対談

外国人労働者・在日を「ここにいるのに見えない人」扱いする政策の問題

姜尚中氏×鳥井一平氏(移住連代表理事)対談 【前編】
姜尚中 × 鳥井一平

外国人との共生のため普通の人たちの「善意の支援」はあるが、政府の政策には、それが見えない

 現場でずっと外国人労働者を支援されてきた鳥井さんの目から見て、これはどうなんでしょうか。このまま行けば、アジアからも、移民労働として「日本をスルーする」というか、「日本を選ばない」人が増えるんじゃないかと思うんですが、それはないですか。

鳥井 実際上、それはないんでしょうね。これは労働者の性(さが)といいますか……たとえ奴隷労働的構造であっても、「いかに金を稼ぐか」ということになるわけです。「出稼ぎをするという目的のためには、どこでも行くよ」という労働者の根性ということが、やっぱりあるわけです。だから「選ばれるかどうか」というよりは、「私たちの社会がどうするか」ということで考えていくほうがいいだろうと思うんです。あるいは、先ほど姜さんがおっしゃったように、外国人労働者と言われる人たちが、この地域、この社会と出くわした時に、ここを選択してくれるかどうかという、ちょっとしたきっかけとかチャンスを、どのように作れるのか、ということだと思うんです。

 そうですね。

鳥井 この30年でニューカマーの人で日本に定住した人々というのは、やっぱりいい隣人、いい仲間に巡り合っていることは事実なんですね。

 もちろん今の日本政府の政策とか、いろんな問題はあるんだけれども、その中でも一緒に作っているものというのがあるわけです。だから、そのことを私たちがどうやってつなぎ合わせていくか。そこの部分で政治的リーダーシップがすごく問われているんです。

 そうだと思います。僕もトヨタ財団での地域社会プログラムを見ながら、それを感じました。いわゆる移民労働でおいでになった方々が集積している企業城下町で、正規労働の日本の方々のグループが、しかも家庭の主婦が集まって、たとえば病気とか災害とかの際に外国から来た人たちが困らないように、スペイン語やポルトガル語、あるいは韓国語や中国語でパンフレットなどを作ろうというグループがいたんです。そういう民間の方々の涙ぐましい努力はあるんです。でもそれが中央の政治には、なかなか見えないんですね。

 そういう中央政界にはなかなか見えづらい、普通の人たちの涙ぐましい努力によって、ある種の化学反応が地域社会の中では起きているわけです。それをどうやって、線を面にして広げていくか。そこが行政やメディアの役割だと思うんです。でも残念ながらリーマンショックや東日本大震災以来、ある種逆コースが始まっているというか……。

 日本の戦後史を見ると、こういう逆コースが起こる時期があるんです。古くは、1940年代末からの逆コース。これが朝鮮戦争(1950年勃発、53年に休戦)で決定づけられて。それ以降も、逆コースが何度かありました。

 さっき鳥井さんがおっしゃったように、民主党政権になったときというのは、終戦後の片山内閣(1947年5月~48年3月)とか、あるいはその次の芦田内閣(48年3月~48年10月)まで、特に片山内閣は期待値が高まっていたところが似ています。でも、けっきょくそれがヨタってしまって、最終的には岸内閣が出来るわけです。それが60年安保までつながる。

 民主党政権も片山内閣のように、最初は良かったんだけども、うまく続かなかった。この民主党政権から安倍政権への流れは、けっきょく第二の逆コースだったと、僕はどこかで話したことがあります。

鳥井 なるほど。

 ですから、歴史をもうちょっと長いスパンで見ると、日本にはそういう振り子運動みたいなものがあるわけで、今は逆コースの中。でも、逆コースが起きるということは、現状をまっすぐ見ない、あるいは出来合いのプリズムで、色眼鏡で見ているということで。ですから話が通じず、ほとんど会話不可能になってしまう。「中国といえば、こうだ」とか「韓国といえば反日だ」というような形でしかとらえない人が増えてしまう。そうなると、日本社会の現場でどうやって一人一人が生きていくかというのが、なかなか語り難くなってしまうんです。

