鼎談

第一回 現代トルコの戦国時代的智慧と大陸的人材に学ぶもの

内田樹先生、スーフィー研究者に会う
内田樹×中田考×山本直輝

伝統を守ってきた人々

山本 あと、これは私自身の研究テーマなんですが、現在のトルコでの伝統イスラーム学の復活と知識が引き継がれていく様子を10年くらい見てきました。

イスラーム学の私塾EDEP内装
イスラーム学の私塾EDEP外観


 アラブ人ってモビリティが高い民族なので、自分で個人的に寺子屋を開いて、そこで人を教える。かつ、それで稼ぐんじゃなくて、本業はお医者とか別にあって、あくまで休日に教えて、それを受け継いでいくという感覚が、それも身体として分かっているというか、学びの仕方と教え方というのを分かっている人たちがやってきたんだと思います。でも、僕が11年前にトルコに最初に留学した当時ってイスラーム伝統学を教えている寺子屋的な教育NGOってイスタンブールにほとんどなかったんです。それが今、シリア内戦を経て難民としてやってきたシリア人学者の協力もあり、30以上あるんですよ。そのうちのいくつかは中東全体でみてもトップレベルで、今や、エジプトの一番権威の高いイスラーム学の大学であるアズハルよりも質が高いと言われていて、ヨーロッパやアメリカのムスリムが留学しにくるくらいです。

中田 トルコ社会は宗教熱心な人々と世俗的な人がかなり両極化しているんです。そして日本人の外交官や新聞社の特派員やビジネスパーソンたちが付き合うようなトルコ人は、世俗的な人々ばかりで、彼らは敬虔なムスリムたちとの交わりがないので、敬虔なトルコ人たちの暮らしぶりや気持ちが分かっていないんです。彼らトルコ人自身がそういうことを全く知らないので、彼らとしか付き合っていない日本人には全然伝わってこないんですね。

山本 かつシリア人のイスラーム学者の寺子屋を手伝っているのはクルド人のイスラーム学者なんですよ。クルド人って、日本の報道だと、クルド難民とか、あるいはクルドの独立闘争でしか知られてないんですけど、そういう主張をしているのは、クルド人の中の全体の10%以下の共産主義者達なんですね。

中田 そうだね。共産主義だね。

山本 でも、実際にトルコに行ってみると、僕の知り合いの半分はクルド人ですし。でも、日本に来ているクルド難民って、「トルコではクルド人は生きていけない。人権がないからここに逃げてきた」と言うじゃないですか。そういう一面もあるのかもしれないけど、だったら僕の今目の前にいるクルド人は何なのかとも思うんです。イスラーム学関係の学部が主催している研究会にいくと、研究者の8割はクルド人だったりします。

 クルド人のイスラーム学者の強みというのは、もともと国境沿いに住んでいた人たちなので、そういう意味でグローバル感覚がすごくあって、クルド語も話せるし、トルコ語も話せるし、彼らも正規の学校以外に寺子屋にずっと通っていて古典アラビア語も堪能です。国境沿いは監視や規制が弱いので、イスラーム学の私塾みたいなのがたくさんあるんです。彼らはそういうところで育っていて、彼らの先生にクルド人以外に、アラブ人、トルコ人もいて。そういう人たちを通じてシリア難民を国境沿いからイスタンブールの都市部に送るんですね。そうして彼らの支援の下でイスタンブールに私塾ができて、という流れで、過去20年の間にイスタンブールに伝統イスラーム学が復活したんです。

写真真ん中の人物がクルド人のイスラーム学者フスヌ・ゲチェル。コロナにより2021年に死去。

 それはトルコ人だけではなくて、クルド人の協力もあるし、アラブ人も関わっているし。私塾の学生には中東アジアから来た人もいれば、中央アジアから来たトゥルク系の人、アフガン人もいるし、ヨーロッパやアメリカの改宗ムスリムもいる。だから、トルコのイスラーム学復興というのはトルコ人だけのものではなくて、いろんな民族的ルーツを持つ人の力が合わさって実現しているんですね。でも、こうしたことはアメリカのメディアでもあまり取り上げられないじゃないですか。ヨーロッパでも。あれだけムスリムの移民がいるのに。

中田 それが今回のウクライナ危機で、ウクライナやロシアからも難民がたくさん入ってくるようになったので、それによってどんどんグローバル化が進んでいるんです。そういう部分は一切日本には伝わってきませんが。

山本 今、ヨーロッパやアメリカにいるムスリムの二世、三世、ムスリム系アメリカ人みたいな人もイスタンブールの寺子屋に勉強しに来ているんです。ところで、その人たちが一番好きなサブカルは何かというと、漫画なんですよね。寺子屋に勉強しにくるようなガチ勢のムスリムでも『NARUTO―ナルト―』は大好きなんですよ。

中田 本当にそういう世界なので、ちょっと日本だと想像ができないと思いますね。

山本 実はこれは全てつながっているんです。シリア難民を助けているクルド人も『NARUTO―ナルト―』に出てくるカカシ先生や自来也先生が大好きみたいな。中田先生もどこかでエッセイ書かれていたじゃないですか(集英社新書プラス書評「シリア、イラクで戦う相楽左之助――もう一度何が正しいかを自ら考え直すために」2014年7月31日)。イスラーム国の戦場に行くと、『るろうに剣心』のコスプレしているやつがいたりとか。

