技能実習生を使い捨てた結果、「担い手」がいなくなった
姜 今のは社会のボトムの話ですけども、実は上から来る、もう一つの、外国からの「お雇い」の人たちがいました。彼らは高額な賃金をもらって、明治以来、ある種の居留地も造られていたわけですね。それが今の六本木ヒルズなど港区に集中していると思います。
僕は集英社から出した『維新の影』という本の中で、一つはこのボトムの人たちの集まる場所と、「じゃあ、アッパークラスの人たちはどこにいるんだろう」ということを書きました。彼らもやっぱり、どこかに囲われているわけです。しかしそれを一般の人は迷惑だと思わず、むしろ憧れの場所でした。これは明治以来、構造は様々なバリエーションがありながらも、六本木や広尾などにアッパークラスの人たちは来るんですが、彼らもけっきょく、生活者にはなっていないんですよね。
鳥井 うん。
姜 つまり、上も下も、居場所のある生活者にはなっていない。僕はそこに問題があるんじゃないか、ということを、鳥井さんの本を読みながら感じました。
だから今後、もう一つ、外国人で、アッパーで見えない人々、これと鳥井さんの本に書かれている人たちとで、凹凸が一緒になると、「日本の社会は外側の人々とどういう交わり方をするのか」という全体像が見えてくるんじゃないか、と思ったんです。そういう意味でも、鳥井さんの本は非常に面白いと思いました。
鳥井 ありがとうございます。おっしゃるとおりで、いわゆる出稼ぎ労働者や派遣労働者の極地とも言うべき存在が、技能実習生なんですね。彼ら彼女らは、姜さんもおっしゃったように、単身なんですよ。技能実習というのは単身でなけりゃ駄目なわけです。日系人ビザを導入して日系ブラジル人やペルー人を労働者として迎え入れた際、政府が「失敗した」と思ったのは、彼ら彼女らが家族を連れてきた、ということです。それで、技能実習生には家族の同行を許さず、3年間で使い捨てと。
表向きは、今の安倍政権でもそうですけども、外国人の「ハイスキル」「高度人材」を求めていると言うんですけども、「高度人材の外国人」というのは、地球上をどんどん移動する人たちなんですね。
姜 そうです。
鳥井 だから日本には、あまり定住しないのです。これに関しては、経済界の社長さんたちのほうが「これは、ヤバい」という実感を持ったわけです。つまり労働の現場に、「担い手がいない」ということに気がついたのです。
「技能実習生が便利かな」と思っていたら、実は担い手にならない。だって、やっと仕事を覚えて熟練労働者になりかけてきたところで、「はい、帰国しなさい」と母国に帰されてしまうんですから。
単なる「使い捨ての労働力」ではなくて「労働者」という捉え方をすれば、産業や企業の担い手、そして地域の担い手になっていくんです。これは、ごく当たり前のことなんですけど……。
日本国内の地方から都市部への出稼ぎ労働者だって、あるいはオールドカマーの人たちだって、やむなく東京や大阪などの大都市に来たとしても、「ここで暮らすのがいい」と思って定住して、そこで社会の担い手になってきたわけですよね。
これは姜さんには言うまでもないことですが、長い歴史の中で、やっぱり中国や朝鮮半島から来られた人たちによって、この社会は大きく担われているわけです。これは歴史的にも明らかです。そこにまたニューカマーの人たちがやってきて、今はもう、ニューカマーの2世がこの社会を担いつつあるわけです。
姜 そうですね。
鳥井 そのお父さん、お母さんは別に「高度人材」じゃないんですよ。「隣の人と仲良くしなきゃいけない」ということを考える人なんですよ。仲良くしないと暮らしていけない。差別もあるし。「できるだけ一緒にやっていきたい」ということで「この社会になじんでいる人たち」なんですよね。そこを見誤ってはいけないと思います。
これは日本社会だけじゃなくて、この地球上、いたるところを出稼ぎ労働が作ってきたわけです。移民問題、労働者問題を見るときに、「点で見ないで歴史的なところを見ていく」という力を私たちが持てるのかどうか、ということです。
姜 全く同感です。80年代に「日本の国際化」ということが中曽根内閣で言われたときに、「移民労働――開国か鎖国か」なんていうばかげた議論を延々とやっていました。でも専門家から見ると「それはどこの話なの? 実情見てみなさい」という話だったんです。でも、「開国か鎖国か」と言い、「欧米を見ろ。ドイツでは外国人労働者問題でこんな問題が出ているのに、日本の良俗が侵食されて大変なことになるぞ」というようなことを真顔で言う人が、けっこういたんです。
