プラスインタビュー

椎名林檎を論じて見えてきた現代の大衆と文化

「2021すばるクリティーク賞」受賞者、西村紗知さんインタビュー
西村紗知

今回の論考の核になった江藤淳の『成熟と喪失』ですが今の時代に読むには難しい論ですよね。江藤によると、自然とは母であり、女であり、そして妻であるとつながっている。さらに、自然は農耕民族としての日本であり、人工は騎馬民族=カウボーイとしてのアメリカである。男=夫=人工=騎馬民族=アメリカと、女=妻=自然=農耕民族=日本との二項対立で進んでいきますし、性差による役割分担を押し付けているようにも読めてしまう。

しかしながら、今回の『すばるクリティーク』の最終選考に残った論考は、西村さん含め5本中3本が江藤淳を参照している。それに加えて『文藝 』(2021年春号/河出書房)では、文筆家の水上文さんが『推し、燃ゆ』の批評で『成熟と喪失』を用いている。江藤をリアルタイムで知らない20代、30代が江藤淳を取り上げている。なぜいま江藤なのか、不思議なんです。 

私は『成熟と喪失』を全部自分の話だなと思って読みました。

 

上野千鶴子も、文庫版(講談社文芸文庫/1993年刊)の解説で「時代の自画像を写しだす、鏡のような作品」と書いていますね。

日頃母親と一緒に家事をこなしていた女性には刺さるんですよ。男性には刺さらないと思う。『成熟と喪失』の冒頭近くで、家は母親にとって「ただの物質ではなくて精神の延長」だと言うじゃないですか。あそこでもうつかまれる。そこから先は、ただただ自分の経験として読みました。地方の核家族で生まれ育った女性の背負っている、原罪のようなものがあると思うんですよ。それを背負っていたら、『成熟と喪失』は読めると思います。

 生まれてこの方環境には恵まれていて、好き勝手やらせてもらってきたとは思っていますけど、それでもどこか自由意思のある存在として生きている心地がしないんですよ、私。今は都内で暮らしていますが、いまだに家庭内労働力として生きている感覚があります。今の時代の核家族なら、なお一層そういう原罪の感覚みたいなものはあると思う。具体的に誰が悪いって話じゃない。

 

今の話を伺っていて、やはり江藤淳はすごいところあるなと思いました。江藤は1930年代に東京に生まれた男性で、「父性」を強調するようなマッチョな側面が目立つ。だけど実は、現代の女性の、家に規定されてしまうリアリティを捉えている。

地方の家族はいま根無し草なんです。伝統的な家概念を守るといったことは考えませんが、実際問題として家庭内労働力がいなくなったら大変なことになる。結局、家というものがそこで回帰してくる。

 

なるほど。今の日本社会において、家概念が戻ってきている。

そう。一度浮遊してしまったがゆえに戻ってきている。浮遊するにも余裕は必要で、生活が不安定になったら家に還るしかない。しかも、私の両親ぐらいの世代の人の多くは、帰ってきているということに気づいていない。ゆとり世代と呼ばれた今の20~30代は、何となく気づいている。だから、いま江藤淳なんじゃないですかね。

 リベラルな考えを持っていて、アンチ家父長制みたいな生き方を体現したところで、じゃあ家事は誰がやるんですかみたいな現実問題は誰も避けられない。

 

現実的に、家計を支えることが問題になる。

家計や家事は、観念論じゃないですよね。親の世代は景気もよかったから、あんまり考えなくても済んだかもしれない。我々はそういう世代じゃないじゃないですか。上の世代が観念的に「古いよね」と切り捨てていたものが、リアリティとして帰ってきている。地元にはコンビニが歩いて行けるところにないし、出前もない。ウーバーイーツなんてあるわけない。 家概念を壊す方法は、そういう資本主義の世界に依存することじゃないですか。そんなものがない。ばりばりに弱っている。

 逆に言うと、資本主義によって地方が取り残されている。人が少ないと、儲けがでないから私企業が撤退していく。市場原理で考えると、過疎化している地方を見捨てることが理に適う。 地方に暮らす人間にとっては、ファミレスがなくて、電車も1時間に1本しか来ないとなったら、じゃあ明日の御飯どうするの、どうやって学校に行くのという話になる。だとすれば、家というシステムに頼る以外ないですね。

 

しかも、そこには高齢化社会、介護のような重たい問題も含まれている。

そうすると、やっぱりリベラルでは刺さらないですよね。実際生活できないですからね。 インターネットも、私が高校生だった2007年の時には実家に開通してはいたものの、動画サイトを視聴できるほどのネット環境ではなかったので、ニコニコ動画をはじめとした文化にアクセスすることなんてできませんでした。そこで起こっている二次創作や、それ以前に語られていたポストモダンも、私には関係ない。地方に住んでいた私にとって、近代は全然終わっていないものなんです。

とくに、ポップカルチャーは一方的に与えられて拝むもので、二次創作文化のような双方向性なんて考えられなかった。 前回のすばるクリティークでは松本人志論を送って最終選考まで残ったんですが、松本人志も椎名林檎も、90年代生まれの田舎者にとってはめちゃくちゃアヴァンギャルドなんですよ。市民社会において生活している大衆の何かをやっぱり解放する力を彼らは持っていると、今でも信じています。たとえば、90年代から2000年代初頭の松本は、お下劣だったり汚かったりすると思うんですけど、汚いだけではなくて、やっぱり解放なわけですよ。ブラウン管の世界を見て何か解放感を得たからといって、別に明日からの暮らしが良くなるわけではない。本当にひと時の解放だなとは思うけど、そのひと時がすごい力を持つわけですよね。一瞬でも解放につながる。そういう力を持っている彼らを、いまだに信じています。

 

 

取材・構成 伏見瞬

 

 

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すばる 2021年2月号

プロフィール

西村紗知

1990年、鳥取県生まれ。2013年東京学芸大学教育学部芸術スポーツ文化課程音楽専攻(ピアノ)卒業。2016年、東京藝術大学大学院美術研究課芸術学専攻(美学)修了。2021年1月に『椎名林檎における母性の問題』で第四回すばるクリティーク賞を受賞。

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