 僕は今、長野に住んでいますが、長野のローカル紙としての信濃毎日新聞は、長野における外国人の問題を取り上げています。長野における在日の歴史や、人とのつながり、光と影も含めて、そういう記憶を掘り起こしていっているんです。そういう皆さんの努力を上から積木崩しのように崩すような言説が今、まかり通っていることが、本当に残念でならないんです。そういうことは鳥井さんも経験されていますか。

鳥井 ええ。それは非常に残念なことですね。今、姜さんがおっしゃったように、やっぱりオールドカマー、在日の方たちの歴史というのが、これ、実はニューカマーと直接的に結びついているんですよね。

 そうでしょうね。

鳥井 ええ。たとえばニューカマーが日本にやってきて40年弱になりますが、オールドカマーの人に比べると短いですけれども、この中で今おっしゃったような事柄がいろいろあるわけです。いわゆる「国際化」という言葉、これはある意味で問題のある言葉なんですけども、国際交流ということで、地域でいろんな交流をすることによって知り合う、ということがあるわけです。しかしけっきょくのところは、その地域の善意ある人たちが手弁当でそういうことをやってきた。地方自治体がやるにしても、中央政府の財政的支援もない中でそれぞれが工夫してやってきたんです。

 それが逆に「税金を無駄に使っているんじゃないか」「なぜその人たちにお金をかける必要があるのか」というような反発を生み出すような構造になっているわけです。中央がやろうと言わないせいで。
 外国ルーツの人たちと地域の人たちが出会う中で文化交流、たとえば料理教室だとか、民族的な踊りとか、そういう交流で親しくなったりするんだけど、この国際交流といったものが、やはり日本社会で共に生きる、「共生」ということでなくて、あくまで「国際交流」だけで終わってしまう。それはなぜか、ということです。

 これはやはり依然として、「居場所を作らせない」という政策があるからです。「ここにいるのに、ここにいないことになっている」という中央政府の政策というか方針がある。

 そのせいで、初め、そういう出会いの中で理解し合おうと思っていた日本人たちも戸惑ってしまうというか、後ろに下がってしまう。そういうことがあると感じます。

 たとえば地方自治体によっては、窓口で「多言語化しなきゃいけないんじゃないか」という実感を持って自主的にやっているところもありますが、それが中央政府の政策とうまく合わないので、逆に仕事が煩雑になったりして、地方自治体の職員が反感を持つこともあります。

 私、今度の特定技能(*2)の導入に関して2018年から様々な議論が始まったときに、議員会館での、あるヒアリングで、群馬県大泉町の職員の発言を聞いてちょっと驚いたんです。大泉町というのは日系ブラジル人の方がたくさん住まれて、町境のところには「日本のブラジルへようこそ」なんて書いてあって、町に一歩入るとポルトガル語でいろんな看板が出ているんです。

 そういう社会なんですが、そのヒアリングで大泉町の職員が言うのは「自分たちがどれだけ苦労しているのか」という話ばかりなんです。「ブラジルなどから来た人たちがいることによって、大泉町がどのように活性化しているか」という話はありませんでした。財政的にも日系ブラジル人たちは大きく寄与していると私は思うんですけれども、そういう話じゃなく、煩雑な事務についての苦情が主な発言内容でした。

 これは日系ブラジル人たちがいるから、という問題ではなくて、中央政府がそういうことに見合った政策を取っておらず、対応を地方自治体に丸投げをしていることが問題なのです。しかし、そこに話が行き着かないんですね。

*2 特定技能:2019年4月より導入された新しい在留資格。日本国内において人手不足が深刻化する14の業種で、外国人の就労が解禁。建設業、造船・舶用工業、自動車整備業、航空業、宿泊業、介護、ビルクリーニング、農業、漁業、飲食料品製造業、外食業、素形材産業、産業機械製造業、電気・電子情報関連産業の14業種

 そうですね。

鳥井 「外国人が来ているから面倒だ」というほうに流れていってしまうわけです。だから、地域で、外国ルーツの人たちと近づけば近づくほど交流ができる、という肯定的な面もある一方で、現場の職員たちが中央政府の政策との矛盾のために煮詰まって、それが差別や排外主義につながっていく、というところも見られます。

