――ネット、あるいはSNSと栗城さんとの関係についてはどのようにご覧になりましたか?
河野 リアルタイムで追っていたわけではないので、あくまでも後から調べた範囲ですけれども、栗城さんの場合には少しわかりづらい面があったと思います。
栗城さん自身は傷ついた素振りを外に全く見せませんでした。中傷されたり批判を受けたりしても、それに対して彼も反論していました。しかし、登山や動画配信の失敗を繰り返すようになった栗城さんに対する、ネットやSNSでの一時期の叩き方というのは、ものすごかった。傍から見ている僕が怖くなるくらいでしたから。
そのうえで、何よりも彼はネット自体が最後まで好きだった。だから「ネットの被害者」という風には、少なくともメディアは報じなかったですよね。ましてやテレビ界では誰も口にしなかった。
――ネットやSNSについて、河野さんご自身はどのようにお考えですか?
河野 嘘と真(まこと)が共存する世界というのか、虚実もさまざまな感情も増幅し合っている世界だという認識をちゃんと持って付き合わないと、人の命にかかわる問題を生む恐ろしいシステムなんだよ、ということは言いたいですね。そのことは、本書を通して伝えたかったメッセージです。
表現の仕方が難しいんですが、ネットのやり取りは実体がともなわないというか、いったい誰と話しているのか、誰を叩いているのかわからなくなってしまう。「なぜ俺はこいつに怒っているんだ?」ということさえも、書きながらわからなくなってしまうこともあると思うんですよね。ネットという場は、恐らくそういう魔力を持っているんだろうなと思います。
もちろん、便利だということもわかります。2000年のことですけど、スウェーデンのド田舎の町を取材したことがあるんですね。人口が500人ぐらいの小さな町だったんですが、そこでネットで音楽を配信している若者を取材して。
彼はそれで収入を得ていたし、ネット一本でこんなド田舎にいても世界と繋がることができるんだ、って語ってくれて。あっ、これはすごいなあ、こういうネットの使い方ができるんだったら素晴らしいなと思った記憶があるんです。
――まるでYouTuberのような、時代の先駆けとなるミュージシャンがいたんですね。
河野 だから本当にもう使い道次第だと思いますし、今の時代、必需品には違いない。すごく古くさい言い方に聞こえちゃいますけど、この便利な「文明の利器」とどう付き合っていくかというのを、本当に自分の頭で考えなきゃいけないんだろうな、と思いますね。
最後は自分で考えないとどうしようもない。ネットの世界にちょっと足を踏み入れると、色々な人の意見や、様々な言葉、優しい言葉、激しい言葉、いやらしい言葉、そういう言葉の洪水で溺れそうになる。その中でよりどころになるのは、最後には自分自身。だから実は、僕がネットからイメージするのは“孤独”というキーワードなんです。
『デス・ゾーン』では栗城さんの人生を自分なりに描きました。栗城さんをテレビや著書で知っていた方は、それまで彼に抱いていたイメージが変わるかもしれません。栗城さんを知らなかった方にとっては、人は威勢の良いことを言っていても、突き詰めると弱くて脆いところがあるんだな、などと人間について改めて考えるきっかけになるかもしれない。
どのように感じていただいても自由ですが、とにかく考えてほしいというのが願いです。栗城さんの生き方に賛同する人がいても良いと思いますし、逆に彼の生き方にあまり共感できず、「俺はしっかりと自分の足元だけ見て生きていこう」と思う人と、両方がいて良いと思います。
ただ、どちらの道を選ぶのか、ちゃんと自分一人の頭で考えてから選択して欲しいな、ということだけは強く思います。
プロフィール
1963年愛媛県生まれ。北海道大学法学部卒業。1987年北海道放送入社。ディレクターとして、数々のドキュメンタリー、ドラマ、情報番組などを制作。高校中退者や不登校の生徒を受け入れる北星学園余市高校を取材したシリーズ番組(『学校とは何か?』〈放送文化基金賞本賞〉、『ツッパリ教師の卒業式』〈日本民間放送連盟賞〉など)を担当。著書に『よみがえる高校』(集英社)、『北緯43度の雪 もうひとつの中国とオリンピック』(小学館、第18回小学館ノンフィクション大賞、第23回ミズノスポーツライター賞優秀賞)など。『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』で第18回開高健ノンフィクション賞を受賞。