ロシア・ウクライナ戦争が長期化する中で、積極的に調停を働きかけている国がエルドアン政権のトルコである。歴史的にロシアと幾度となく戦争を重ね、また近隣国の内戦で生まれた難民を多くかかえるトルコは、ロシアとも西欧世界とも一定の距離をとりつつ独自の立ち位置を示している。
そこで、現在トルコ国立マルマラ大学で教鞭をとる山本直輝氏を迎え、トルコがとっている教育・文化政策、敵対的共存を具現する外交政策、そして現政権に伏流するオスマン帝国以来のスーフィズムの伝統をも視野に入れ、内田樹氏と中田考氏が語り合いました。政治的にも経済的にも隘路に陥っている現代日本にとってヒントの多き鼎談。はたして混迷の世界を切り開く在り方とは?
構成:ヒサマタツヤ
中田 考 今回は同志社大学神学部時代の教え子だった山本直輝君を内田先生に紹介いたします。彼は現在イスタンブールで教鞭をとっており、一時帰国しているところです。今日は面会のお時間をいただき、ありがとうございます。実質的に彼は私の最後の弟子になりますが、私は最近は海外に行っていないので、今の中東の生きた情勢はほとんど彼から聞いております。まず所属をどうぞ。
トルコの東アジア研究
山本直輝 マルマラ大学大学院トルコ学研究科で東アジア専攻を担当しております。
中田 このトルコ学研究科というのは、もともとオスマン帝国からトルコ共和国になるときに、それまではトルコ人という意識がなかったので、トルコ人意識をつくりだす目的で作られたものです。そのためにまず、「トルコ建国の父」とされるアタテュルク研究として始まった学問なんです。
内田 樹 民族的アイデンティティーを学問的に確立させようということですね。
中田 そういうことで始まった学問領域なので、中央アジアのトルコ系の民族も一応視野に入れています。
内田 そうするとウイグルまでいくわけですね。
中田 そうなんです。ただし、そういう意識だけはあったのですが、実態は全くともなっていませんでした。ソ連(ソヴィエト連邦)が存在しているときには冷戦の論理があったので、現実問題として、ソ連のトルコ系の民族の研究をしていると、ロシアのスパイ扱いされてしまうので、そもそも研究ができなかったんですね。ところがソ連が消滅すると、「中央アジアにはトルコ系の民族がいるが、我々こそがトルコ系民族の盟主である」と、「自分たちこそがスラブ系諸民族の盟主だ」と主張している今のロシアみたいなことを言い始めました。しかし当時の旧ソ連圏のトルコ系の人たちは、つい最近までは世界第二の超大国ソ連の国民だったという自負があったので、「おまえら何しに来たんだ」という扱いをされてすごすごと帰ってきたんです。その失敗に鑑みて、心機一転仕切り直して再出発しようというのが、今回、日本人の山本先生を採用した目的になります。
山本 トルコ学研究科は有力な国立大学には絶対あって、マルマラ大学のトルコ学研究科は歴史学や国際関係論、言語学などいろいろ専攻がありますが、中心にあるのは建国の父アタテュルクの理念です。トルコ共和国やトルコ語だけではなくて、地理的な広がりを持たせて、中央アジアも研究対象です。それでも基本的に歴史研究が主で、それが冷戦後、現代の中央アジア研究とか、中国にいるテュルク系ですね、テュルク系の研究に広がっていったのです。そして、最近は東アジア研究もトルコ学の一部としてもっと広げようとしていて、今それで人員を集めようとしているんです。
内田 東アジアもトルコの一部。トルコの一部というか、トルコ文化の影響下にある。
中田 広義のトルコ人。
内田 何と。それは初めて聞く話ですね。
山本 日本にも日本トゥラン協会というのがあったんですよ、戦前に。トゥラン主義という、汎トルコ主義に共鳴した日本人がいました。
内田 大川周明じゃないですよね。
山本 違う系統ですね。
中田 トゥラン主義というのは、ウラル・アルタイ語族のフィンランド人とか、ハンガリー人とかも全部含めてトゥラン民族であって、日本からずっとつながっていくという、そういう考え方なんですね。現在の言語学界の主流からは否定されていますが、いまだに主張している人もいて、トルコ人たちも詳しくは知らないけど「そうなのだろう」とか思っている人が多い。だから日本人と聞くと「ああ、そうか、そうか、トルコの田舎者か」という、そんな感覚なんです。
内田 ハンガリーから日本までですか。気宇壮大。大アジア主義の比ではないですね。(笑)
「はい」と即断できないのは無能―中東式リクルート