「ここにいるのに見えない人」とみなす政策

 僕は明治学院大学というところで一時期、非常勤で教えていました。明学は福祉学も強くて、その中で、寿町(*3)でボランティアをやっている学生が何人か周りにいましたし、スラム研究の雑誌を出している人もいました。

 けっきょく政府のやり方の根本というものは何なのかと考えると、この本の中で鳥井さんも指摘されているように、「人間」ではなく「労働力」としてしか考えていないですよね。彼らには、できれば「人間として社会の中に現れてきてほしくない」と。ある人たちにとって、彼らは「動く迷惑物」だ、と。だからできる限り単身者として、一人でいてほしい。

 日本人労働者でも、こういう扱いを受けた人たちが、大阪や東京のいわゆる「寄せ場」にいたわけですよね。そういう寄せ場という場所に、人々を単身者として囲い込むことによって、一般社会から見えない壁を作って、「ビルを建てたり道路などインフラを整備したりというところで彼らがいかに貢献したか」という話は、ほとんど伝えられない。

*3 寿町:横浜市中区にあり、日雇労働者が宿泊するための簡易宿泊所「ドヤ」が多数集まるため「ドヤ街」と呼ばれた。東京の山谷、大阪の釜ヶ崎とならび「日本3大寄せ場」と呼ばれる。

鳥井 そうですね。

 いわゆる社会派と呼ばれる作家の方の小説で、たとえば「土工」というのが、よく犯罪者として出てきます。松本清張さんの短編小説『天城越え』では、土工が「流れ者」で「信用ならない人間」として出てくる。ヒロインの女性がお金のためにこの土工と寝るんですが、それで嫉妬した主人公に土工は殺されてしまいます。そうした「土工」とか「住所不定者」とか「流れ者」ということで、寄せ場で働いているような人がよく犯罪小説に出てきたんです。

 そうした寄せ場にいた人たちが、東京でもたくさんのビルを建てたわけですが、そのビル建設の現場で何人の人が亡くなったんだろうか、とか、そういうことが、僕は気になるんです。

 僕がある時、非常に驚いたのは、千葉県松戸市のサウナに行くと、かつて寄せ場にいた人たちが、そこで暮らしていたんです。お風呂もついて、自分のロッカーもあって、御飯も食べられる、と。それを見て僕はビックリしたんですね。それでサウナの経営者に聞いたら、下請の建設会社と契約を結んでいる、と言うんですよ。サウナのロッカーには、彼らの生活道具が全部入っているわけです。

「寿町や山谷などの寄せ場から、高齢化もあって、人がいなくなっている」という話があったんですが、実はこのサウナとか、一般の人には分からない場所に回収されていたわけです。

 鳥井さんの本の中で、外国人の労働者たちを、「ここにいるのに見えない人としてみなす政策」というのがありますが、けっきょく、在日もそうだったんだと思います。

鳥井 そうですね。

 「この社会にいるのに、あたかもいないかのようにみなす」と。かつては、飯場や寄せ場がそうだったわけですよね。

鳥井 ええ。

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プロフィール

姜尚中 × 鳥井一平
 
 
 
姜尚中(カン サンジュン)

1950年熊本県生まれ。政治学者。東京大学名誉教授。鎮西学院学院長。熊本県立劇場理事長兼館長。 著書は累計100万部超のベストセラー『悩む力』とその続編『続・悩む力』『母の教え 10年後の「悩む力」』のほか、 『ナショナリズム』『姜尚中の政治学入門』『ニッポン・サバイバル』『増補版 日朝関係の克服』『在日』、 『リーダーは半歩前を歩け』『あなたは誰? 私はここにいる』『心の力』『悪の力』『漱石のことば』『維新の影』など多数。 小説作品に、いずれも累計30万部超の『母―オモニ―』『心』がある。

 

鳥井 一平(とりい いっぺい)

1953年、大阪府生まれ。特定非営利活動法人移住者と連帯する全国ネットワーク(移住連)代表理事。 全統一労働組合外国人労働者分会の結成を経て、1993年の外国人春闘を組織化し、以降の一連の長き外国人労働者サポート活動が評価され、2013年にアメリカ国務省より「人身売買と闘うヒーロー」として日本人として初めて選出、表彰される。

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