著者インタビュー

第3回 安全保障を口実にした辺境の人々の権利抑制は許されない

『非戦の安全保障論 ウクライナ戦争以後の日本の戦略』刊行記念講演 全4回
伊勢﨑賢治

 9月に刊行された『非戦の安全保障論 ウクライナ戦争以後の日本の戦略』(集英社新書)の刊行を記念して、編者である「自衛隊を活かす会」主催の講演会を開催しました(2022年10月14日、衆議院第二議員会館)。講演ではウクライナ戦争を考える上で多くの知見が示されましたので、ここに講演での著者4人の冒頭発言をお一人ずつ紹介します。第3回目は伊勢﨑賢治氏。

撮影:等々力菜里


なぜ辺境に住む人々の権利を抑制しなければならないのか?

 冒頭の発言に関しては、憂鬱な国内の話題から始めたいと思います。

 実は弁護士ドットコムニュースの9月30日付の投稿で、僕もここで初めてこういう問題が起きたのかと知ったことがあります。実はその日に日弁連の人権擁護大会がありまして、「デジタル社会において人間の自律性と民主主義を守るため、自己情報コントロール権を確保したデジタル社会の制度設計を求める」などの四つの決議案を採択したと。そのうちの一つがアイヌに関わる問題です。

 正確に申しますと、日弁連の中の公害対策・環境保全委員会アイヌ民族権利保障プロジェクトチーム、これが提案した「アイヌ民族の権利の保障を求める決議案」、僕はもろ手を挙げて賛成したいと思います。けれども、この採決にあたって、国際交流委員会──日弁連の中にいくつもある委員会の一つで、僕も何回か講演したことがあります──が、日本の安全保障上の観点から委員長名で委員会の総意としての反対意見が出され、そこで紛糾したというのです。

 本当に悔しいです。泣けてきます。日弁連国際交流委員会の総意として読み上げられた反対意見は以下のとおりとなっています。

「アイヌを含めた少数民族の権利保護は、非常に重要なテーマであることは、当委員会としても理解しております。

そして、標題の人権大会のためにご尽力されている正副会長会、運営委員会及び関連委員会の皆様、並びに旭川及び北海道の会員の皆様にも、心より感謝し、敬意を表します。

 しかしながら、当委員会としては、本案に対して、以下の理由により反対せざるを得ません。 

 本案は、固有の漁労・狩猟の権利等、主権国家の権利・権益に関わるような権利保護のあり方が提唱されており、政治的・外交的には非常にセンシティブな問題であって、この時期に、日弁連会長の名で宣言・声明を出すことは、将来にわたりロシアの領土的侵攻(北海道、北方四島)の口実として利用されるおそれがございます。

 ロシア(以下、旧ソ連を含む呼称として使用します)の領土主張や領土的侵攻が、当地の少数民族やロシア系住民の保護を口実として実行されてきたという、過去の歴史的事実を看過することはできません。

 これまで、アフガニスタン、チェチェン、南オセチア(ジョージア)、シリア、クリミア(ウクライナ)、ドンバス(ウクライナ)等は、すべてロシアが、当地の少数民族やロシア系住民の保護を口実として、領土的侵攻を行ってきたものです。

 現下の国際情勢に鑑みれば、日本の安全保障上、このような声明がロシアによる領土的侵攻等の政治的口実として悪用されることが強く懸念されます。

 以上により、当委員会としては、本案に反対いたします。」

こういうものです。右翼団体ではなく、日弁連の委員会がこう言っているのです。

 そのちょうど5日後、ある文章を知り合いの弁護士から手に入れました。4人の弁護士がこの委員会に対して公開の質問状を出したそうです。それからの進展はありません。一体総意とは何ですか。日弁連の中の国際交流委員会の総意とは何ですか。これは問題です。

