ロシア・ウクライナ戦争が長期化する中で、積極的に調停を働きかけている国がエルドアン政権のトルコである。歴史的にロシアと幾度となく戦争を重ね、また近隣国の内戦で生まれた難民を多くかかえるトルコは、ロシアとも西欧世界とも一定の距離をとりつつ独自の立ち位置を示している。
そこで、現在トルコ国立マルマラ大学で教鞭をとる山本直輝氏を迎え、トルコがとっている教育・文化政策、敵対的共存を具現する外交政策、そして現政権に伏流するオスマン帝国以来のスーフィズムの伝統をも視野に入れ、内田樹氏と中田考氏が語り合いました。政治的にも経済的にも隘路に陥っている現代日本にとってヒントの多き鼎談。はたして混迷の世界を切り開く在り方とは?
構成:ヒサマタツヤ
東アジア文化としての漫画とアニメ
中田 考 前回トルコ学研究科についてお話ししましたが、今、トルコにおける東アジア研究のモデルケースをつくろうという世界征服の計画を立てているんです。
内田 樹 世界征服……。文化戦略ですか?
中田 そうなんです。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われていた時代は本当に日本が豊かだったんですけれども、今にして思うと、その時に日本が世界によいものを残したのかというと、多分何も残ってないと思うんです。その頃の日本人は実に精力的に世界中で日本製品を売りさばいていました。しかしその実態はというと、下世話な話になりますが、金を積み女を抱かせて現地の腐敗した政権に食い込んで利権を獲得して暴利を貪っていた。日本人はエコノミックアニマルだ、と言われて批判されていたんです。全然尊敬を得なかったんです。もちろん中には例外的に良い人もいたのは事実です。しかし構造的に見ると日本人は汚い商売をやるということで全く尊敬されなかった。製品の質は良かったので売れはしましたが、それ以外に何もよいものを残さなかった。
今も日本がすばらしいと言っている人間は、個別の事例を取り上げて「こんないい人がいた。こんないいことをした。それで日本は尊敬されていた」と言いたがりますが、全体としてはまさに今言ったように、むしろ軽蔑されていて、現地に何もいいものを残さなかった。
その中で、何か残ったものがあるとするなら、前回も話題が出ましたが、漫画とアニメなんですね。日本の漫画の特徴に無国籍があります。日本という特徴を出してないんです。どれを見てもそもそも日本人らしい顔をしてないキャラクターが多くて、ナショナリズムをそもそも主張していないわけですね。
さらに言うと、戦後日本のポップカルチャーが東南アジアを席巻するわけですが、それは戦前の日本ではありません。アメリカによって民主化された日本なんです。そのため日本のものというふうに意識されないままに、彼らに受け入れられていくんですね。漫画やアニメだけでなく、ドラマや音楽、それに服装とか、町並みとかも西洋化された日本がモデルになっています。東アジアと東南アジアの都市部の若者たちの間では日本文化がモデルになった、というよりも、もはやもともとは日本から来たものであることが意識されないぐらいにまでに浸透しました。
そうした背景があって、次の転機になったのは2010年ぐらいです。というのは、その頃からインターネットがアジア・アフリカでも普及し、みんながネットで動画を見るようになったのです。固定電話や地上波のテレビがないところでも、ネットで動画が見られる、という状況が生まれたからです。それまでは日本の漫画やアニメは現地語に翻訳されて出版されたり、テレビで放映されて拡散し人気になっていました。ところが今のオタクってすごいので、日本で放送されたアニメをその日のうちに字幕をつけてネットにあげるんです。そうすると日本のアニメ好きの若者はそれを観る。つまり彼らはほぼリアルタイムで日本語を耳で聞きながら字幕を読んで日本のアニメを観ているんです。こうやってずっと日本アニメを観ていると、アニメを観ているだけで日本語を覚えてしまう若者が出てくるんです。
