対談

現代社会の「競争」への違和感を描いていることが、この2冊は似ていると思います

飯田朔×済東鉄腸

1月17日に刊行された集英社新書『「おりる」思想 無駄にしんどい世の中だから』(飯田朔・著)。誰かとの競争に勝って生き残ることを要求される現代社会に対して、自分らしくあるために、〝正しいと思われている〟人生のレールやモデルから〝おりる〟ことを模索し提案した一冊だ。
本書を読んでいち早く「#千葉ルー携え著者に会いたい」と反応してくれたのが『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(左右社、2023年)の著者、済東鉄腸さん。ということで、東京・西荻窪の今野書店で対談イベントを開催した。その模様をレポートする。

花本 今回のイベントを企画した西荻窪・今野書店の花本です。最初は集客が不安だったのですが、蓋を開けてみたらほぼ満員御礼。これはやはりおふたりの人徳でしょうか。今日ここにお集まりの皆さんは飯田朔さんと済東鉄腸さんのことを十分にご存知だと思うんですが、まずは改めて自己紹介を簡単にお願いします。

飯田 1月17日に『「おりる」思想 無駄にしんどい世の中だから』という本を出した飯田朔といいます。僕は大学を卒業してからずっと三鷹市の実家で暮らしながら批評の勉強みたいなこともしていたんですが、ずっとぶらぶらしてきた人間で……、まあ、詳しくは後でお話したいと思います。

済東 済東鉄腸と申す者です。ルーマニアバカです。よろしくお願いします。自己紹介として書名を言わせてください。『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』、そういう人間です。ということで、今日はよろしくお願いします。

1992年千葉県生まれ。大学時代から映画評論を書き続け、「キネマ旬報」などの映画雑誌に寄稿するライターとして活動。その後、ひきこもり生活のさなかに東欧映画にのめり込み、ルーマニアを中心とする東欧文化に傾倒。ルーマニア語で小説執筆や詩作を積極的に行い、初の著書『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』を執筆。

飯田 僕の本をお読みになっていない人もいると思うので、まずは少し本の紹介として、帯に要約されている引用を読んでみます。〈「おりる」とは、社会が提示してくるレールや人生のモデルから身をおろし、自分なりのペースや嗜好を大事にして生きる、という考え方だ〉。これだけ聞くと、「べつに特別な考え方ではないんじゃないか。社会の競争やしんどさから脱して自分を大事にしようなんて前から言われていることだし、新しい考え方ではないだろう」と思う人もいると思うんですけど、まああの、なんていうのかな、えと、ちょっと頭が回らないんですけど……。

済東 (笑)じゃあ、ちょっと紹介を兼ねて俺から「おりる」について話してみますね。

 俺は2015年くらいから引きこもるようになり、最悪だった時にルーマニア映画に出会って脳髄をルーマニア語の辞書でぶっ叩かれるような衝撃を受け、それでルーマニア語を勉強しはじめました。「わー、勉強って楽しい! ルーマニア語を勉強したから、今度はちょっと小説を書いてみよう」と思い、その小説をルーマニアの人に読んでほしくてFacebookでいろんな人とつながってみると、あれよあれよと広がっていき、やがてなぜかルーマニア語で作家デビュー、みたいな話を書いたのがこの本、『千葉ルー』です。前半はその過程について書いていて、後半ではルーマニア語で書くことの苦闘とか、そこから日本語ってものを考えてみた、みたいなかんじです。

 で、『「おりる」思想』を読みながら思ったのは、振り返ってみれば俺の本の前半で書いている引きこもり生活って、一般社会のレールから外れて落っこちて、それで色々とやろうとしていたけど、それこそが俺にとっての「おりる」ことだったんじゃないかな、って思うんですよ。

『「おりる」思想』の第三章では、生き直すという考え方について書かれているんですけど、引用すると〈「生き直す」とは、一度社会的な意味での「死」を経験した個人が、もう一度今度は自分なりの方法で生きようと試みる考え方であり、「生き残る」発想と対立する」(P133)と記されています。社会的な死を経験したあとどう生きるか、ということでは俺はまさにそうで、大学は最悪だったし就活も大失敗して実家にずっとこもって、「もう終わったなぁ……」みたいな気持ちの中で、なんとかルーマニア語に出会えて、その時点で生き直す道が開けた。大学や就活で挫折して引きこもる中で、ルーマニア語と出会ってルーマニア語で日本について書くのが楽しくなり、ルーマニアの友達もどんどんできていくことで少しずつ自分を受け入れられるようになって、で、自分のペースや本質にやっと軸足を置けるようになった。

 それをすべてまるっと肯定する、という意味で『千葉ルー』では一人称を「俺」でずっと通しているんですよ。ずっと「俺俺俺俺俺俺」と言っていて、それはまさにこの『「おりる」思想』を通じて解釈し直すと、〈自分ルール〉で生き始め、それを肯定して、「俺はこう生きていくぜ」とこれを書いて生き直す、という感覚です。『「おりる」思想』を読むことで、自分の人生をまた別の角度から見ることができたんですよ。

 この本を知ったときに「絶対買った方がいいな」と思って即日に買い、めっちゃ感銘を受けたから友達に話してもう一冊買ってプレゼントした。それくらい好きになった。だから今日のトークショーは本当に光栄なことです。ありがとうございます。

