著者インタビュー

コロナ禍での「新しい日常」の言説はなぜ戦時下のようなのか

『「暮し」のファシズム―戦争は「新しい生活様式」の顔をしてやってきた』 著…

大塚英志

 

太宰治と女文字

 

「第二章 太宰治の女性一人称小説と戦争メディアミックス」は衝撃的でした。あの太宰治の代表作の一つに数えられることもある小説「女生徒」が、実在した女学生の戦時下の日記をリライトしたものだったとは驚きました。

太宰治「女生徒」のモデルや書き換えの問題については、太宰研究の中ではかなり進んでいて、太宰ファンには周知の事実でしょう。太宰の「女生徒」と、それが下敷きにした女学生の「日記」を読み比べると、例えば、太宰は「日記」から教養小説や思想小説の読書歴、とくに南京大虐殺を取材して発禁になった石川達三の小説「生きてゐる兵隊」についての長い感想をカットすることで、「日記」にあった政治や社会に対する批判精神を削っています。それはなんのためか。当時のプロパガンダに加担してしまっていたのではないかということです。

戦時下のプロパガンダというと、どうしてもナショナリズム的な、「撃ちてしやまん」とか「鬼畜米英」とかのような勇ましい用語が連想されます。けれども、戦時用語に見えないような日常的な言葉が、実は戦時用語なんだということが大きな問題です。それを本書では「女文字」と名付けてみました。

 

 

つまり「女生徒」の文体は太宰の作り出した「女文字」だったと。

太宰は「女生徒」のほかにも女性一人称の小説を大量に書いています。なぜ彼は女言葉を装ったのか。日米戦争開戦の日を女性一人称で描いた太宰の短編「十二月八日」は完全に仕組まれた、女文字のプロパガンダです。しかも当時の婦人雑誌に掲載された。女文字というのは僕の造語だけれども、それは言わば分かりやすいプロパガンダの言葉です。プロパガンダだと見えないように、女性たちの言葉で日常や生活を語る女文字を作っていったのは、女たちもいたけれども、多くは男たちです。太宰の女性一人称小説もその流れの中で書かれています。

ここ何年かの傾向の一つとしては、僕と同じ題材を使って、戦時下の女性たちは生き生きした生活をして、おしゃれを楽しんでいたんだという主張があります。例えば、アニメ『この世界の片隅で』(こうの史代原作、片渕須直監督・脚本、「この世界の片隅に」製作委員会)、あれ自体は良質なアニメーション映画に見えるかもしれないけれども、あの映画に対する反応の中で、反戦的じゃないのがいいみたいな感想が語られたりしています。つまり、戦時下にも人々は生き生きと頑張って生活していたんだという言い方は、一見すると正しいことのように思えるけれども、その日常は、一体誰が作ったのか、そこのところにもう一歩踏み込んでいかないと、過去の歴史が見えてこないだけではなく、今の日常が見えてこないということになります。

 

共助は国家のサボタージュ

 

本書の「第四章 「サザエさん」一家はどこから来たのか」で紹介されている戦時下のマンガ(「翼賛一家」)は、ほのぼのとしたタッチで庶民の生活の知恵のようなことを描いています。

ご町内で協力し合うこととか、戦時下におうちでカステラを焼くこととか、衣服を整理して断捨離的なことをすることとか、子供たちが協力して何かをすることとか、一つ一つは正しく見える。その正しさの背後にあるものが何なのかということです。

菅政権の、自助、共助、公助にしても、みんな自助のほうに怒っているけれども、厄介なのは共助です。

共助は、発想としては、もともと柳田國男が農村の近代化のために農民が自ら協同組合のようなものをつくって農民同士が助けあうべきだと説いたのが始まりです。ところが、昭和初頭の世界恐慌で農村が疲弊したときに、当時の日本政府は何もできなくて、義務と共助の精神で何とかしろという政策を取った。そこで「共助」という言い方が出てきた。戦時下における共助とは、国家は戦争を推進していくから、おまえら庶民は自力で何とかしろ、ということでした。

つまり、共助とは、公共的なものから国家が撤退したりサボタージュしていくときの象徴的な言葉なのです。なぜか自助のほうにばかり批判が向かってしまって、共助はむしろいいことなんだと思われがちです。

 

ボランティアや子ども食堂などの助けあい活動は称賛されています。

まさに共同保育みたいなことは、戦争中に推進された新体制政策の一つです。しかし、それは、本来、公助が担うべきものです。個々の善意は否定してはいけないし、するつもりもないけれども、ただ、共助を持ち上げていく政治や社会が、自己責任を押し付ける社会や政治をつくりあげているのではないか。そこに目が向かないとまずい。

今、情報で操作されているとか言って陰謀史観に走りがちだけれども、それとは違うレベルで、私たちの日常が歴史的な蓄積の中で、思っていたものと違う姿を本当はしているんだ、あるいは違う来歴を持っていることに、気がついたほうがいい。

 

 

インタビュー・文:広坂朋信

撮影・写真提供 :内藤サトル

 

 

 

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プロフィール

大塚英志

1958年生まれ。まんが原作者、批評家。国際日本文化研究センター教授。著書に『大政翼賛会のメディアミックス』(平凡社)、『手塚治虫と戦時下メディア理論 文化工作・記録映画・機械芸術』(星海社新書)、『ミュシャから少女まんがへ 幻の画家・一条成美と明治のアール・ヌーヴォー』、『感情天皇論』(ちくま新書)、『文学国語入門(星海社新書)など多数。

 
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