ルーマニア語の小説家になって「もう誰かと争わないですむ」と安心した
花本 ふたりはそれぞれ、スペインとルーマニアというヨーロッパの国に思い入れがあることも面白いと思うんですけれども、朔ちゃんはなぜスペインで、鉄腸さんはなぜルーマニアだったんですか?
飯田 僕は大学で不登校になって、卒業はしたものの就職せずに、ずっと三鷹市の実家で暮らしてきました。就職したほうがいいのかとか大学院に入った方がいいんじゃないのかという心の迷いを経ながらも、どれもしっくりこない状態で、2017年頃に日本の雰囲気がいよいよ嫌になって「自分の周りのものを全部放り投げてどこか行ってしまおう」と思ってスペインに行くことにしました。
とにかく日本から離れたかったので、スペインを選んだことにじつはそれほど積極的な理由がなくて、日本や英語圏の国々よりも物価が少し安いのと、あとはシエスタという昼寝する文化などの生活習慣も気になっていたので、スペインに行くか、と思いました。鉄腸さんは?
済東 もともとは映画です。映画批評は今でもやっていて、最近書いたのはカタールやネパール、ブルキナファソの作品。自分がまったく知らない国のものを観たい、という欲求がもともと強くて、そういった日本未公開映画を少しずつ見ていくなかでルーマニア映画に出会ったのが2007年くらい。『4ヶ月、3週と2日』というルーマニア映画がカンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを獲って、そこから「ルーマニア映画がヤバいぞ」みたいなことが世界の批評家界隈で言われはじめるようになり、その評判が世界の映画好きに伝わっていって、俺も見るようになった。
それで『ポリティスト・アドジェクティブ(Polițist, Adjectiv)』というルーマニア映画を見つけて観て、それでさっき言ったルーマニア語の辞書で脳髄をぶっ叩かれるような経験をした。
この映画の主人公は警察官で、高校生がマリファナを密売しているから逮捕せよと言われるんですが、それがEU加盟前夜だったんです。EU法なら逮捕しなくていい、でもルーマニアの法律だと逮捕しなきゃいけない。「高校生を逮捕するのはなぁ……」って葛藤するのが100分くらい続くんですけど、最後は署長に呼ばれるんです。
で、署長室でルーマニア語の辞書をドンと目の前に置かれて、「この中に書いてある〈警察官〉〈法〉〈良心の呵責〉の定義を読め」と読まされる。その後に「お前が思う〈警察官〉〈法〉〈良心の呵責〉の定義とはなんだ」と言わされ、「そのふたつを比べてみろ。お前の定義だと、警察官は職務を全うして社会の秩序を守れないじゃないか。だから、辞書の定義に従って、警察官として働け」と激詰めされるんです。最後は、主人公が部下の前で高校生の逮捕計画を黒板に書いている場面で終わる。もうバッドエンドもいいところで、つまり映画の主題はルーマニア語それ自体なんですよ。
そうやって観ていくとどんどんルーマニア映画が好きになって、「これはルーマニア語を学ぶしかねえ」と思って勉強をはじめた。それは、引きこもりという自分に対するある種の逃避でもあって、現実の世界から目を背けて、それをやっていれば楽しい、とどんどんのめり込んでゆき、やがて千葉からほとんど出ない引きこもりの俺がルーマニア語の小説家になった、というのが現在です。
花本 そういう対象に出会えたことはものすごくラッキーでしたね。
済東 そうですね。『「おりる」思想』のプロフィールを読んで「おっ……」と思ったのが、「2017年まで学習塾で講師を続け、翌年スペインに渡航」と書いてあったんですが、じつはルーマニア語はロマンス語の仲間で、ラテン語の子どもたちのような言語なんですよね。そこに属するのがフランス語やポルトガル語、イタリア語、スペイン語、ルーマニア語だから、ある種、兄弟なんですよ。そういう意味で、ロマンス語の絆みたいなものがあるのかもしれないなと、ちょっと思っています。
