「居心地の悪い情報」を突きつけるのが報道
――近年、マスメディアの報道姿勢が萎縮しているのではないかという話を聞きますが、その点についてはどう思われますか?
清水 私はマスメディアと呼ばれる側で仕事をしている人間ですが、南京事件の取材も含めて、社内から「そんな報道はやめろ!」などと言われたことはこれまで一度もありません。
会議でもそういう言葉は出てきませんし、目に見える圧力があるというのとはちょっと違うと思います。ただ、誰も何も言わないのに、なんとなく「これは扱わないようにしよう」という空気があって、それがまさに「忖度」なんですね。
でも、報道は「忖度」してはいけないのです。ネットを中心に受け手が気持ちよくなれる情報が求められる時代ですが、報道は気持ちよいことだけをやっていてはダメです。
たとえば災害について伝えるとき、「どこどこで水害により土砂崩れが起きて、○○人が行方不明です」とアナウンサーがスタジオで読み上げるだけで「はい、次のニュースです」と話題が移ってしまったら、観ている人たちに大切な事は届きません。そこで被災者にマイクを向けてコメントを取ったり、泥まみれになっている家を映したりもする。そういった災害や事故の現場に押し寄せるマスメディアの取材手法には批判がありますが、そこで腰が引けたら読者や視聴者に事実を伝えることはできません。だから、報道人には「批判にひるまずがんばれ」と言いたいですね。
ただし、そのための条件としては、報道が伝える一次情報が世の中の役に立っていることなのです。
事件にしても災害にしても、批判があれど取材していくのは唯一無二の目的があるからです。それは類似する不幸の「再発防止」です。これに尽きます。
起きてしまったことは覆せませんが、同じようなことを二度と起こさないためには正確な情報が必要なのです。これはもう戦争に至る経緯と同じ事です。なので、もしも報道が再発防止に役立っていないなら、それは単なる覗き見趣味。本当にやめてしまえばいいと思います。
今回の『鉄路の果てに』も含め、私の手による本や番組は「ああ、すっきりした」「おもしろかった」では済まないのです。なぜか、それはすべてのテーマが人の死と関わっているからです。他人様の命に触れる仕事です。そんなものを読んだり、見たりしてもらって、気持ちよくなってもらっては困るのです。私の仕事をきっかけに、「これは、どういうこと?」「なぜ、こうなのか?」「どうすればいいんだろう?」とモヤモヤと色々なことを考えてほしいですね。
余談ですが、同じ理由で、私は誰に頼まれても著書にサインはしません。ジャーナリストが芸能人と同じ事をする理由がないからです。そんな勘違い人間になるぐらいならこんな仕事は即刻止めます。
――最後に、これから取り組みたいテーマについて教えていただけますか。
清水 最近のライフワークである「戦争のはじまり」についての取材は、今後も続けていくつもりですし、つくった本やドキュメンタリーを見てもらうと「あっ、そういうつながりがあるのか!」と戦争に至るまでの流れが見えてくるという風になればいいですね。
テーマについては色々あって、たとえば乗員約3700人が死亡した「富山丸事件」については、いつか形にしたいと思っています(注:沖縄戦の前に鹿児島から沖縄に向かっている途中に米軍の魚雷攻撃を受けた貨物船「富山丸」の沈没事故)。
関係する公文書が破棄されている上、生存者もいないのでなかなか難しいところがありますが、だからこそ知られずに埋もれていく事実をなんとか残したいんです。
少なくとも本になっていれば、後になって誰かがそのことについて調べたいとなったとき、少しは役に立つこともできるでしょう。報道の仕事を選んだ以上、たとえ一人でもゲリラ戦のように自分にできることをやりながら、責任を果たしていこうと思っています。
文責:加藤裕子
プロフィール
1958年東京都生まれ。ジャーナリスト。日本テレビ報道局記者・特別解説委員、早稲田大学ジャーナリズム大学院非常勤講師などを務める。新聞社、出版社にカメラマンとして勤務の後、新潮社「FOCUS」編集部記者を経て、日本テレビ社会部へ。著書は『桶川ストーカー殺人事件――遺言』『殺人犯はそこにいる―隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件―』(共に新潮文庫)、『「南京事件」を調査せよ』(文春文庫)など。2020年6月放送のNNNドキュメント「封印〜沖縄戦に秘められた鉄道事故~」は大きな反響を呼んだ。