それができるのが、まず東アジア圏です。これは文化的に近いので。今でも韓国語などは、語彙の半分ぐらいは漢字の言葉なので、日本語もそうなので、慣れてくると分かるわけですね。もう一つがトルコ(チュルク)語圏なんですよ。文法構造がほぼ同じで統語論的に語順が一致するので、聞いていて、トルコ語の字幕を見ると、文法を習わなくてもほぼ意味が分かってしまう。こうしてアニメが日本の文化を世界に広めているわけです。
一方で、中国の孔子学院や韓国も世宗学堂は文化とセットで教えている。でも、それはナショナリズムなんですね。我々はそうじゃなくて、国家を超えた「東アジアの文化」を教えようとしているのです。
日本を超えて通用する古典文化としての漫画
山本直輝 前回もクルドやアラブを結ぶ文化として言及しましたが、私の周りでも『NARUTO―ナルト―』のアニメで使われている日本語だけでしゃべる学生がいます。
イスタンブールの大学で日本文化に関するイベントをやったときに、後ろからいきなり「また会ったな」って声をかけられて。振り向いたら会ったこともない学生だった。聞いたら、『NARUTO―ナルト―』の大ファンで、好きなキャラクターの言葉だけで日本語を覚えていたんです。特に一番好きなシーンが、長年恨みを抱き続けていたキャラクターと会ったときの会話だそうで、そういう漫画の中のキャラクターのセリフで会話が成立すると思っているんです。実際、確かに成立はしているんです。僕も分かっているから。「だってばよ」とか言うのもそういうやつですよね。
中田 本当にそうなんですね。それをオタクの言葉だからダメだと頭ごなしに言うのは間違っているんです。
今、若者の間に教養というのがなくなっています。もうみんなが読んでいるものってなくなっているからです。ところが『NARUTO―ナルト―』といった人気漫画が、まさに昔の古典に当たるような現代の若者の基礎教養になりつつあるんです。だからこそアニメの日本語を教養語として身につけるべきなんですよ。しかも、そうした漫画に込められたメッセージは非常に東アジア的なもので、学ぶに足るものです。さらに言うと、実はその価値観がイスラーム圏とかなり近いんです。
例えばそれは師弟の関係とか、修行とか、身体知とか、そういう理念だったりします。ですから、これからまさに戦後日本の理念を世界に広めていく。そのためにはまずトルコ世界で、東アジア研究、それも日本と中国と韓国の密接不可分な地理的、歴史的、政治的、文化的、経済的相互交流を視野に収める方法論を生み出そうという、教える側がまず自分たちで東アジアの諸民族の協和、共和を体現し、その姿を示すことで、東アジアの一体性、共存のあり方をトルコ世界に知らしめていこう、というわけです。その一環として、中華文化圏の共通遺産である漢文文献を読むための共通語「古典中国語」と現代東アジア文化を知る共通語「アニメ日本語」、この二つを語学の必修基礎教養科目として位置づけて、「東亜趣味者(オタク)トルコ系諸民族向けアニメ日本語」の教科書をつくろうと計画しているんです(教科書の草稿を手に)。
内田 それが教科書なんですね。
中田 はい。まさにそういう話なんですね。これぐらい説明しないと分からないというか、説明しても耳を傾ける人は少ないと思うんですけれども。
山本 私も今やっと分かりました。アニメ日本語って考え方は面白いですね。
内田 『のだめカンタービレ』の中で、のだめがパリに行ったときに、フランスで放送している日本のアニメを観るんです。それがフランス語吹き替えなんですけど、のだめはそのアニメの熱烈なファンで、全てのエピソードの全てのセリフを覚えているので、それがフランス語で何ていうのかが分かる。
中田 みんな覚えている。本当に今のオタクってそういう感じですから。
挨拶は、「心臓を捧げよ」
山本 アラブ人にはフスハーという正則アラビア語があるんですが、少し昔の人だとこれをクルアーンで覚えるよりも、なんと、まず『グレンダイザー』で覚えているんですよ。永井豪が原作のロボットアニメなんですが、日本だと全然有名じゃないんですけど、フランスとレバノンですっごい人気だった作品なんですよ。1970年代、80年代のレバノンって、吹き替えをしてくれる有名な俳優がたくさんいた時期で、アラビア語をきれいにしゃべれる人がたくさんいたんですよ。一流の俳優が『グレンダイザー』にクルアーンで使われているようなきれいな文語で吹き替えをする。見てくれは『ちびまる子ちゃん』だけどセリフは浄瑠璃とか能みたいなすごい格調高いアラビア語でしゃべっていたりするので、エリート層でもみんな見ていました。これも要するに古典なんです。彼らにとっては、『グレンダイザー』のアラビア語って。でも、今の世代は吹き替えられたものではなくて生の日本語で聞いているので、新世代なんですよ。
