著者インタビュー

批評とは「実況」することである

佐々木敦氏『それを小説と呼ぶ』インタビュー

佐々木敦

90年代から現在にかけて、映画、音楽、文芸、演劇、アートなど、ジャンルを横断しながら批評を続けてきた佐々木敦氏。これまでの著作は40冊以上にのぼる。しかし、2020年1月にSNS上で「批評家卒業」を宣言し、初の小説「半睡」(「新潮」2020年4月号掲載)を発表し、読者を驚かせた。

その後、『これは小説ではない』(新潮社/2020年6月刊行)と『それを小説と呼ぶ』(講談社/2020年11月刊行)の2作の小説論を刊行し、後者は「文芸批評家として最後の主著」と銘打たれた。この集大成ともいうべき小説論で佐々木氏が試みたこと、そして小説観・批評観について伺った。

『それを小説と呼ぶ』(撮影:野崎慧嗣)

 

異例の同時連載

 

佐々木さんは、「批評家卒業」を宣言し「まとまった小説論としてはこれが最後」とされているのが、今日、お話を聞く『それを小説と呼ぶ』です。

以前の著作である『新しい小説のために』(講談社/2017年11月刊)と『これは小説ではない』に続く、文芸批評三部作の最終作という位置づけでもありますが、どのように書かれたのかを教えてください。

 

 もともとは文芸誌の「群像」に「全体論と有限 ─ひとつの「小説」論─」というタイトルで、2018年11月号から2020年2月号まで連載したものです。ほぼ同時に「新潮」で「これは小説ではない」という連載をして同名の本にまとめましたが、2つの連載を並行させたいと考え、僕から両編集部に提案しました。

 僕はこれまで音楽や映画、演劇などいろんなジャンルのことを書いてきたんですが、ここ10年ほどは小説とか文学と呼ばれるものについて書いた量が一番多かった。なので、あらためて小説作品を論じることで、自分の中で小説や文学が占めている位置を考え直そうとしました。

 その前に出した『新しい小説のために』は、ジャンルの外側からやってきたという意識があって、外側の観点からの小説論をやろうとしました。ただ、自分なりに小説や文学について考えた結果が本になったときに、まだちょっと続きがある、積み残しがあるという感覚がありました。それを何とかしないと自分にとっての小説論は一区切りつけられないなと思い、この二冊を書こうと思ったんです。

 

「群像」と「新潮」という代表的な文芸誌2誌に平行して連載するというのはあまり例がないですよね。どのような違いがあったのでしょうか。

 

 大きく言うと「新潮」では小説の方法について考える。「群像」では小説の主題について考える。この2つを両輪としてやってみたいと思い、結果的にできたのが前者の『これは小説ではない』であり、後者の『それを小説と呼ぶ』なんです。

 つまりこの2冊は姉妹本。双子のような本で、切り離せない両輪です。しかし諸事情により、実際には連載の時期がずれて「群像」のほうは数カ月遅れで連載が始まることになった。そこでどうしたかと言うと、「群像」の最初の回と最後の回を100枚ずつの書き下ろしにした(笑)。

 

最初からギア全開。最後もそうだったと(笑)。2つの連載のコンセプトについてもう少しお聞きしたいのですが、具体的にはどのようなものだったのでしょうか。

 

 『これは小説ではない』は、小説以外のジャンル、つまり写真や映画、音楽、演劇などを論じることで、裏返せば小説について考えることになる、というものでした。どのジャンルをどういう順番で書くかは最初から決めていて、最後は演劇の話で終わるというのも頭にありましたね。

 『それを小説と呼ぶ』のほうは、漠然と神とか、世界とか、ある意味ではすごく素朴な、ナイーブと言ってもいいような単語を扱うというイメージはありました。素朴な言葉ではあるけれど、ちゃんと説明しようと思うと大変なことになってしまうような観念とか概念ですね。

 ただ、そうした壮大なものを扱っている小説が現にあって、僕はそういうものを読んできた。だから、作品を通して自分なりに神や世界について考えてみようというもくろみだったわけです。

 

第一章で示した「方法」

『これは小説ではない』は外側から小説を見て、『それを小説と呼ぶ』は内部から小説を考えるということですね。『それを小説と呼ぶ』では第一章「方法序説」の冒頭から、小説を思わせる語り口で読者を引き込んでいきます。

 

 第一章は「この本でどういうことをどういうやり方で書こうとしているのか」を提示するような書き方をしてみようと思いました。だから「方法序説」なんです。

 僕はどんなものを書くときにも事前にメモや設計図を作らないタイプで、思いついたことをそのまま書いていきたい。そうするべきだと思っている部分があります。『これは小説ではない』では、各章で映画、写真、音楽、演劇とあらかじめ取り上げるジャンルを決めていましたが、それは例外的だったんです。

 だからなおさら、『それを小説と呼ぶ』はいつものとおりに書こうと思っていました。第一章はこの本がどういうものになるのかが読者に伝わるように書こうと。それでああいう書き出しになりました。

 

冒頭の最初の一文は五行にもまたがる息の長い文章なんですが、その中に「わからない/知っている」が同居する矛盾や、「心地良い迷子の感覚」という言葉があり、読者に揺さぶりをかけてきます。

 

 『それを小説と呼ぶ』の全体で、どんどん話が飛ぶとか、結論が出ないうちにほかの作品を論じるとか、そういうことをわざとやりたかった。例えば、第一章でも、高山羽根子さんの小説(「オブジェクタム」)など、いくつか論の柱はありますが、自分が言いたいことを言うために素材となる小説を探してきたわけではなく、本の山から即興的に拾ってきて、それをどんどんつなげ合わせて書いていくことをイメージしました。その辺にあった本をぱっと開いて読んだときに、何か引っかかるものがあるんじゃないか、という感覚ですね。そうしたら第二章の最後のほうで、一章で書いたいくつかのことが勝手につながるっていうことが起きた。

 読者からすると、つなげるために書いてきたように見えるかも知れません。計算して、最後に伏線を回収したみたいに読めるかもしれないけれど、そんなことはまったくない。ぜんぶ偶然。「でもこういうことが起きちゃうんだよ」ということを示したかった。

 第一章の100枚を書き下ろしたことによって、この本が最終的にどういう本になるのかがある意味で見通せた。すごく変な本になるだろうっていうことがわかったんです。それで第二章からは少しずつテーマを掲げてやっていくっていうことができたっていう感じですね。

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プロフィール

佐々木敦

思考家。音楽レーベルHEADZ主宰。1964年、愛知県生まれ。広範な範囲で批評活動を行う。2020年、「批評家卒業」を宣言。同年3月、初の小説「半睡」を発表した。著書に『ニッポンの思想』(講談社現代新書)、『これは小説ではない』(新潮社)、『批評王――終わりなき思考のレッスン』(工作舎)、『絶体絶命文芸時評』(書肆侃侃房)など多数。

 
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