 まず事実誤認です。少数民族問題が侵攻の口実として使われたという点では、クリミア、ドンバスはそうかもしれない、チェチェンもそうかもしれません。南オセチアもそうかもしれません。でもアフガニスタンはそうでしょうか? この文章に出てくるアフガニスタンは冷戦時代のソ連のアフガン侵攻のことを言っていると思いますが、あれは別に、ロシア系の民族とか、アフガンの中の少数民族を助けるために口実として入ったものではありません。あのときは親ソ的な政権の内部で反ソ的な潮流が強くなり、それを押さえつけるために、集団的自衛権を悪用して入っていったわけです。

 それにも増して、国家の安全保障を理由として、なぜ辺境に住む人々の権利を抑制しなければならないのでしょうか。例えば日本みたいな一番分かりやすい緩衝国家で言うと、仮想敵国に一番近いところに住む人たち、北海道ではアイヌの人たち、南は沖縄です。国家の安全保障のためには、この人たちの権利を抑制しなければいけないんですか。それを日弁連が言うんですか。一つの委員会とはいえ。

 この場にも防衛関係の人が多分いらっしゃると思うんですけれども、日本みたいな緩衝国家だったら、そういう辺境地区──国際関係の言葉でボーダーランドといいます──は敵国に一番近いところですね。ボーダーランドにミサイルを置き、軍隊を置き、防備を固めなきゃいけないということは、ばかでも考えるわけです。

それはアメリカがやっていることです。日本もやっていることです。沖縄を基地化してきました。自衛隊も入り始めました。ミサイルを配備して。


ノルウェー軍は国境付近で軍事演習をしなかった

でも果たして、それでいいのでしょうか。違った考え方があるはずです。確かに辺境の人たちの中では、民族自決とか、固有の権利を守るために独立みたいな運動は起こるでしょう。それは本土の側がいじめるからです。違いますか。それは独立されたら困るけれども、高度な自治を認めてあげればいいじゃないですか。ノルウェーの先住民族であるサーミのようにです。

 逆に味方につけることが安全保障じゃないんですか。そういう考え方もあるはずでしょう。何で我々はそっちを取れないんですか。ばかの一つ覚えみたいに唱えられるのは軍備増強ばかりです。違った考えを提唱しましょうよ。

実は、それを実践している国があります。それがノルウェーです。アイスランドです。両国ともNATOの創立以来のメンバーです、アメリカの最重要同盟国です。特にノルウェーに関しては、冷戦時代からソ連と接していたNATO加盟国です。

 そのノルウェーは、少なくとも2014年までは、ソ連、ロシアと国境を接するところにはアメリカ軍を置きませんでした。許しませんでした。

 ノルウェー軍は非常に強い軍です。アフガンでいい働きをしました。そのノルウェー軍でさえ国境付近では軍事演習をしなかったのです。その辺りで暮らしているサーミは、日本のアイヌに比べたら、本当に自治政府みたいな感じの自立を認められています。北極の国連といわれる北極評議会、アークティックカウンシルというのがあります。そこにロシアとカナダ、アメリカといった超大国と同列のレベルでサーミは代表権を持っているんです。このぐらい手厚く扱われているわけです。

 クリミア侵攻が起きた2014年から、ノルウェーも世論が割れています。対応が変化しつつあります。これは分かりますよ。日本だって沖縄をどうするかということで、世論がこれだけ割れるわけだから。

でも、この日本は、ノルウェーが果たしてきたような役割を担えないんですか。沖縄、北海道を完全非武装化することによって。別に日米同盟を廃棄しろとまでは言いませんけれど。


ロシアを排除して世界的な危機に対処できるか?

 別の問題も一つだけ。

 ウクライナ戦争が開始されて、日本のメディアには僕はあまり利用価値がないのかもしれませんが、このところ、ヨーロッパから呼ばれるようになりまして、先々週もジュネーブで会議に参加してきました。スイスで一番大きい政府に近い類いのシンクタンクの会議です。

問題意識は何かと言うと、グローバルコモンズという角度で今大きな問題は地球温暖化ですけれども、その観点に立ったときに、英語で言うとCan we afford this engaging Russia?という趣旨です。つまりグローバルコモンズ、世界的な危機、これだけ世界的な課題が、危機状態のときに、地球上で一番大きなステークホルダーの一つであるロシアを完全に排除して、果たして我々は生き残れるのかという話です。

