──ナイツは、M-1とともに歩んできたみたいなところがあるかと思うのですが、M-1に挑戦し続けていちばんよかったことはなんですか。
塙 M-1は僕らがコンビを組んだ2001年に始まったんですけど、当時はまだ『キングオブコント』も『R-1』もなかったし、『エンタの神様』や『爆笑レッドカーペット』みたいなネタ番組もなかった。目立てる舞台がそこしかなかった。だから、むっちゃテンション上がりましたよ。やっと全員がよーいドンで勝負できる舞台ができたと。あの頃、みんな自分たちがどのぐらいおもしろいかわかってなくて、全員が決勝に行くつもりでいたと思うんですよ。ところが、2、3年やると、俺ら今、1000位くらいだなとか、800何位くらいだなということが肌でわかってくる。周りの他のコンビがウケているのを見ると、ここまで完成されてないな、みたいな。つまり、ふるいにかけられた。そういう意味で、すごくいい大会だったなと思うんです。僕らも決勝に進むまで、結局、8年かかりましたからね。でも、M-1に出続けたことで自分たちの立ち位置がわかってきて、「浅草の星」というキャッチフレーズも生まれて、自分たちで自分たちをプロデュースできるようにもなった。極端な話、M-1がなかったら芸人を辞めてたかもしれないですね。M-1のお陰で、モチベーションを維持できたし、新しいネタも作ることができましたから。
──一部では笑いを点数化すべきではないという意見もありますが。
塙 笑いは語るものじゃない、とかね。でも、語るもんじゃないって言ってる時点で、もう語ってますから。そういうやつって、要はかっこつけてるんですよ。東京の芸人はなかなかM-1の審査員を受けたがらないそうですが、僕はオファーがあったらぜんぜん受けますよ。日本代表の将来を担うエムバペのような天才ボケを発掘したいですから。
(取材・構成 中村計)
プロフィール
芸人。1978年、千葉県生まれ。漫才協会副会長。2001年、お笑いコンビ「ナイツ」を土屋伸之と結成。2008年度以降、3年連続でM-1グランプリ決勝に進出する。漫才新人大賞大賞、お笑いホープ大賞大賞、NHK新人演芸大賞大賞、第9回ビートたけしのエンターテイメント賞 日本芸能大賞、浅草芸能大賞新人賞、第10回ビートたけしのエンターテイメント賞 日本芸能大賞、第68回文化庁芸術祭大衆芸能部門優秀賞、浅草芸能大賞奨励賞、第67回芸術選奨大衆芸能部門文部科学大臣新人賞など、受賞多数。集英社新書『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』、8/9発売!