プラスインタビュー

過去を「知ろうとしない」ことはなぜ罪なのか

『鉄路の果てに』著者・清水潔氏インタビュー 【後編】
清水潔

マスメディアが伝えない「事実」

――改めて、「知ろうとする」ためにはマスメディアの責任が非常に大きいと感じます。テレビ局の社員である清水さんは、今のメディアをめぐる状況をどう考えていらっしゃるのでしょうか。

清水 マスメディアの定義は「特定少数の送り手が、何らかの情報を不特定多数の受け手に向けて伝達する際に用いる」とされていますが、今のネット社会では、多数の送り手が多数の受け手に発信できるわけです。

 収益を上げる必要も、責任を取ることもない発信元が無料で大量の情報を伝播させられるのですから、まるで小さな火山があちこちで噴火しているような状況で、これはもう止めようがありません。すると、何が事実で何がそうでないか、受け手の側にとっても情報を取捨選択するのが大変な時代だと思います。先にも触れましたが、「事実」とVSになっているのが「気持ちよさ」だったりするのです。

 正直、従来のマスメディアが、ネットなら無料で見られる個人発信に対抗するのは非常に厳しいと思っています。電子化への対応の遅さなどを見るにつけ、マスメディアの側はまだその現実を直視できていないと感じますが、結局、生き残れるのは「信頼がおける題字」だけ、つまり情報の発信元であるそのブランドが信頼されているかどうかということになるでしょうね。

――その点について、マスメディアはしばしば「マスゴミ」などと呼ばれ、必ずしも信頼を得てはいないように思います。たとえば、加害者としての日本の戦争について、マスメディアは知っていて伝えないのか、それとも知識そのものがないということなのでしょうか。

清水 そもそも若い記者やデスクたちが、知らないということはあるでしょうね。たとえば30年前、50年前の知識人であれば常識だった日本の負の歴史。そんな話をすると、皆が驚く時代になってしまっているのは確かです。

 でも、本来メディアが発信するものは「自分が所有している知識」から取り崩していくものではなくて、取材して得るもののはずなのです。ならば必要なものは、取材すればいいだけのことなんですよ(笑)。それをやらないというのは、メディアの側に「知ろうとする」意欲がないのだと思います。

 私自身、南京事件のことも沖縄の鉄道事故のことも、事実を知りたかったから懸命に取材しただけです。知らないことがあれば気になるし、調べればもっと知りたいことが出てきて、さらに取材を重ねていく。

 私にとっては「知ろうと思う欲求」がほぼすべてですし、これはジャーナリストにとって大事な条件のひとつではないでしょうか。

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鉄路の果てに

プロフィール

清水潔

1958年東京都生まれ。ジャーナリスト。日本テレビ報道局記者・特別解説委員、早稲田大学ジャーナリズム大学院非常勤講師などを務める。新聞社、出版社にカメラマンとして勤務の後、新潮社「FOCUS」編集部記者を経て、日本テレビ社会部へ。著書は『桶川ストーカー殺人事件――遺言』『殺人犯はそこにいる―隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件―』(共に新潮文庫)、『「南京事件」を調査せよ』(文春文庫)など。2020年6月放送のNNNドキュメント「封印〜沖縄戦に秘められた鉄道事故~」は大きな反響を呼んだ。

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