鳥井 今もいるんですよ、まだ。
姜 今もね。むしろ今は残念なことに、そういう意見がかなり強くなっていますよね。
鳥井 ええ。
姜 じゃ、ドイツはうまくいっていないかというと、確かにネオナチの問題など、いろいろ問題はあります。しかしドイツでは、あれだけ膨大な数の外国ルーツの人が生活していても、今回の新型コロナウイルス禍でも、ちゃんと優等生的な対応をしていますし十分うまくやっている。
じゃ、日本はどうなんだろう、と。
日本はこのままでは自家中毒に陥る
姜 極端な言い方をすると、このまま行けば自家中毒に陥るんじゃないかと思います。つまり「同質性」という神話にかたくなにしがみついて、そのオブセッションというか先入観から解放されないと、自家中毒に陥ると。すでにその症状が表れてきていて、問題をインナーサークルだけで議論しているわけです。
鳥井 ええ。
姜 確かにいろいろ問題はあると思います。たとえば、ごみの出し方がおかしいとか。そういう小さなエチケットが確かに問題であることは事実です。ごみをどうやって分別するかというようなことで、たまさか中国の留学生がそれに対応できないと、大変なヘイトが起こるわけです。あるいは、中国の留学生が友達を呼んで、部屋の中で中国料理を作って、フライパンからもくもく煙が出ていて臭かったと。
確かにそういうこともあるでしょうが、それひとつをとって、「人間性の根幹が壊れた人たちだ」というふうにみなすことには、僕は物すごく違和感があるんです。
人間を見るときに、礼儀作法などは確かに大きいと思います。人権という前に、人の立ち居振舞いや、小さな差異が物すごく気になる人がいるんです。それを見て、何か鬼の首を取ったように言う人が。
そういうのを見て僕が時々悲しくなるのは、僕の小さい頃、大阪では在日の人がホルモンを食べていたんですね。ホルモンというのは、「内臓を放り投げる、捨てる」から「放るもん」がなまって「ホルモン」になったという人もいます。僕の小さい頃、大人たちが石油缶の中にまきをくべて、解体された牛とか豚の内臓を入れて料理して、みんなホクホクしながら食べていた。あれを見て、「あんなものを食うやつらは人間じゃない」と言う人がいたわけです。
江戸時代、僕なんかはそういう歴史を学んだわけではないですけど、白土三平の漫画『カムイ伝』なんかには、被差別部落の人たちの生活が描かれている。それは、ある種の瑣末主義で、礼儀作法とか、形式主義的なある一つの型に収まり切れない人たちのことを、「人外の人」、つまり人でなしとして見てしまう。
でも、今、日本で焼肉店がどれぐらいあるでしょうか? そこでホルモンを食べない人がどれだけいますか、と。
鳥井 そうですよね(笑)。
姜 そういうふうに日本の食文化も変わってきたわけです。今もまた、どんどん日本の社会は外から来た人たちの影響で進化している。
鳥井 それは間違いないですね。
姜 だから、いろんな人がここにやってきて共に暮らしていく、そこで生まれるケミストリー(化学反応)を楽しみながら、鳥井さんが言うように、「もっとポジティブに考えよう」と僕は思うんです。
(後編に続く)
プロフィール
1950年熊本県生まれ。政治学者。東京大学名誉教授。鎮西学院学院長。熊本県立劇場理事長兼館長。 著書は累計100万部超のベストセラー『悩む力』とその続編『続・悩む力』『母の教え 10年後の「悩む力」』のほか、 『ナショナリズム』『姜尚中の政治学入門』『ニッポン・サバイバル』『増補版 日朝関係の克服』『在日』、 『リーダーは半歩前を歩け』『あなたは誰? 私はここにいる』『心の力』『悪の力』『漱石のことば』『維新の影』など多数。 小説作品に、いずれも累計30万部超の『母―オモニ―』『心』がある。
1953年、大阪府生まれ。特定非営利活動法人移住者と連帯する全国ネットワーク(移住連)代表理事。 全統一労働組合外国人労働者分会の結成を経て、1993年の外国人春闘を組織化し、以降の一連の長き外国人労働者サポート活動が評価され、2013年にアメリカ国務省より「人身売買と闘うヒーロー」として日本人として初めて選出、表彰される。