プラスインタビュー

その場所には何があったのか―― 場所の記憶を掘り起こし、未来につなぐ建築 1

建築家・田根剛インタビュー

田根剛
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 建築における場所性は、ル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエに代表される20世紀のモダニズム建築にとっては関心の埒外にあった。ミースが提唱したユニバーサルスペースが端的に示すように、近代建築はその出発点において、普遍的で均質な空間を志向した。田根は自分の設計において場所の持つ意味をこのように語った。

「近代建築はその場所に蓄積された多くの時間を切り離し、新しい未来をつくるという一方向に進んでいったように思えます。それは『新しさ』という夢を追う営みだったかもしれません。記憶を持たず、重い歴史の桎梏からすべてを解放することこそが近代建築のマニフェストだったわけです。しかし近代化がつくりあげた『新しさ』を求めるシステムによって、都市はスクラップ&ビルドを繰り返し、その結果として都市の記憶はどんどん失われています。土地も建物も商品化され、それらを商品として扱う消費者によって建築の未来が決められるようになってしまった。僕はこの先には建築の未来はないと感じています」

 モダニズム的な方法論に対する批判的な再検討という試みは、決して新しいものではない。建築の世界では1960年代からモダニズムの限界が意識されるようになり、モダニズムが排除した建築の装飾性や象徴性、歴史性、場所性などを再評価する理論的な試みが顕著になった。77年には建築批評家のチャールズ・ジェンクスが「ポスト・モダニズムの建築言語」を発表し、モダニズム建築の死を宣告した。田根の「場所の記憶」というコンセプトは70年代から80年代に流行したポストモダン的な歴史主義とは一線を画しつつも、過去との参照によって建築を構築する可能性を示唆している。

「ポストモダンも70年代の時点で、このままモダニズムをやっていても先がないと、いろいろな文化領域の先達が直感的に感じたことが出発点だったと思います。つまりモダンの先を考えなければならない時代が来たわけですが、そこではどうしても理論だけが先行してしまい、現実では安易な建築史的様式の引用に終始していたようなところがありました。モダニズムの進歩主義的な歴史観を否定した結果、あらゆる歴史的様式は等価なのだから建築家はどの様式を組み合わせても構わない。それがポストモダニズムの実験的で基本的な考え方でした。従って当時はその理論をそのまま実作に持ち込むことが重要で、具体的な場所そのものやその場所に固有の特異性といったものに着目する視点は乏しかった気がします。結果としては日本のバブル期の建築が示すように、ポストモダンのデザイン・パッケージが商品として消費され尽くしてしまった。僕がヨーロッパで惹かれるのは北欧やスイス、南米にある固有の建築です。モダニズムに取り組みながらも、その場所でしか実現できない建築の固有性にこだわり、その葛藤の中で自分の建築をかたちにしていくような建築家です」

 

次回は2月7日に掲載予定です

構成・文 鈴木布美子

 

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プロフィール

田根剛

建築家。1979年東京生まれ。ATELIER TSUYOSHI TANE ARCHITECTSを設立、フランス・パリを拠点に活動。2006年にエストニア国立博物館の国際設計競技に優勝し、10年の歳月をかけて2016年秋に開館。また2012年の新国立競技場基本構想国際デザイン競技では『古墳スタジアム』がファイナリストに選ばれるなど国際的な注目を集める。場所の記憶から建築をつくる「Archaeology of the Future」をコンセプトに、現在ヨーロッパと日本を中心に世界各地で多数のプロジェクトが進行中。主な作品に『エストニア国立博物館』(2016年)、『A House for Oiso』(2015年)、『とらやパリ』(2015年)、『LIGHT is TIME 』(2014年)など。フランス文化庁新進建築家賞、フランス国外建築賞グランプリ、ミース・ファン・デル・ローエ欧州賞2017ノミネート、第67回芸術選奨文部科学大臣新人賞など多数受賞 。2012年よりコロンビア大学GSAPPで教鞭をとる。

 
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