中田 彼はもともと流刑地だったシベリアから来たタタール人だったので、恐らくクリミア・タタール人かカラン・タタール人なんですけど、それがシベリアに強制移住させられているので、多分その子孫なんですね。そこからイスラーム国に移住してきたんです。現地でいきなり日本語で話しかけられて、びっくりしました。

山本 それも“アニメ日本語”なわけですよね。

中田 そうそう。アニメ日本語で。イスラーム国もアニメ日本語が通じるという。

内田 アニメ日本語ですか……。

中田 これは不思議なことに私しか言ってないことなので、日本のアニメ学の人たちも言いませんが、実はアニメ日本語の世界は、イスラーム国にも話者がいる、という、そういう広がりを持った世界なんです。

内田 今日のお話面白いです。シリアの難民が入ってきたせいで、イスラーム学のレベルが一気に上がった、とか、民族を超えたムスリムのコミュニティで日本のサブカルが親しみをもって共有されている、なんていう話なんて僕ら知りませんから。

山本 トルコだと関心を持って見ていれば目に見えて明らかな事例ですけどね。

中田 トルコとか、ムスリム世界に行けば誰でも分かることなんだけどね。日本のイスラーム中東研究でも一人も言ってないですからね、こうした話は。

内田 でも、聞いてみるものですね。すごいですね、山本さんは情報の固まりみたい。現地にいる人って本当強いですよね。そこで生の空気を吸っている人は。

中田 そうなんですよね。私の知っているイスラームのネットワークも非常に限られているんですけど、それを彼には全部引き継いでもらいました。私としては、それができただけでもとても満足しています。

山本 中田先生は学部のとき、僕に「君は日本に居場所はないだろうからきっと海外に行くだろう」と言ったんですよ。言われたときはすごく悲しかったです。日本大好きだったから。でも、あれから歳月がたって、結果的に今トルコ6年目です。

中田 本当にそうだよね。そういう人結構多いんですね。私が紹介して、カタールにもう20年とか、そういう人がたくさんいます。アメリカの衰退によって世界が多極化すると、アメリカやヨーロッパ目線の偏った情報だけしか知らないと世界情勢を見誤ることになります。日本が生き残るためには、世界中に現地の文化に深く精通した地域専門家がいることが重要になってくる。世界に散らばったそういう日本人たちが、没落していくこれからの日本を支えていく、そういう時代になると私は思っています。

内田 昔は総合商社の営業マンが外交官もジャーナリストも行かないようなアフリカや南米の奥地にまで商売しに行ったり、プラント輸出でふつうのサラリーマンがダムや発電所を作るというような仕方で世界各地に散らばって、彼らが現地の生の情報を伝えてくるということがありました。でも、今はもうそういうことがなくなってしまった。世界に散らばって、貴重な情報を伝えてくれる人のネットワークって、おっしゃるとおり日本にとって死活的に重要だと思います。政府にはそういう若者たちを支援する気は全くなさそうですけど。

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関連書籍

一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教
宗教地政学から読み解くロシア原論 (イースト・プレス)

プロフィール

内田樹

(うちだ たつる)

1950年東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。著書に『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)『日本辺境論』(新潮新書)『街場の天皇論』(東洋経済新報社)など。共著に『世界「最終」戦争論  近代の終焉を超えて』『アジア辺境論  これが日本の生きる道』『新世界秩序と日本の未来』(いずれも集英社新書・姜尚中氏との共著)『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』(集英社新書・中田考氏との共著)等多数。

中田考

(なかた こう)

1960年岡山県生まれ。イスラーム学者。東京大学文学部卒業後、カイロ大学大学院文学部哲学科博士課程修了(哲学博士)。在サウジアラビア日本国大使館専門調査員、山口大学教育学部准教授、日本学術振興会カイロ研究連絡センター所長、同志社大学神学部教授、同志社大学客員教授を経て、イブン・ハルドゥーン大学(トルコ)客員フェロー。著書に『イスラーム 生と死と聖戦』『イスラーム入門』『一神教と国家』(内田樹との共著、集英社新書)、『カリフ制再興』(書肆心水)、『タリバン 復権の真実』 (ベスト新書)、『宗教地政学から読み解くロシア原論』(イースト・プレス)他多数。

山本直輝

(やまもと なおき)

1989年岡山県生まれ。同志社大学神学部卒業、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。博士(地域研究)。専門はスーフィズム、トルコ地域研究。 トルコのイブン・ハルドゥーン大学文明対話研究所助教を経て現在、国立マルマラ大学大学院トルコ学研究科アジア言語・文化専攻助教。主な翻訳に『フトゥーワ―イスラームの騎士道精神』(作品社、2017年)、『ナーブルスィー神秘哲学集成』(作品社、2018年)。集英社新書プラスで「スーフィズム入門」を連載(終了。現在新書として編集中)https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/column/cc/sufism

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