コンセッション(優遇措置)が適用されるなら、ありがたく受ける
MotoGPの開発に深く関わる話題で現在最もホットなトピックのひとつは、ホンダとヤマハに対してコンセッション(優遇措置)を適用するかどうか、ということだ。ドゥカティ・アプリリア・KTMという欧州メーカーに大きく後塵を拝する日本企業勢の戦闘力を向上させるために、開発規制を緩やかすることでいわば技術的なゲタを履かせ、キャッチアップさせやすくしよう、という措置だ。これを実施するためには現状の技術規則を変更することが必要で、その変更には参戦全企業からの合意が必要になる。
ともあれ、最大の当事者であるホンダは、このコンセッションという待遇をどのように捉えているのだろう。
そこに参加している全員(メーカー)のコンセンサスを得る方向になるべきなので、我々は当然、そこで議論されたものに従います。我々だけのことについて言うならば、適用されたほうが開発が進むわけですから、コンセッションが適用されるのならそれはありがたいことだと思います。開発機会がないとレース現場で安定したレース運営をできないことにも繋がるので、ライダーに負荷をかけてしまうことにもなりますから。
──そんな処遇を受けるのは屈辱的だ、という声も一部にはあるようですが、HRCとしては、「名」より「実」を取る、ということですか?
先ほども言ったように、全員のコンセンサスがそうなるのであれば、機会がもらえるのに我々はそれを使わない、ということはないですよ。裏返した言い方をすれば、コンセッションが適用されるのならばそうさせていただく、ということです。
──ホンダとヤマハがMotoGPの世界で苦戦しているのは、それがたまたま日本の2メーカーであるにすぎないのでしょうか。あるいは、昨今様々な産業界で日本企業のプレゼンスやシェア、競争力などが著しく低下していることがモータースポーツの世界にも現れているのかもしれない、とも思えます。
けっしてそういうわけではないと思います。これはあくまでも個々の問題でしかなく、少なくともMotoGPについては我々のやり方に問題があった、というだけのことだと思います。たとえば四輪のF1で私たちは世界一のパイロットを輩出しています。トヨタさんも世界全体で大きな販売台数を誇っていらっしゃいます。けっして技術的に日本がダメになったということではなく、あくまでもやりかたの問題だと思います。
レース界から視点を高いところへ上げて自動車関連産業を広く俯瞰すると、世界全体の潮流は明らかにカーボンニュートラルの方向へ舵を切っている。持続可能な社会を目指す世の中の風潮に今後のレース界も歩調を合わせていくのであれば、環境に強い負荷を与える内燃機関を使って競技を行うモータースポーツや、そのモータースポーツを生業とするHRCの活動は、これからの世界に対応していくためにどんなふうに変わっていく必要があるのだろう。
間違いなくカーボンニュートラルの方向は進めていかなければ、今後は(レースを)継続できないと思います。それが電動化の方向なのか、それとも環境負荷の低いカーボンニュートラル燃料を使いながらレースをするのか、ということについては、今はまだ見極めの時期でしょう。
私が冒頭で説明させていただいた四つの柱の中には、事業貢献という項目があります。事業の本体は電動化に大きく舵を切っているので、レースというフィールドを活用しながら電動技術を勉強し高めていくことは必要だと思います。ただし、レースは面白くなければいけません。そこのところが、今は電動だけではなかなか見いだしにくい部分があるのも事実なので、当面は内燃機関が中心となってカーボンニュートラルに対応しながら少しずつ電動で勉強をしてゆき、これらの活動を通じてホンダ本体の事業に貢献していく、という概要を思い描いています。
──要素技術でいえば、それはたとえばどういうものですか? 特に二輪車の場合は各社の発表量や内容がまだ少ないこともあり、量産車の将来がどうなっていくのかよくわからない部分も多いように思います。量産車技術にレースはどういう形で貢献していくんでしょうか?
カーボンニュートラル燃料はレースの中で相当な研究をできると思います。モーターについても、小型で高出力の研究開発はレースを通じてできるでしょう。また、F1でもそうですがバッテリー開発もできるので、事業本体とのリンクはいろいろとできると思います。
──先ほど、「レースは面白くなければならない」という言葉がありましたが、環境の持続可能性を目指す方向とモータースポーツのレースは、相反する要素があるんでしょうか?
いや、相反してはいけないと思います。
──これはあくまで個人的な印象なのですが、四輪も二輪も、モータースポーツはもともとアウトロー的な要素が魅力だったように思います。そのアウトロー的な魅力は、「環境にやさしい」「持続可能な社会に向けて」という考えを取り入れることで、レースにあったはずの荒々しい魅力がどんどん薄まって人畜無害化されてゆくのではないか、とも感じます。
たしかにおっしゃるとおりです。しかし、そこを技術で乗り越えていかなければ、レースそのものが将来に生き残ってゆくことはできないでしょう。だから、そこは粘り強く研究開発やレース活動を通じて進めていきます。そしてその粘り強い作業で電動化を見据え、内燃機関も使い、いろんな方法で将来のあるべき方向性を目指してゆく、ということですね。
[インタビューを終えて]
ホンダ二輪レース活動を束ねるHRCを率いた歴代の人物は、我々現場で取材をする者から見ると、一筋縄ではいかない頑固で強面の難しさを感じる反面、気さくで飾らない豪放磊落さも併せ持つ、いわば職人気質の人々が多かったように思う。
ところが、今回の取材で話を聞いた渡辺康治氏は、強面の職人気質というよりもむしろ、誠実で実直な姿勢で、こちらが投げかける数々の無礼な質問にも真摯かつ丁寧に回答を述べようとしてくれる姿が印象的だった。欧州四輪事業部長やブランドコミュニケーション本部長を経て現職に就いたという経歴を知れば、その篤実な人物像にも納得がいく。そんな渡辺氏が、これからどんなふうにマネージメントスキルを発揮してホンダMotoGPの不振を立て直していくのか、というところに、新生HRCで二輪と四輪のレース技術者集団を束ねる手腕と求心力が問われているのだろう。
質疑応答の中にもある、二輪と四輪の技術や人材交流を活性化させ、「従来型の積み上げ」ではなく「抜本的な改革」を成し遂げて強いホンダを復活させる、という目標がいつごろ、どんな形で実現するのかという具体像は、外部の我々にはまだ見えていない。それを達成するための道筋は、これも質疑応答の中にあったとおり、きっと時間のかかる作業だろうし、その過程ではさらにいくつもの試行錯誤が待ち受けてもいるだろう。
このインタビュー翌日の日曜日、鈴鹿8耐の決勝レースでHRCは圧倒的な強さを見せつけて優勝した。しかし、MotoGPで圧巻の強さを復活させるためには、その勝利の余韻に浸っている余裕はおそらくないのだろう。それは、渡辺氏とHRCの人々こそが、おそらくもっとも痛切に感じているはずだ。
取材・文/西村章 撮影/楠堂亜希
プロフィール
西村章(にしむら あきら)
1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。