中田 東アジア研究科は一応制度としては去年(2021年)にできたんですね。それも本当に偶然だったよね。
山本 制度的には数十年前から名前だけは登録していたらしいんですよ。ただ最近になって東アジアへの関心が高まってきたのかもしれないですね。
中田 突然、山本君に電話がかかってきて、それをきっかけにトルコ研究科に異動したんだよね。
山本 はい、トルコは大学の人事に関してYOK(高等教育委員会)という組織が管理していて、面接や論文審査、業績査定とかかなりいろいろ段階はありますが、まずは電話をかけて交渉にはいるのがトルコ式ですね。
中田 ちなみに彼が前職のイブン・ハルドゥーン大学で働いていたときに世話になった学長は、この夏にカタールの大学からヘッドハントされてしまったんですよね。それも本当に一か月で移っちゃったもんね。
山本 そうですね。カタールからその先生にオファーの話が来ていたのも2か月前ぐらいなので、行くと言ったら2週間で引っ越しの準備してカタールに行っちゃいましたから。中東だと当たり前だと思いますね。電話で依頼が来て、オッケーと言って、1週間で全部準備する。やっぱり移動社会なので、モビリティが高いということがあるわけです。逆に言えば、依頼が来たときに「いいえ」と言っちゃ駄目なんですよね。「はい」と言って、ポジティブになるかどうかはその時点では決まってなくて、自分でポジティブな結果になるようにそこから積み上げていくという。そこで断ったら一生仕事の機会は来ないんですね。なので、取りあえず「はい」と言ってから、「はい」と言ってよかったなと皆が思えるような結果になるために頑張っていくという社会です。
中田 ある意味では日本に似ていて「はい」と言うんだけども、日本の場合、「はい」と言った後に「はい。しかし……」とネガティブな言葉が来るんですけれども、向こうではそうじゃなくて、「はい」と言ったらあとはひたすらポジティブな言葉を積み重ねていく。そういう社会なんですよね。
山本 日本では交渉のときに「一旦持ち帰ります」と言うじゃないですか。トルコでは、「あれはどういう意味なのか」とよく聞かれるんですよ。
中田 持ち帰ったらいけないんですね。「できます」の意味が、古代ギリシャの論理学的な意味なんです。「できる」、つまり可能とは必然と不可能の間のカテゴリーになるので、1%でも可能性があれば「できる」なんですね。そして結果的に実現しなくても、可能であり起こることも起こらないこともどちらもあり得たが、神の意志により今回は実現しなかった、ということになる。
山本 あれは本当に神学的に基礎があるんですよ。トルコ語で「はい」と言うときには「オラビリル(olabilir)」と言うんですけど、olabilirって、ポッシブルの意味で、私ができるという意味ではなくてあり得るという言い方なんですね。その未来はあり得るというので、それを実現するのは自分の頑張りと神の導きという。あり得ないというのは神学的にあり得ないじゃないですか。神は何でもできるんだから。だから、いいえと言っちゃ駄目なんです。おまえ、何様だという話になる。
内田 なるほど。
中田 意味がもともと違うんですね。そういう世界で臨機応変に生きていく。
内田 「あとは交渉で」というのは日本の文化ではないですものね。ノーと言われたら、基本的にノーですからね。
現代中東は今も『真田丸』的世界
中田 だから中東には決定権のない人間を送っては駄目なんですよ。「持ち帰り」というのは本人に決定権がないということなので、中東では見下されます。
山本 「自己決定できない=無能」という意味もありますよね、「いいえ」と言ってしまうと。
中田 そうですね。決定権のない人間など相手にしても仕方ない、と見下され、次からは相手にしてもらえなくなります。そういうところで生きているエルドアンとかはそういうマインドなんですよ。
内田 それで生き抜いているわけですからね。だって、もう20年ぐらいですから。
中田 トルコ人はみんないつも危機的状況で綱渡りのように生きていますので、危機に慣れていて、平気なんですね。
山本 最近大河ドラマの『真田丸』を観直したんですけど。真田一族がエルドアンと重なって見えました。トルコは何であんなにころころと陣営を変えるんだろうと思っていたんですが、この大河ドラマを観たら「あれはまさにエルドアン的処世術だな」と思いました。ドラマの中で真田一族は主君の武田家が滅亡してから、織田家、上杉家、北条家に挟まれてそれらの陣営をその時々で変えて生き残っていくんです。あるときはエジプトと仲よしで、あるときはロシアにもつくし、あるときはヨーロッパともつくエルドアンの外交姿勢がとても似ているんですよね。今、食糧問題でヨーロッパを脅しているじゃないですか。やっぱりマインドが戦国時代なんですよ。
