろうというところに焦点を合わせるのが最初の条件なんです。そこが今まで私が描いてきた主人公との関係とは明らかに違う、実験みたいな作品だと思っています。
──昨年公開された、アスベスト国賠訴訟を描いた『ニッポン国VS泉南石綿村』や、今回の『れいわ一揆』もそうですが、これまで「権力に怒る人」を多く描いていますよね。そういう人にカメラを向ける中で、原さん自身がそういう運動に参加したい気持ちになることはないのでしょうか?
原 実は、いつも思うんですよ。最初の『さようならCP』を撮っているときなんかは、映画を作るよりも活動家として生きようかしらって何度も思ったぐらいで。すぐノリやすいタイプなんだと思いますけど。活動家としてやったほうが、映画なんかより遥かに自由に動けるし、そうしないと世の中は何も変わらないんじゃないかって思う瞬間が、それぞれの被写体を撮っているときにはあるんですよね。
──撮影中に、運動か撮影かという、迷いみたいなものがあると。
原:運動をするというのは、映画を作るという枠を飛び越えるってこと。でもドキュメンタリーというのは、そうしたいと思う気持ちをぐっと抑えて、そのエネルギーでカメラを回し続ける作業だろうと思っています。
──今回の『れいわ一揆』で、意識してカメラを向けたのはどんなところですか?
原 うーん、自分は何を狙って撮ろうとしたのかなって今でも考えるんですけど、一つ言えるのは、選挙はほとんどが演説、つまり言葉でしょう。だから、今回は言葉というものを捉える映画なんだという覚悟みたいなものはありました。
映画における言葉には、「説明台詞」と「感情台詞」という2つの意味があると習うんですよ。演説で発せられる言葉にもやはり、2つの要素があります。ひとつは、安冨さんが候補者の中で顕著だと思いますけど、非常に冷静に“論理の力”で有権者の人に語り掛ける。一方で、渡辺照子さんの演説はさっき話したように、ほとんど“情念”なんですよね。
その、2つの要素を持つ言葉によって、有権者の人がどんなふうに心を動かされていくかを捉えようと。理屈っぽく言うようですが、そんなことを考えながら、ずっとカメラを回していた気がしているんですよね。
──言葉というのは、これまでの映画作りの中でも重要なポイントなのでしょうか?
原 言葉は、止むを得ず撮っていると言ったほうが正しいかもしれません。死ぬまでに1本くらいは情念やアクションだけで成立する、言葉の無いドキュメンタリーを作ってみたいと思っているんですが、これがなかなか難しい。映画作りのプロセスの中で、やっぱりインタビューをして言葉で聞かないと、登場人物の思いを伝えきれなくなってくるんです。新藤兼人監督の『裸の島』は映画史上の古典っていわれている傑作で、台詞がない映画なんですが、それが理想としてずっとあります。
──『れいわ一揆』は11月2日の東京国際映画祭での公開が決まり、期待の声も聞こえてきているのでは?
原 そうですね。思っていたより、はるかに反応が大きいです。れいわの人気ってすごいもんだなと思います。れいわファンの人たちが観客のコアの部分になるとは思いますが、もちろん映画であり、エンターテインメントなんで、果たして映画ファンの人たちが面白いと思ってくれるかどうか。それは東京国際映画祭で上映されて初めて答えが出ますから。
取材・文/鴨居理子 撮影/市村円香
プロフィール
1945年、山口県生まれ。東京綜合写真専門学校中退。障害児の問題に興味を抱き、世田谷区の光明養護学校の介助員となり、1969年に障害児たちをテーマにした写真展「馬鹿にすんな!」を開催。
田原総一朗氏の著書に影響を受け、田原氏の撮影現場に出入りするうちに、ドキュメンタリーに出演。『極私的エロス 恋歌1974』で監督として高い評価を得、『ゆきゆきて、神軍』(1987年)でベルリン国際映画祭・カリガリ映画賞、パリ国際ドキュメンタリー映画賞受賞。以後、『全身小説家』(1994年)などを発表し、2018年に『ニッポン国VS泉南石綿村』を公開。この11月、7月の参議院選挙でれいわ新選組を追ったドキュメンタリー『れいわ一揆』が公開予定。