著者インタビュー

本当の松本清張の時代は、没後に始まった――

『松本清張 「隠蔽と暴露」の作家』著者・高橋敏夫氏インタビュー
高橋敏夫

1月17日に刊行された『松本清張 「隠蔽と暴露」の作家』。秘密と戦争の時代にこそ、今と過去を丹念に探ることが求められるが、なぜ今、松本清張なのか? 著者である高橋敏夫氏に聞いた。

――松本清張(1909〜1992年)の作品は没後も頻繁に映像化されていて、2017年には『黒革の手帖』や『鬼畜』などがテレビドラマ化されています。時代が変わっても風化しない理由はどこにあるのでしょう?

 

高橋 書かれた小説が間を置かずに映画化されるなどして、文学と映像作品の両面で社会現象となっていくという意味で、松本清張はおそらく日本で最初の作家でしょう。わたしの個人的な「清張体験」も、まだ小学生だった1960年前後にテレビで見た松本清張原作のドラマでした。その体験は今でも、非常に強く記憶に残っています。

サスペンスドラマなので人を殺すシーンもあって、その緊迫した状況に子どもが「怖い!」と思うのは当然ですが、松本清張の作品の特徴は、物語が終わったあとに本当の恐怖を感じるところです。つまり、作品のなかで描かれていた事件が、自分の身のまわりでも起こりえるものだと感じてしまう。一緒にテレビを見ていた母親が自分の知らない重大な秘密を隠しているように見えてきたり、どうかすると何もないのに後ろを振り返ったりしました。こんな体験は、松本清張の作品が、作品内のドラマに閉じてしまうのではなく、同じ時代、同じ社会の闇へと開かれていることからきたのでしょう。

松本清張の作品がこのところ頻繁にテレビドラマ化されているのは、松本清張のとらえ告発した社会と時代が終わらず、むしろ現在の「秘密と戦争」の暗い時代においてふたたび顕著になりはじめているのではないか。そんな思いが今回の試みにわたしを駆り立てました。

 

──今回の『松本清張 「隠蔽と暴露」の作家』では、第Ⅰ部・第一章で作家の生い立ちからデビュー前夜までの生活史・表現史をトレースしながら、社会の最下層(『半生の記』)からやってきた作家であること。学歴や職種で差別される側にいたこと。関心を「未来」ではなく「過去」に向けざるをえなかったことなどを、作家の特色として浮かび上がらせています。ここを読んで興味深かったのは、松本清張と同じように没後も読まれ続け、現在も映像化された作品を目にする機会の多い池波正太郎との共通点です。どちらも学歴は高等小学校卒業で、その後、池波正太郎は株屋の丁稚奉公。戦後も作家として確たる地位を築くまでは徴税人として働いています。

 

高橋 ただし、松本清張と池波正太郎には決定的な違いがあります。まず、学歴や職業遍歴を見れば共通点が見出せますが、池波さんは丁稚時代のこともエッセイなどで楽しそうに振り返っています。要は、東京の、というよりは江戸の文化を楽しんでいて、自分が江戸っ子であるという自負が強かった。それに比べると松本清張の場合は、両親は仕事を求めて各地を転々としていて、清張が生まれてからは、たまたま小倉(福岡県北九州市)に居着いたというだけですから。松本清張は、そこでの自分の暗い暮らし、下層の人々の生活について愛着と強い共感は持っていましたが、小倉という街全体への、いわゆる郷土愛のようなものは持っていなかったと思います。

こういった郷土への対し方という点で言えば、松本清張は池波正太郎ではなく山本周五郎に似ている。山本周五郎は山梨県の出身ですが、父親はやはり職を転々としていて、周五郎が小学校に入学するタイミングで東京に出てきます。周五郎は作家となってからも、山梨への郷土愛を感じさせるような文章は一度も書いていません。周五郎のように徹底したものではないにせよ、清張と郷土との関係は正太郎のような幸福なものではなかったのです。

このことは、池波正太郎と松本清張が描くそれぞれの悪人像の違いに顕著な影響を及ぼしていると思います。池波正太郎の代表作、たとえば『鬼平犯科帳』に登場する悪人は、悲惨な過去を持っていても、どこかカラッとしている。自分の思いをほりさげるということがない。登場する悪人にも、江戸の生活秩序への作者の信頼といったものが透けて見えるのです。

 

──いっぽう、松本清張の作品の多くは「主人公は犯人」と言ってもいい。それは、事件の背景にある犯人の過去が、物語の中核をなしているからだと思います。

 

高橋 池波作品に登場する悪人がカラッと映るのは書き方にも関係しています。よく知られているように池波さんの師匠は、長谷川伸という大衆文学の祖の一人にして、新国劇の劇作家でした。池波作品の多くも小説の形をした脚本と言えるでしょう。脚本は動作と台詞で成り立ち、人の内面や、その複雑な思いへと踏み込まない。実際に『鬼平犯科帳』では悪人が誰かをズバッと斬ったあと、いきなり「その夜……」と場面が換わる。

松本清張の作品では、歴史時代小説でもそんな転換はない。カラッとしていない。たとえば、犯行のあと「10年前……」と過去へ、事件の背景へと描写が移っていきます。しかもそこに現れる過去の出来事も土地の背景もじめじめしていて暗い。どちらが良い、悪いではなく、池波正太郎のスタイルでは「主人公は犯人」とはならない。

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プロフィール

高橋敏夫

1952年生まれ。早稲田大学文学部・大学院教授。文芸評論家。早稲田大学第一文学部卒業、同大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は近現代日本文学。『藤沢周平――負を生きる物語』『ホラー小説でめぐる「現代文学論」』『井上ひさし 希望としての笑い』など著書多数。

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本当の松本清張の時代は、没後に始まった――