1月17日に刊行された集英社新書『「おりる」思想 無駄にしんどい世の中だから』(飯田朔・著)。誰かとの競争に勝って生き残ることを要求される現代社会に対して、自分らしくあるために〝正しいと思われている〟人生のレールやモデルから〝おりる〟ことを模索し提案した一冊である。
そして、本書を読んで共感するところが多かったと、飯田さんとの対談を希望してくれたのが、2022年に『「黒い雨」訴訟』(集英社新書)を出した小山美砂さん。小山さんは本の執筆当時は毎日新聞社の記者だったが、現在は退社しフリーランスで活動中だ。
小山さんが会社を辞める直前の苦しさ、そして退社後の悩み、また「おりたことで気づいたこと」などは、現在働いている人には共感できる部分が大きいのではないか、ということで、その模様をレポートする。
※当記事は2024年5月8日に東京・本屋B&Bで行なわれたイベント飯田朔×小山美砂「 “自分軸からおりない”ために」を抄録したものです。
飯田 飯田朔と申します。今年の1月に『「おりる」思想 無駄にしんどい世の中だから』という本を出しました。僕は今30代半ばなんですが、引きこもり気味のフリーターみたいな感じで東京の実家でずっと暮らしてきて、2018年くらいからちょこちょこと集英社の〈新書プラス〉というウェブサイトで文章を書くようになりました。
この本は、お読みになってない方もいらっしゃると思いますが、引きこもりとして実家で暮らしながら自分が見てきた映画や読んできた小説を通じて世の中のことを考える文章を書きたいと思って、それが出発点になっています。書いている途中で「おりる」という言葉が浮かんできて、そこから書名を取って『「おりる」思想』になりました。僕の自己紹介はとりあえずこんな感じで。
小山 小山美砂と申します。今日は広島からやってまいりました。私は記者として6年間勤めた毎日新聞を2022年末に退社し、今はフリーランスとして取材と執筆活動をしています。1945年8月に広島に投下された原爆のことをメインテーマにしています。原爆投下後に降った黒い雨を浴びても保障されないまま、戦後75年ずっと裁判を続けていた人々が最終的に裁判で勝ち、国の援護施策や政策が変わっていった歩みを『「黒い雨」訴訟』として2022年7月に集英社新書から刊行しました。
私は記者という仕事を天職だと思って、初任地の広島でこの黒い雨というテーマにも出会い、本も書いて充実した記者生活を送ってきたんですが、その後、大阪社会部に異動して大阪府警の担当になったんですね。その取材がすごくハードで、体調を崩して休職することになりました。悩んだ末にフリーランスでやってみようと決断し、それから1年少々経ったときに、この飯田さんの『「おりる」思想』に出会ったんです。いち読者として本当に素晴らしいと思い、それが今回のイベントにつながりました。
飯田 小山さんが体調を崩して新聞社を休職した後に退職し、フリーランスとして活動するに至る経験は、ご自身がnoteにまとめています。それを読んで、いろんな業種で似たような厳しさや苦しさがあるんだと痛感しました。
小山 本題に入る前に、この『「おりる」思想』とはどういうことなのか、飯田さんにお伺いするところからまず始めたいと思います。
飯田 そうですね……。最近はこう、なんていうのかな、厳しい時代だから「何者かになる」とか「スキルを身につけて生き残る」みたいな考え方がすごく強くなっている気がして、そんなふうに無理をして夢を目指すのではない生き方を何か考えられないかな、というのがこの本の出発点です。
小山 今回はトークイベントなので、本に書かれていない部分も話したいんですが、飯田さんはどんなことからおりてきましたか? もしくは、飯田さんはこれまでの人生のなかでうまくおりることができましたか?
飯田 本を出してから「飯田さんはおりた人なんですね。私もおりたいです」という感想をいただくことがあって、そう言われると「いや、そんなにたいしておりてないんだよな。今もバイトをしないとお金がないし……」と思うんですが、僕の場合は大学時代に不登校になって心身のバランスを崩したので、無理やりにでもおりざるを得なくなった、という事情はあったんですね。小山さんはどうでしたか。
小山 私はさっきも話したように、新聞記者の仕事が楽しくて天職だと思っていたんです。広島から大阪の異動で大阪府警の担当になったんですが、警察担当は「夜討ち朝駆け」といって出勤前や退勤後の警察官に話を聞くために自宅の前で待っていて、公式の記者会見では言わないことを聞き出す、という生活だったんです。私専用のハイヤーが朝5時に自宅へ迎えに来て、昼間は普通に仕事をして終電くらいの時間まで働いていたんですね。
その仕事では当局が公式発表する前に書くこと、しかも他の新聞社よりも先に紙面に出すこと、それがすごく大事で、他社とのスピード勝負をずっとさせられていて、それに自分の心身がマッチしなくて体調を崩していったんです。
私はもっとゆっくりでも時間をかけて、自分なりの問題意識で記事や本を書いていきたい、と思ってフリーランスになったんですが、それはそれでお金もかかるし、安定した給料を手放すことにもなりますよね。よくわからないスピード至上主義みたいな競争からはおりてみたものの、やっぱりそこはすごく苦しかったんです。
プロフィール
いいだ さく
1989年、東京都出身。早稲田大学在学中に大学不登校となり、2010年、フリーペーパー『吉祥寺ダラダラ日記』を制作。また、他学部の文芸評論家・加藤典洋氏のゼミを聴講、批評を学ぶ。卒業後、2017年まで学習塾で講師を続け、翌年スペインに渡航。1年間現地で暮らし、2019年に帰国。今回が初の書籍執筆となる。
こやま みさ
1994年生まれ。2017年、毎日新聞に入社し、希望した広島支局へ配属。被爆者や原発関連訴訟の他、2019年以降は原爆投下後に降った「黒い雨」に関する取材に注力した。2022年7月、「黒い雨被爆者」が切り捨てられてきた戦後を記録したノンフィクション『「黒い雨」訴訟』(集英社新書)を刊行し、優れたジャーナリズム作品を顕彰する第66回JCJ賞を受賞した。大阪社会部を経て、2023年からフリー。広島を拠点に、原爆被害の取材を続けている。