「本を書く」が、日本では「夢を追う」になることへの違和感
花本 『「おりる」思想』の後半は朝井リョウさんについて書いていますね。朔ちゃんにとって朝井リョウという小説家はどういう存在なんですか?
飯田 僕は早稲田大学の文化構想学部を卒業したんですが、同じ学年に朝井リョウさんがいたらしいんですね。面識もなく、在学当時は彼の小説を読んだこともなかったんですが、卒業する年に吉田大八監督で公開された映画『桐島、部活やめるってよ』を観てすごく面白いと思い、原作を読んでみるとこれもやはり面白かった。それで彼の小説に関心を持つようになったんですが、朝井さんはその年(2012年)に就活生たちを描いた『何者』で直木賞を受賞しました。
僕は「おりる」ということが大事だと思っているんですが、その反面で「いや、そう簡単におりられるものでもないよな」という疑問もあって、スペインに行ったときもそのことを考えていると、朝井リョウさんの『桐島、部活やめるってよ』と『何者』はその感覚に近いものが描かれていたのかなと思いあたりました。
朝井リョウさんは同世代とはいえ僕とは全然違う人生を歩んでいる人ですが、彼はたくさんの作品を通じて、ある種の「おりる」ことの難しさにしつこく向き合ってきた人だと思うので、『「おりる」思想』の後半では彼の作品について評価する部分と、少し批判的に見る部分と、両面から論じています。
済東 第1部を読んだときに、「いやいや、そんなこと言ったっておりられないだろう」という批判は絶対に出てくるはずで、それに対して本の後半を使ってきちんと説明していくところに飯田さんの誠意と責任感がよく出ていると思いますね。
飯田 『「おりる」思想』の後半部分になっている朝井リョウ論は全部で5万字くらいあるんですよ。最初は3万字くらいにしようと思っていたのに、書いていたのがコロナで全然外に出られない時期と重なったこともあって、最初に考えていたよりも長くなってしまった。だから正直なことを言えば、もっと短くした方が読みやすかったのかなと思っているんですけど。
済東 執筆に即興はつきものだし、変わっていくこと自体が執筆過程なんで、そういう話を聞くとなおさら、『「おりる」思想』はマジうまく即興性を取り入れた作品なんじゃないかと思いますね。
飯田 鉄腸さんの本も、そういう「おりられなさ」みたいなものとちょっと繋がるところがあると僕は思っていて、それは『千葉ルー』の帯に〈千葉の片隅から、魂の故郷・ルーマニアへの愛を叫ぶ〉と書いてあるじゃないですか。鉄腸さん自身はルーマニアには行ったことがないけれどもルーマニア語で小説を書いて、魂を介してルーマニアの世界と精神的に繋がれると考えていたけれども、コロナ禍が始まり、クローン病になって、ロシアのウクライナ侵攻も始まった。そういったいろんな理由から、いずれ行きたいと思っていたルーマニアに簡単には行けなくなってしまった。
済東 やっぱり、かなり物理的な距離もあるし病気もあるので、少なくとも住むのはちょっとなぁ……みたいな。30歳になる手前だったので、いろいろ考える時期ではありましたね。
飯田 何が言いたいかというと、鉄腸さんの本では「精神」の飛躍についてずっと書かれてきた最後に、やっぱり「身体」に縛られてしまう、ということが出てくるんだけど、結論は「でも、そこにいる、ということにやっぱり意味があるんだ」と、「精神」の飛躍がいったん「身体」を経ることでさらに思考が深まっている。そこが「おりられなさ」とも繋がっているところかな、と読みながら考えていました。
済東 そうっすね。最初はぐうたらな人でも小説家になれるぞ、外国で小説家になれるぞという方向で書いていたんですけど、第一稿を書きあげた後の第二稿では、もっと前向きに行った方がいいんじゃないか、今ここで立っている、いや座ってる、時には寝転がっている場所でもやれることはあるんだ、もっと前向きに希望を語っていきましょう、という方向性に進んでいった結果、こういう形になったので、今の評価は本当に、なんか、めっちゃうれしかったです。
花本 おふたりの接点が混じりあう、非常に興味深いところが見られた気がします。会場の皆さんも、そろそろおふたりに何か言いたいことがあるんじゃないでしょうか。いかがですか。
飯田 本の話と全然関係ないことでもいいですし。
済東 自分語りで行きましょうよ。俺も、本の中でめっちゃ自分を語ってるし。
花本 じゃあ、まずは日野さんにお願いしましょうか。
日野 千葉県のときわ書房志津ステーションビル店という書店で店長を務めています、日野と申します。どういう理由でここにいるかというと、私は飯田さんの本の帯に推薦文を書かせていただいたのですが、飯田さんのことを全然知らないときに花本さんから「日野さんにぜひ読んでほしいんだよ」という熱いメールが届き、それでゲラをもらって読んでみたら「これだよ、これしかないよ」と思って現在に至る、というご縁です。こういう場でお話を聞かせてもらうことができて、本当に光栄です。
