プラスインタビュー

その場所には何があったのか―― 場所の記憶を掘り起こし、未来につなぐ建築 2

田根剛・建築家

田根剛
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 田根は1979年に東京で生まれた。少年時代はサッカーに熱中し、高校生のときにはジェフユナイテッド市原・千葉のクラブユースに所属、プロのサッカー選手を目指した。サッカーに取り組んだことは、建築家としての仕事にも役立つ点があったという。

「高校生の時点でプロ意識を叩き込まれたことは大きかったと思います。僕はミッドフィールドのポジションでした。このポジションは、常に動きながら全体を考え、単にボールを蹴るだけでなく、ボールの軌跡や受け方の美意識が高くないと駄目なんです。空間に対する身体的な感覚というのは必然的に鍛えられますから、それが建築を手掛けるうえで役立っているところはあると思います」

 しかし怪我などの理由でJリーガーへの夢は断念。新しく進むべき道を模索するなかで出会ったのが建築だった。特に北海道での学生時代に見た安藤忠雄の「水の教会」からは大きな刺激を受けたという。

「大学の図書館で写真を見て、衝撃を受けました。たまたま大学が北海道だったので、友達とトマムまで実物を見に行きました。その時の鳥肌が立つような感動は今でも忘れられません。初めて建築というものを空間として体験した気がしました。」

 田根は北海道の大学在学中、2000年にヨーロッパに留学し、建築の勉強を続けた。歴史の層が幾重にも堆積したヨーロッパの都市のなかで、彼の建築的思考は育まれた。

「以前、現代美術家の杉本博司さんに『田根さんの建築は文学があるよね』と言われたことがあります。確かに建築は世代を超えて語りつぐものを内包することができます。杉本さんはそれを文学と呼んだのだと思いますが、やはり建築家にはそうした記憶装置をつくるという役割があると思います。かつては都市や建築が記憶装置として機能していた。近代化によって排除されてしまったその役割を、もう一度建築に取り戻したいという思いは強くあります。

 本来、建築はその場所と不可分の存在であった。建物はその場所と一体化することで初めて建築となりうる。長い時間のなかで建物に増築や改修が行われていても、建物がその場に存在することで、設計者のコンセプトは生き続ける。そうした建築のあり方を田根はヨーロッパや日本の古い建築物から学んだという。

「ロマネスクの修道院やゴシックの聖堂、日本の寺社仏閣といった、近世以前の時代の建物は、ひとつのものが次のものをつくり、その次のものが何かをつくるという時代の積み重ねでできています。例えばパリのノートルダム寺院は13世紀以降、幾度も増築と修復を繰り返し、建物の姿は大きく変わっています。しかしノートルダム寺院を訪れる人にとって、あの場所と建物の持つ意味は変わっていません。ものを建てるという営みが、すでにあるものを前提にその次のものを肯定していくという作業になっているわけです。ヨーロッパの古い都市についても同様のことが言えます。地図上では不思議な形をしていても、その場に行くと身体的に都市が納得できています。これは基本的に、長い時間をかけて更新的に都市や建築がつくられているからだと思います」

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プロフィール

田根剛

建築家。1979年東京生まれ。ATELIER TSUYOSHI TANE ARCHITECTSを設立、フランス・パリを拠点に活動。2006年にエストニア国立博物館の国際設計競技に優勝し、10年の歳月をかけて2016年秋に開館。また2012年の新国立競技場基本構想国際デザイン競技では『古墳スタジアム』がファイナリストに選ばれるなど国際的な注目を集める。場所の記憶から建築をつくる「Archaeology of the Future」をコンセプトに、現在ヨーロッパと日本を中心に世界各地で多数のプロジェクトが進行中。主な作品に『エストニア国立博物館』(2016年)、『A House for Oiso』(2015年)、『とらやパリ』(2015年)、『LIGHT is TIME 』(2014年)など。フランス文化庁新進建築家賞、フランス国外建築賞グランプリ、ミース・ファン・デル・ローエ欧州賞2017ノミネート、第67回芸術選奨文部科学大臣新人賞など多数受賞 。2012年よりコロンビア大学GSAPPで教鞭をとる。

 
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