飯田 ぼくの方も、ロマンス語つながりの縁、みたいなものを少し感じています。ところでみなさん、ルーマニアの映画って観たことがありますか? 僕も映画は好きで、日本公開作品しか観たことがないんですが、じつは最近のルーマニア映画はカンヌやベルリンの映画祭で賞を獲りまくっていて、とてつもない勢いがあるんです。
済東 ベルリン国際映画祭の最高賞は、ここ10年で3本、ルーマニアの作品が獲っています。
飯田 鉄腸さんから聞いた話なんですけど、ルーマニアは映画の本数自体は多くない。なのに、ものすごく打率が高い。僕も何本か観たんですが、ルーマニアの政治や行政がいかにひどいかという内容の作品でも、汚職や賄賂と一緒に生きていかざるをえない現実をすごく辛辣に描いていて、とても強い印象を受けました。
話が少し変わるんですけど、鉄腸さんの本を読んで印象に残ったのは、ルーマニアは日本と違って小説の市場規模が小さいらしく、それによっていわゆる「作家」という存在のイメージも日本とだいぶ違いがあるということでした。
済東 出版業界自体がめっちゃ小さいです。
飯田 市場が小さいとどういうことが起こるかというと、鉄腸さん曰く、専業作家があんまりいないらしんですね。
済東 ほぼいないんじゃないかな。
飯田 日本では小説や批評をやろうとすると文学賞に応募するのがパターンですが、ルーマニアでは直接編集者に原稿を送るらしくて、つまりそれを僕は、他人と賞で競争しなくてもいい、と理解しました。鉄腸さんはルーマニア語の小説家になることが「おりる」ことだったと言っていて、それを聞いた時には「いや、小説家になったのなら逆に上がってるじゃないか」とも思えるんだけど、ルーマニアに限っては、特に日本人がルーマニア語の小説家になるということは、やっぱり「おりる」ことなのかな、と思いました。
済東 そう。日本についてルーマニア語で書く日本人作家が、ルーマニアにはいない。仮に日本について何かを書く人がいたとしても、それはルーマニア語で書くルーマニア人作家だから、ルーマニア語の小説界だと俺はたったひとり。自分の芸術では誰とも争う必要がなくて、戦うべき相手は昨日の自分しかいない。それがもう本当に気楽で。
一番嫌だったのは、日本で書くと賞に応募して一次選考突破、二次選考通過、みたいな感じで序列がつけられて、他人と戦わされちゃってるわけですよね。投稿サイトの「小説家になろう」でもランキングが出たりして、争わざるを得なくなっていく。他人の評価はあくまでもプラスアルファで、自分の中に込み上げてくるものを作って「よし、満足した」でいいはずなのに、自分の芸術で殴り合わされてるようなことになっちゃう。
だからルーマニアでデビューした時は、最初は「よっしゃ!!」という気持ちが来たんですけど、その後に「ああ、もうこれで争わなくてすむ。ただ自分の芸術を作ることだけを考えればいいや、よかった~」っていう大きな安心感が来た。その時は意識していなかったけど、それこそが俺にとっての「おりる」行為だったんだ、と思いました。
飯田 ルーマニア語の小説家になって、「何者か」になったという話なのかと思ったら、競争と距離を置くところに話が進んでいくので、そこが面白いですよね。いま日本で文学フリマやZINE(非営利出版物)などの媒体を作る動きが盛り上がっているのも、ある意味でそういう部分とつながっているのかなと思いました。
済東 まさにそうです。みんなが自分のペースで自由に書いていて、俺の作品を掲載してくれたミハイル・ヴィクトゥスという編集者は自分も作家で本を出しているんですが、印税は月収の半分くらいらしい。俺も小説を書いてお金が入ったことは一切ない。そんな状態だから、専業作家がいない。そもそも、ルーマニアにおいては作家っていうとイコール兼業だから、兼業と専業という概念そのものが存在しないんです。
小説や芸術は、社会の競争からドロップアウトした人の逃げ場であってほしいと思うのに、むしろ争いを再生産していて、同人ZINE界隈でもそこから引き抜かれて商業出版したら上がりというヒエラルキーができちゃっていて、それがちょっと微妙だよなって思ってたときにルーマニア語小説家デビューだったんで、自分は幸運だったなという安心感はありました。