飯田 怒涛の語り……(笑)。

済東 いやすみません、酒飲んでないのに、いつもこんなノリです。トークショーだからちゃんと会話しなきゃいけないのに申し訳ない。

飯田 鉄腸さんは、僕が本を出した時にツイッターで読んだと書いてくれた最初の物書きの人でした。僕も鉄腸さんの本が書店で平積みになっているのを見たことがあって、そのときはちょっと奇をてらった本なのかと思っていたんですが、実際に読んでみると、本当に千葉で実家暮らしをしている間にルーマニア語を勉強して、ルーマニアの文芸誌でルーマニア語の短編を発表して、というタイトルどおりのエッセイ&言語論で、それをすごく情熱的に書いている、非常に不思議な読書体験でした。

済東 しかも「俺」文体で。

花本 その一人称をあえて選んでいるんですよね。

済東 そう。フェミニズムでは「俺=有害なマチズモ(男らしさ)の象徴」という批判もあるんですけど、俺は昔から俺と言ってきたし、子どもの頃から今もずっと大好きな少年漫画や特撮では俺という一人称がよく使われていて、〈俺〉ってやっぱりかっこいいな、という気持ちがある。じっさい、先日観に行った『ウルトラマンブレーザー』も、タグラインは「俺が行く。」なんですよ。

 トランスジェンダー男性で、私じゃなくて〈俺〉を使うことで自分を生きている感覚になったという人の話も聞いたことがあるし、そうすると「俺=悪しき男らしさの象徴」という議論を超えたところで、よりマシな〈俺〉像を作っていくのもいいんじゃないかなと思った。それで、あえてあの「俺文体」になったわけで、その意味では社会のルールや相手ルールから自分ルールに戻ってきたんです。つまり、これを書くこと自体が自分にとって「生き直す」ことになっていたのかもしれないと思いましたね。

飯田 鉄腸さんの本は、千葉に住む引きこもり男性がルーマニア語で書く小説家になったという話だけではなくて、ルーマニア語と日本語、つまり言語に関する話や、ジェンダーの話なども入っていて、いろんな観点で読めるんですけど、その中で僕が面白いと思ったのは、〈俺〉という一人称をどう扱うかという鉄腸さんの姿勢でした。「俺」という一人称を愛着を持って使ってきた。けれどもその一人称にはマッチョな危うさも共存している。さて、どうするか。こういう愛着を持って使ってきた言葉に含まれている危うさとどう向き合うか、という問題意識は、ルーマニアなどの国や地域を「東欧」と呼ぶ場合にも含まれているのかなと思いました。鉄腸さんが本の中で「東欧」という言葉について書いている箇所にも、このような視点がありますよね。

1989年、東京都出身。早稲田大学在学中に大学不登校となり、2010年、フリーペーパー『吉祥寺ダラダラ日記』を制作。また、他学部の文芸評論家・加藤典洋氏のゼミを聴講、批評を学ぶ。卒業後、2017年まで学習塾で講師を続け、翌年スペインに渡航。1年間現地で暮らし、2019年に帰国。今回が初の書籍執筆となる。

済東 西欧から見た「オリエンタリズム」という概念があるじゃないですか。それを最前線で受けているのが東ヨーロッパなんですよね。「オリエント」って東という意味で、そういう差別を喰らいまくってるから、彼らには「東」という概念それ自体があまり好かれてない。

飯田 「俺」にしろ「東」にしろ、ちょっと危うくなってきたそういう概念をどう扱うのか。簡単に肯定も否定もできないなかで試行錯誤する感じが面白いなあ、と思いました。

「俺」を肯定したいという話を通じて、等身大の自己愛を肯定してもいいんじゃないかって言っていますよね。鉄腸さんが肯定したい「俺」とか「自己愛」というのは、映画や小説を観たい読みたい書きたい、という欲求なんじゃないか、と僕は勝手に思っているんですが、そういう好奇心って「お前はただの引きこもりじゃないか」とか「人と違って目立ちたいだけだろう」と潰されがちですよね。

 でも、そこでいちど等身大の自分の好奇心や知的なものへの欲求をまず自分自身に認めてやって、そこから積み上げていくことが大事なんじゃないか。ぼくの『「おりる」思想』は、普段の生活をしているときの自分、「何者でもない自分」を肯定する、というところから話を始めているのですが、この2冊の本は、中身は少し違うけれども「構え」のようなものがちょっと似ていて、「これは良くないな」と考えている共通の対象は、社会にある競争システムのようなものだと思うんです。

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関連書籍

「おりる」思想 無駄にしんどい世の中だから

プロフィール

飯田朔×済東鉄腸

いいだ さく

1989年、東京都出身。早稲田大学在学中に大学不登校となり、2010年、フリーペーパー『吉祥寺ダラダラ日記』を制作。また、他学部の文芸評論家・加藤典洋氏のゼミを聴講、批評を学ぶ。卒業後、2017年まで学習塾で講師を続け、翌年スペインに渡航。1年間現地で暮らし、2019年に帰国。今回が初の書籍執筆となる。

さいとう てっちょう

1992年千葉県生まれ。大学時代から映画評論を書き続け、「キネマ旬報」などの映画雑誌に寄稿するライターとして活動。その後、ひきこもり生活のさなかに東欧映画にのめり込み、ルーマニアを中心とする東欧文化に傾倒。ルーマニア語で小説執筆や詩作を積極的に行い、初の著書『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』を執筆。

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現代社会の「競争」への違和感を描いていることが、この2冊は似ていると思います