著者インタビュー

コロナ禍での「新しい日常」の言説はなぜ戦時下のようなのか

『「暮し」のファシズム―戦争は「新しい生活様式」の顔をしてやってきた』 著…

大塚英志

テレワークにリモート会議、旅行や宴会は自粛、外出時にはもちろんマスク、コロナ禍で息苦しい「暮し」が続いているなか、気になる本が出た。2021年3月に刊行された、大塚英志氏の著書『「暮し」のファシズム』——戦争は「新しい生活様式」の顔をしてやってきた』(筑摩選書)である。1940年、近衛文麿政権が発足させた大政翼賛会のもとで、国民を戦争に動員するための「新生活体制」が提唱された。本書ではそれを確立するべく行われたプロパガンダの内実を、史料から読み解いている。

戦時下のファシズムの通俗的なイメージは、軍人が庶民を虐げているというものだが、本書が取り上げるのは、婦人雑誌、小説、まんが、広告に見られる、日々の生活向上にかかわることだ。現在のコロナ禍で言われる「新しい生活」「ていねいな暮し」「共助」「自粛」「断捨離」などの言説も、その起源は戦時下にたずねることができる。

なぜ、コロナ禍で戦時下の言葉が使われているのか。その起源と戦前と現代の連続性を、著者の大塚英志氏に訊いた。

 

『「暮し」のファシズム―戦争は「新しい生活様式」の顔をしてやってきた』 大塚英志/筑摩書房/1800円+税

 

 

 

 

戦時下のプロパガンダに頻出する「日常」

 

表紙にあしらわれたガスマスク姿の女学生の写真が強烈な印象です。

 

1936年の時事新報「戒厳令下の防空演習」の写真です。『「暮し」のファシズム』という題名が決まってすぐに、この写真を表紙にしようと決めました。本書の第5章で書いておきましたが、これは日本女子体育専門学校の学生で、着ているのは制服ではなく運動服です。それでも、現代のわれわれがこの写真をパッと見た瞬間にいだく違和感は、おそらく今から何十年かたってから2020年代をふり返ったときに感じるだろう違和感と重なることでしょう。町中を歩く人がみんなマスクをしている、そんな写真が2020年代初頭を象徴するように使われて、全員がマスクをしている姿は気持ち悪いなという生理的な感覚がはたらくようになったときに、初めてこの時代を相対化できるのかもしれません。

 

 

そもそもどのようなきっかけで執筆されたのでしょうか。

もともと戦時下の広告やプロパガンダ、文化工作についてここ何年か調べてきた中で、一つの題材として「日常」とか「生活」という言葉自体が、いわゆる近衛新体制、翼賛体制に向かっていく過程や翼賛体制下で政治的な文書やプロパガンダの文書の中に頻繁に出てくる印象がありました。その使われ方を見ていくと、戦後の「日常」と呼んでいるもの、例えば、隣組が起源になるような町内の風景は、実は戦時下に国策として作られたことが薄っすら見えてきた。それは僕の発見ではなくて、歴史研究でも定説に近いものです。それにくわえ、いくつか新しい資料も出てきたので、「日常」「生活」の問題をひとまとめにして書きたいなと思っていたところに、コロナ禍が起きた。するとコロナ禍での「新しい日常」の語られ方は、まさに、戦時下の近衛新体制の中で日常が政治的にデザインされていく過程と極めて似ていた。まるで知っていて繰り返しているように見えました。コロナを戦争に例えることによって、戦時下の思考や言葉を無自覚に引き寄せてしうように思えました。感染症なのだから、感染症対策をしなければいけないのに、「コロナとの戦い」と言ってしまった瞬間に、例えば「医療関係者にエールを」というのが、銃後で「兵隊さん、ありがとう」と言うのとどこか似た響きをもつ。それが、コロナ禍の中で、まさに浮き彫りになっていった。戦時下の言葉を呼び起こすことで、戦時下を無自覚に模倣してしまっています。

新しい日常を設計し直そうという機運の中で、日常のデザインのひな形として、過去が呼び起こされてしまっている。「日常」、「暮らし」、「工夫」だとか、そういった言葉が、実は戦時下に頻出していた言葉だということ自体が広く知られていません。

 

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プロフィール

大塚英志

1958年生まれ。まんが原作者、批評家。国際日本文化研究センター教授。著書に『大政翼賛会のメディアミックス』(平凡社)、『手塚治虫と戦時下メディア理論 文化工作・記録映画・機械芸術』(星海社新書)、『ミュシャから少女まんがへ 幻の画家・一条成美と明治のアール・ヌーヴォー』、『感情天皇論』(ちくま新書)、『文学国語入門(星海社新書)など多数。

 
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