著者インタビュー

本当の松本清張の時代は、没後に始まった――

『松本清張 「隠蔽と暴露」の作家』著者・高橋敏夫氏インタビュー
高橋敏夫

──「主人公は犯人」というスタイルは、最初に語られた少年時代の体験と同じで「作品のなかで描かれていた事件が、自分の身のまわりでも起こりえるものだ」と感じさせることにもつながると思います。『松本清張 「隠蔽と暴露」の作家』では、松本清張とプロレタリア文学の接点についても語られていますが結局、20世紀初頭の世界で一世を風靡したプロレタリア文学が生き残れなかった敗因は「問題を個人のレベルに落とし込めなかった」という点にあると思えてきます。

 

高橋 松本清張が作家としてのキャリアを通じて追求したテーマは「資本主義社会の暗部」の暴露でした。その点はプロレタリア文学と同じです。しかし、清張は問題を個人のレベルに落とし込むことで、より多くの読者の共感を得ることに成功した。

これは、再び池波正太郎との比較になりますが、池波さんには長谷川伸という師匠がいたのに対し、清張には師匠も、また弟子もいなかった。終生、群れを作らなかった作家です。問題を個人のレベルに落とし込むことに成功したと言うよりも、彼にとって問題とは、否応なく個人が背負うものという体験的認識があったのかもしれません。

また、労働者という集団の立場から「資本主義社会の暗部」を訴追していたプロレタリア文学が、集団ゆえに社会主義に対して過剰な幻想を抱いていたことはソ連崩壊という事実が証明しています。プロレタリア文学の世界的隆盛から約半世紀を経た時代、つまり松本清張が作家として絶頂期を迎えていた当時には、むしろ清張が追い続けた「資本主義社会の暗部」ではなく、世界的にはアレクサンドル・ソルジェニーツィン(1970年にノーベル文学賞を受賞)らによる「社会主義社会の暗部」を告発する文学が注目を集めていました。

奇しくもソ連崩壊(1991年)から1年を待たずして松本清張は没していますが、わたしが「本当の松本清張の時代は、没後に始まった」と考える理由は、ここにあります。作家としてデビューしたのちも師匠も弟子もいなかった清張は、かつてのプロレタリア文学が抱いていた社会主義に対する過度な幻想も抱かず、「社会主義社会の暗部」を指弾する文学が注目を集めていた時代にもブレることなく、晩年にはグローバルな規模にひろがる「資本主義社会の暗部」に問題意識を持ち続けた。

そしてソ連の崩壊後、現在の世界が直面しているのは、野蛮な資本主義ともグローバル資本主義とも呼ばれる巨大システムの跳梁と、その反動からくる世界と社会の分断と抗争状態です。松本清張の描き告発し続けてきた社会的暗部が枠組みもろとも、どっと社会の表へ、歴史の表へとでてきたと、わたしには思えます。

松本清張は、特定の社会思想や理論から一挙に社会の核心と社会的存在である人間の核心に到達するのではありません。むしろそうした思想や理論を括弧にいれ、ごく普通の人の日常と、そこにおける日々の自然成長、自然発生的な「疑い」、やむにやまれぬ「疑い」をとおして一歩、一歩、少しずつ、少しずつ核心に迫りました。そこに人と社会と国家の暗黒を、ときにはグローバル規模の暗黒を浮かび上がらせたのです。

タイトルにも描写にも「黒」という言葉を多用し、黒に魅せられたような松本清張は、明るくポジティブな思想やそれを体現する人間や集団を描きませんでした。松本清張の作品世界には、暗くネガティブな出来事や人間がこれでもか、これでもかとばかりに出現し続けます。それらは、その一つ一つに直面した者が、別の生きかた、別の人間関係、別の社会への一歩をはじめないわけにはいかない、惨禍、凶事、災厄、業苦の黒々とした事件の山脈といってよいでしょう。その意味では、松本清張の絶望の山脈は希望の山脈でもあるのです。

 

──今回のタイトルにある「隠蔽と暴露」は、松本清張の主調低音について、その手法を表現した言葉ですが、資本主義・社会主義を問わないものですね。権力はつねに都合の悪い事実を隠蔽する方向に動き、それに対しては必ず暴露しようという存在が現れる。非常に普遍的です。

 

高橋 松本清張については、これまで求められるまま、単発的に書いてきました。それを一冊の書籍にまとめようという気持ちもなかったわけではないのですが、急ぐことはないと思っていました。

その意識を変えたのが2014年12月に施行された特定秘密保護法でした。この法律の性格をひと言で表現すれば「何が秘密か、わからなくする法律」「それでも、暴いた秘密が法的に保護されていれば、暴露の行為は処罰の対象となる」というものです。とても危機感を覚えました。「隠蔽と暴露」の作家である松本清張にぜひ戻って来てもらおう、とわたしは思ったのです。日々の出来事、日々の人間関係をただ漠然と受け入れるのではなく、「何故だろう、何故だろう」と日々刻々、現状への問いを発し続け、それを問い詰めた松本清張に戻って来てもらおうと。それが『松本清張 「隠蔽と暴露」の作家』の執筆をはじめた動機のひとつですが、企画から脱稿までに3年近くかかったことになります。その間に、さらに集団的自衛権を認めた安保法制、共謀罪(テロ等準備罪)も成立してしまいました。松本清張のよみがえりがますます必要になってきたのです。

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プロフィール

高橋敏夫

1952年生まれ。早稲田大学文学部・大学院教授。文芸評論家。早稲田大学第一文学部卒業、同大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は近現代日本文学。『藤沢周平――負を生きる物語』『ホラー小説でめぐる「現代文学論」』『井上ひさし 希望としての笑い』など著書多数。

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