中動態という耳慣れない言葉は、古典ギリシア語、ラテン語などに登場する、能動態でも受動態でもない動詞の態を指す文法用語だそうだ。遠い昔、インド=ヨーロッパ語族の広い範囲で使われていた中動態は、それから派生した受動態にとって代わられ、現在では使われなくなった。
中動態が失われたことによって、私たちの思考にどのような影響がもたらされたのか。本書はこの失われた「中動態という古名」の謎解きから始まる。
本書の前半は、使われなくなった言葉の定義を求めて、いったん古代ギリシアのアリストテレスにさかのぼり、そこから現代の言語学者エミール・バンヴェニストまで、西欧の文法理論の系譜をたどりなおす。
文法論には堅苦しい印象もあるが、様々な説を検討する著者の語り口が、何やらミステリー小説のアリバイ崩しか目撃者捜しのようで面白く、予備知識などなくても頭に入ってくる。そして読み進めるうちにバンヴェニストとジャック・デリダとの論争という前半の山場に連れてこられる。
後半は、意志と自由をめぐって、中動態の観点からハンナ・アレント、ハイデッガー、ドゥルーズ、スピノザの哲学が読み直される。いずれも難解な思想だが、著者に導かれるがままに中動態を念頭におくと、哲学者たちが何を問題にしていたのかが目からうろこが落ちるようにわかる。さらに私たちがふだん選択の自由だの自己責任だのと口にするときに前提としている「意志」についても、再考を促される。國分氏は言う。
「この本を書くきっかけとなったのはアルコール依存をもつ人たちとの出会いでした。依存症は本人の意志があればやめられるというものではない。意志や自発性を求められて苦しむ人たちもいるのです」
最終章は『白鯨』で有名なハーマン・メルヴィルの小説『ビリー・バッド』を題材に、意志と法と自由の問題が論じられる。この章は、ビリーの犯罪を裁く一種の法廷ドラマについて、それを論じるバーバラ・ジョンソンの脱構築的批評とアレントの読解を対決させる二重の法廷ドラマという凝った趣向である。
「思想史的なコンテクストがわかるとさらに面白くなるような、いろいろな仕掛けをしています。僕は挑発的人間なのでね(笑)」
プロフィール
哲学者。1974年、千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了。フランスではパリ第10大学哲学科DEA課程、社会科学高等研究院言語科学科DEA課程も修了している。『スピノザの方法』(みすず書房、2011年)により博士(学術)。高崎経済大学経済学部講師、同大学准教授を経て、2018年より東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。主著に『暇と退屈の倫理学』(太田出版)、『ドゥルーズの哲学原理』(岩波書店)など。『中動態の世界――意志と責任の考古学』(医学書院)により第16回小林秀雄賞および紀伊國屋じんぶん大賞2018を受賞。