「おりる思想」は「選ぶ思想」だと私は思いました
小山 私は自分がいやだと思った競争からはおりたつもりなんですが、それでもおりられていない部分もたくさんあって、スピード勝負のメディアのあり方からは離れたけれども、SNSのフォロワー数とか、本が何部売れるかとか、そういったことからは逃れられなくて、それがすごくしんどいんです。「おりる」という思想を世に出した飯田さんご自身は、今の生活や人生にどんな手応えを感じていますか。
飯田 大学を出てから就活せずに過ごしてきた10年間を考えると、やっぱりいろいろと迷ってきたんだと思います。フルタイムの職についた方がいいんじゃないかとか、もうアルバイトのままでいいんだとか、振り子のように常に悩みつつ、でも自分に合わないものに無理やり合わせても心身の調子が悪くなるだけだからそれはやめよう、と思うようにもなりました。小山さんは社会的な評価とか競争みたいなものと、どんなふうに距離を取っているんですか。
小山「おりる思想」というのは言い換えれば「選ぶ思想」だと私は思ったんです。「これは自分に合わない」「これは大切にしたい」と、ひとつひとつ判断していくための思想なんだ、と私は理解しました。
飯田 なるほど。小山さんはnoteの記事でも「離れる」という言葉を使っていて、自分とあまりにもかけ離れている会社の仕組みから距離を置いて、もうちょっと生活を自分の軸に寄せていく、ということを書いているじゃないですか。
小山 そもそもなぜ休職したのか、休職期間に何を考えて何をしていたのか、ということを書いたものなんですが、じつは休むってすごく怖いことだったんです、私にとって。その間は成長できないかもしれないとか、みんなに追い抜かれて置いてけぼりにされちゃうとか、そういうのがすごく怖くて、休職期間を有意義なものにしなきゃと思って勉強して、ファイナンシャルプランナー三級の資格を取ってみたり、簿記の勉強をしてみたり。それでさらに調子が悪くなったりもしたんですが、読書をしたり自炊をすることで「私はこういう生活がしたかったんや」と3~4ヶ月かけて気づくことができました。
自分が大切だと思うテーマを取材しながら、自分の生活も大事にする。睡眠時間を削らないとか自炊をするという、自分にとって大切なことがわかった。そんなふうに「離れる」ことによって、「自分の命を削りながら長時間労働で働く生活から私はおりたいんだ」と気がついたので、そういった意味でもあの期間はすごく大切だったと思います。
飯田 今日ここにお越しのみなさんやオンライン参加の方々はどんなことからおりたいのか、何から離れたいと思っているのか、ということも後半ではお話したいと思います。感想や疑問でもいいので、気軽に議論に参加していただければありがたいです。
小山 はい。じゃあ、少し休憩にしましょう。
プロフィール
いいだ さく
1989年、東京都出身。早稲田大学在学中に大学不登校となり、2010年、フリーペーパー『吉祥寺ダラダラ日記』を制作。また、他学部の文芸評論家・加藤典洋氏のゼミを聴講、批評を学ぶ。卒業後、2017年まで学習塾で講師を続け、翌年スペインに渡航。1年間現地で暮らし、2019年に帰国。今回が初の書籍執筆となる。
こやま みさ
1994年生まれ。2017年、毎日新聞に入社し、希望した広島支局へ配属。被爆者や原発関連訴訟の他、2019年以降は原爆投下後に降った「黒い雨」に関する取材に注力した。2022年7月、「黒い雨被爆者」が切り捨てられてきた戦後を記録したノンフィクション『「黒い雨」訴訟』(集英社新書)を刊行し、優れたジャーナリズム作品を顕彰する第66回JCJ賞を受賞した。大阪社会部を経て、2023年からフリー。広島を拠点に、原爆被害の取材を続けている。