特にこの会議で一番フォーカスしたのは北極です。北極の権益です。急速に氷が溶けている。溶けるとどうなるかというと、まず世界航路が変わります。あっちを通ったほうが近いので、中国が入ってくる──もう入っていますけども。それと原子力潜水艦以外の兵器が投入できることになる。

 北極には先ほど紹介したアークティックカウンシルがあります。日本語でこれは北極評議会と訳されていますが、仕組みとしては北極の国連と考えていただきたい。大分違うのは安全保障理事会のように拒否権を持つ機構がないということです。これが唯一、世界が持つ、地球が持つ北極海沿岸諸国の機構なのです。沿岸のかなりの部分はロシアです。それ以外にカナダ、アメリカ、忘れちゃいけない北欧諸国、スウェーデンまで入っています。アイスランド、ノルウェー、そういう国が一番のステークホルダーですけども、そこに準加盟国みたいな感じで中国や、実は日本も入っているんです。重要な航路ですから、氷が溶けちゃえば。

 これが権益の争いを調整していたんです。ここが本当にホットな冷戦にならないようにと。ところが、ウクライナ戦争が始まってから、この北極評議会が動いていません。ロシアとの対話はしないということになっているわけです。このまま進むと大変なことになります。軍事的にも外交的にも。それと地球規模の地球温暖化に抵抗することもできなくなる──抵抗できるかは分からないけれども。

 この会議には、そういう問題意識を持つ、アメリカ、日本、中国、デンマーク、今回、中立からNATOの加盟国になると表明したスウェーデン、ノルウェー、アイスランド、インドの学者や専門家が集まりました。日本からは僕ということでディスカッションしてきました。1回限りじゃなくて、これをチームとしてやっていこうということになった。

 なぜジュネーブに集まったかというと、スイスしか今、ロシアの専門家を呼べないんです。それと、この戦争を多角的に議論するということは、特にヨーロッパではできません。大学でもできません。この戦争を多角的に議論しようとするとすぐ、お前はロシアの味方かとなってしまうわけです。その差別が今、日本より徹底しています。それぞれの国の学者が、本国で言えばいいじゃないかと僕は思うんだけど、それができないので、唯一できるスイスのジュネーブに集まったわけです。

 この集まりはずっと続きます。日本からの代表者が実はもう一人いるんですけれども、その人のことは言えません。実はこの会議は典型的なチャタムハウスルールという厳格な秘密主義のルールがありまして、会議の中での内容を話せるけれども、誰が何を言ったか誰が出席したかということは一切言わないということで、初めてこういう会議ができるわけです。でもアメリカに関しては、あの有名な研究所の所長が来ました。彼でさえアメリカでは言えない。キッシンジャーさんとか、ミアシャイマーさんのように変人扱いされるみたいな感じになっているわけですね。

 だからこのグローバルコモンズという考え方、多分古代の戦争とここが一番違うところですが、核の心配をしなきゃいけない。それは古代にはなかった。それで今、原発が戦場になるという新たな恐怖が加味されたわけですよね。それと地球規模の課題です。地球そのものが破壊されるかもしれないということ。その中でこの戦争をどう考えるのか。どういうふうになるかを見越して、少なくとも政権に、政治に発言力のあるセカンドトラックの立場にいる学者とか研究者が、どうやって協働できるかという話です。この会議は続きます。だから少し流れが変わってきてはいるということです。

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関連書籍

非戦の安全保障論 ウクライナ戦争以後の日本の戦略

プロフィール

伊勢﨑賢治

(いせざき けんじ)

1957年生。東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。国連PKO幹部として東ティモール暫定行政府の県知事を務めシエラレオネ、アフガニスタンで武装解除を指揮。著作に『文庫増補版 主権なき平和国家 地位協定の国際比較からみる日本の姿』(集英社文庫)他多数。

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第3回 安全保障を口実にした辺境の人々の権利抑制は許されない