中田 本当にそういう感じですね。この前、京都精華大学に行っていて、学長と話したんですけど、あれだけリベラルなというか、アナーキーな、京都精華大の学生でも最近はかなり保守化が進んでいるという話を聞いて驚きました。日本は中国とか韓国とか敵に囲まれているから武装しなきゃいけない、というようなこと言うのがリアリズムだと思っているという話です。でも、そんなのは全然リアリズムじゃないですよね。
内田 単なる無知。
中田 そうなんですよね。リアルに戦争を毎日やっているような中東から来ると、リアリズムじゃないものをリアリズムだと思っているのが一番危険なんですよ。
内田 日本が戦争できると思っているところで完全に幻想ですよね。できるわけないじゃないですか。日本の政治家に戦争指導力ある人なんて一人もいませんからね。
中田 中東では政治家は、一歩間違えれば戦争になりかねない、一触即発の危険な状況下でぎりぎりの決断を毎日迫られています。アメリカの属国なので、外交で拙劣でも戦争にもならずたいした事態には至らずにすんできた、そういう日本のようなぬるま湯の国の政治家たちがリアリズムだと思い込んでいるのは非常に危険ですね。
内田 日本が戦争しない最大の理由は無能だからですよね。戦争なんか始めたらカオスになる。それは政治家自身は分かっているんじゃないですか、少なくとも官僚は分かっていると思うんですよ、戦争なんかできるような、そんな知性も性根もないことは。
中田 そうそう。ウクライナみたいにいきなり、「国民はみな、侵略軍に抵抗しなきゃいけない」と言われたって、我々に武器を渡されたって何にもできませんからね。何にも考えてない。
内田 銃がそもそもないんですからね、大体。この間安倍元首相の狙撃のときに、友人の医師から聞きましたけれど、運び込まれた元首相を見て、奈良の病院の外科医たちはびっくりしたと思うと。だって、ふつうの外科医ってまず銃創なんかに遭遇することはないですから。
プロフィール
(うちだ たつる)
1950年東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。著書に『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)『日本辺境論』(新潮新書)『街場の天皇論』(東洋経済新報社)など。共著に『世界「最終」戦争論 近代の終焉を超えて』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』『新世界秩序と日本の未来』(いずれも集英社新書・姜尚中氏との共著)『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』(集英社新書・中田考氏との共著)等多数。
(なかた こう)
1960年岡山県生まれ。イスラーム学者。東京大学文学部卒業後、カイロ大学大学院文学部哲学科博士課程修了(哲学博士)。在サウジアラビア日本国大使館専門調査員、山口大学教育学部准教授、日本学術振興会カイロ研究連絡センター所長、同志社大学神学部教授、同志社大学客員教授を経て、イブン・ハルドゥーン大学(トルコ)客員フェロー。著書に『イスラーム 生と死と聖戦』『イスラーム入門』『一神教と国家』(内田樹との共著、集英社新書)、『カリフ制再興』(書肆心水)、『タリバン 復権の真実』 (ベスト新書)、『宗教地政学から読み解くロシア原論』(イースト・プレス)他多数。
(やまもと なおき)
1989年岡山県生まれ。同志社大学神学部卒業、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。博士(地域研究)。専門はスーフィズム、トルコ地域研究。 トルコのイブン・ハルドゥーン大学文明対話研究所助教を経て現在、国立マルマラ大学大学院トルコ学研究科アジア言語・文化専攻助教。主な翻訳に『フトゥーワ―イスラームの騎士道精神』(作品社、2017年)、『ナーブルスィー神秘哲学集成』(作品社、2018年)。集英社新書プラスで「スーフィズム入門」を連載(終了。現在新書として編集中)https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/column/cc/sufism