とはいえ、芸術をやるにもそれでお金を稼げなくてヤバかったんですけど、そこでこの本を出す機会が来てエッセイストという肩書きを手に入れたんで「よし、エッセイは仕事のために書こう! で、趣味は小説。それで行こう!!」と考えられるようになったので、今はそれがちょっといい感じ(笑)。
飯田 小説にせよ批評にせよエッセーにせよ、そうやって金もないのにわざわざ何かを書くのはなぜなのか、ということを考えさせられました。ぼくの場合文章を書くのは、やっぱり自分が考えていることを世に問うためであったり、人に読んでもらいたいからであって、それは別にこのような書籍であろうと同人誌であろうとブログであろうと変わらないものだよなあと思います。重要なのは読みたい人がいたらその人の手に届くことであって。だから、本を出すということは八百屋の人が野菜を売るとか豆腐屋さんが豆腐を売るみたいな感じで、必要なものを必要な時に必要な人に届けるイメージでやりたいなって思いますね。
花本 なるほど。朔ちゃんはこの前、「書けなくなってダメになったらまたプリーペーパーに戻ろう」と言っていたでしょ。それはそれで全然いいことなんでしょうね。朔ちゃんはもともと、ずっと熱心にフリーペーパーを作っていて、その時代に最初に僕と出会ったんですよね。
飯田 大学の不登校になって1年くらいした頃に、ペラ1枚のフリーペーパーを作っていた時期があって、レコードショップや古本屋や映画館のチラシ置き場に置かせてもらっていたんですが、その流れで配りに行った吉祥寺の書店で花本さんが働いていて、それが知り合ったきっかけでした。
花本 「『吉祥寺ダラダラ日記』っていうのを書いてます」と持ってこられて面食らったんですが、僕もフリーペーパーは好きだったので持ち込み大歓迎で、「フリーペーパー梁山泊」ってコーナーを作るくらい熱を入れていたので、「可愛いやつだなぁ」って思っていて、そこから付き合いができ、やがてこのイベントにまで至るという(笑)。
飯田 今日のイベントも、花本さんとお会いして書店イベントをやろうという話になったときに、鉄腸さんがツイッターで最初に反応を書いてくださったことを話したら、「じゃあ鉄腸さんに声をかけようよ」と言ってもらって、こういう形になりました。
済東 俺にしたらふたつ返事です。だってニッケコルトンプラザっていうショッピングモールで『千葉ルー』を書いたんですけど、そこの有隣堂の人がずっと置いてくれていまして、そこには俺が好きな本も一緒に置いてもらってるんですね。『「おりる」思想』を読んだときも即座に店に置いてもらって、「対談しましょう!」って(POPに)書いたんですよ。それがほんとに実現して、ビビった。有隣堂じゃなくて今回は今野書店ですけど、次はコルトンプラザの有隣堂に連れて行きますよ。
飯田 この間、鉄腸さんと打ち合わせで初めて会ってコルトンプラザに行ってきたんですけど、味のあるショッピングモールで、ちょうどいい感じに地元に馴染んでる感があって、お世辞抜きで居心地がいい。フードコートも、べつにご飯を頼まなくても座っていていいし、すごくいいなって思いました。
済東 2冊目はコルトンプラザで書きましょうよ。俺は2冊目もコルトンプラザで書きましたよ。謝辞に「ありがとうコルトンプラザ」って入れる予定です。
プロフィール
いいだ さく
1989年、東京都出身。早稲田大学在学中に大学不登校となり、2010年、フリーペーパー『吉祥寺ダラダラ日記』を制作。また、他学部の文芸評論家・加藤典洋氏のゼミを聴講、批評を学ぶ。卒業後、2017年まで学習塾で講師を続け、翌年スペインに渡航。1年間現地で暮らし、2019年に帰国。今回が初の書籍執筆となる。
さいとう てっちょう
1992年千葉県生まれ。大学時代から映画評論を書き続け、「キネマ旬報」などの映画雑誌に寄稿するライターとして活動。その後、ひきこもり生活のさなかに東欧映画にのめり込み、ルーマニアを中心とする東欧文化に傾倒。ルーマニア語で小説執筆や詩作を積極的に行い、初の著書『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』を執筆。