「おりる」ことは、昨今の世間から見ると負け、敗北だとか、落ちこぼれ、落伍者というレッテルが貼られやすいようにも思うんですが、でも本当はそうやってレッテルを貼るほうがおかしい。そういう逆転の発想、思想をきちんと言葉にした名著だと思います。ロングセラーになるように、私の店でもこれからもどんどん売っていきたいと思います。鉄腸さんの本も、たくさん積んでおきます。今日はおふたりのお話を聞いて、こんなに通底するものがあるんだと感心しました。
花本 他の方も、遠慮なくどうぞ。
Aさん じつは私自身も大学を卒業して就職した後にZINEを作ってみたら、序盤に鉄腸さんがおっしゃっていたように次々と自分のやりたいことが見えてきて、結局仕事を辞め、今は細々と文章を書いて手の届く範囲で流通もやって生活しているんです。
同世代の人たちと話をしているときに「本を書いている」と言うと、現実を我慢して生きている自分たちと違って夢を追いかけている人、と捉えられがちなことにモヤモヤするんですが、おふたりは自らの思想や経験を書いて本にすることで、世の中の人たちに何を期待しているのでしょうか。
飯田 夢を追うか現実に対応して生きるか、みたいな二者択一は僕も嫌です。そういえば大学を出て鬱々としている頃に友達と吉祥寺を散歩していると、テレビの取材か何かで髪の長い男の人が「何をしている若者なんですか」「将来やりたいことは何ですか」と訊ねてきたことがあって、「批評とかを書いています」ともぞもぞ答えたんですよ。僕の友達も大学院で研究をしていたので「なにか書きたいですね」と返答したら、「なるほど、夢を追っているんですね」と言われて、(いや、夢を追ってるわけじゃないんだよな。書きたいから書いてるだけで……)と思ったんですが、後で番組を見てみると僕たちのコメントは使われていませんでした(笑)。
「今の人、誰?」と友だちに聞くと「又吉直樹だよ」と言われて、それでテレビ音痴のぼくはあれが又吉さんなのかと知ったんですが、又吉さんのコメントがどうこうということではなくて、本を書くのは夢を追うことではないし、そういう世間に出回っている物書きに関する通念はちょっと変だよなぁと思うんですね。
じゃあ僕は本を書くことをどう考えているのかというと、さっきも言ったように豆腐屋さんが豆腐を売るみたいに、読みたい人に読んでもらって、面白かったとか面白くなかったとかいう反応をもらいたい。そういう動きを感じたいので、読んでくれた人との交流や読書会や、そういうことをやってみたいと思っています。
済東 『千葉ルー』の企画書を受け取ったときに思ったのが、「俺はここから〈書く〉を仕事にするぞ」ということだった。それまでの俺は、一度も就職したことがなくて引きこもっていて、ルーマニア語の小説家になったけれども、実際問題としてお金は稼げていなくて引きこもってる。〈書く〉で自己実現はできていても、生活ができていない。生活できてない今、どうすればいいのか、というときにこの企画書が来て、「よし、仕事をやろう」っていう思いになった。だから期待したのは、己を社会にグッと開くこと。自己実現じゃない「書き」は仕事だから、「そういうのをやる時が来たな、ちゃんとやっていこう」って思いました。
この本は「俺」が書いたんじゃなくて、「俺たち」が書いた、「俺たち」が作った、ということなんですよ。編集者さんと書いて、デザイナーさんがデザインして出版されて、流通の人々が本屋さんに運んでくれて、それを書店員さんが売ってくれる。だから、みんなと付き合って、手を取り合ってコミュニケーションしていく。ちょっとずつ〈脱・引きこもり〉をやっていく。引きこもりと書名につけておきながら〈脱・引きこもり〉って矛盾しているかもしれないですけど、「よし、ここから生活が始まるな」ということが期待の根底にあって、それが現在進行形で進んでいる状態です。今日もこんなにたくさん来てくださって、こうやって皆さんの前で喋っているわけじゃないですか。期待以上のものができている。すっげえ光栄です。だから、がんばります。
Aさん 書くことで身の周りの小さな社会が変わっていくんじゃないかと思ってお訊ねしたのですが、我ながらいい質問だったなと思います。
済東 そう。自己愛ね! 自分をちゃんと褒めていきましょう。
飯田 なんだか怪しい会になってきた(笑)。
済東 いいんですよ! 人文界隈は自己啓発を嫌いすぎ。自己啓発書を読んでもいないのに「自己啓発の罠」みたいなことだけ言ってる。ダメだよそれじゃ! もっとみんな、自己啓発しましょう(笑)。
取材・文/西村章 撮影/五十嵐和博
プロフィール
いいだ さく
1989年、東京都出身。早稲田大学在学中に大学不登校となり、2010年、フリーペーパー『吉祥寺ダラダラ日記』を制作。また、他学部の文芸評論家・加藤典洋氏のゼミを聴講、批評を学ぶ。卒業後、2017年まで学習塾で講師を続け、翌年スペインに渡航。1年間現地で暮らし、2019年に帰国。今回が初の書籍執筆となる。
さいとう てっちょう
1992年千葉県生まれ。大学時代から映画評論を書き続け、「キネマ旬報」などの映画雑誌に寄稿するライターとして活動。その後、ひきこもり生活のさなかに東欧映画にのめり込み、ルーマニアを中心とする東欧文化に傾倒。ルーマニア語で小説執筆や詩作を積極的に行い、初の著書『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』を執筆。