中田 これは本当にこの10年間の新しい現象なんです。
山本 みんな、僕を見たら「心臓を捧げよ」と言ってきますよね。これは『進撃の巨人』の挨拶で。「こんにちは」よりも「心臓を捧げよ」が挨拶だと思っているんですね。リンガフランカ(普遍言語)になりますよ。むしろ日本人がこれに合わせればいいですよね。僕らの今の日本語を捨てて、アニメ日本語をしゃべる。
内田 アニメ日本語に変える。
山本 だって英語もそうじゃないですか。アメリカ人って、結局、ネイティブどうしで話している英語とリンガフランカとして使っているときの英語って違う使い方をする。アニメ日本語もそれにしちゃえばいいんじゃないですか。
内田 そういうことですね。日本が多民族多宗教の帝国になったときに、そのリンガフランカがアニメ日本語になる…。
山本 大東亜会議とか開くときには「だってばよ」とか話せばいい。挨拶は「心臓を捧げよ」とか。これいけますよ。僕の学生はみんな飛びつくと思います。だって、自分が勉強した日本語がそのまま使えるようになるわけですもの。
中田 我々は、理解できるわけですからね。アニメの言葉で話しかけられると。少し変には感じますけどね。でもそれは語学の教科書の例文でも同じことですからね。「こんにちは、お元気ですか」「さようなら、ごきげんよう」なんて言いませんよね、友だちどうしで。「よう」、「じゃあね」とかですよね、普通は。
山本 中田先生と集英社の少年漫画を使って日本文化の解説をするような企画をやりたいという話があって。例えば『NARUTO―ナルト―』のラーメンを食べているシーンを抜き出して。ラーメンっていつからあるのかとか、どういう味なのかとか。あれ、みんな聞いてくるんですよ。あと、『鬼滅の刃』も、呼吸法がたくさん出てくるじゃないですか。作中に、敵にやられたときに血を止める呼吸法が出てくるんですよ。あれも「本当に血は止められるのか?」と学生に聞かれて。「あの呼吸法はどれだけ本当なんだ?」と、みんなすごい知りたがっている。
内田 血は止められませんよ。(笑)
プロフィール
(うちだ たつる)
1950年東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。著書に『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)『日本辺境論』(新潮新書)『街場の天皇論』(東洋経済新報社)など。共著に『世界「最終」戦争論 近代の終焉を超えて』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』『新世界秩序と日本の未来』(いずれも集英社新書・姜尚中氏との共著)『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』(集英社新書・中田考氏との共著)等多数。
(なかた こう)
1960年岡山県生まれ。イスラーム学者。東京大学文学部卒業後、カイロ大学大学院文学部哲学科博士課程修了(哲学博士)。在サウジアラビア日本国大使館専門調査員、山口大学教育学部准教授、日本学術振興会カイロ研究連絡センター所長、同志社大学神学部教授、同志社大学客員教授を経て、イブン・ハルドゥーン大学(トルコ)客員フェロー。著書に『イスラーム 生と死と聖戦』『イスラーム入門』『一神教と国家』(内田樹との共著、集英社新書)、『カリフ制再興』(書肆心水)、『タリバン 復権の真実』 (ベスト新書)、『宗教地政学から読み解くロシア原論』(イースト・プレス)他多数。
(やまもと なおき)
1989年岡山県生まれ。同志社大学神学部卒業、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。博士(地域研究)。専門はスーフィズム、トルコ地域研究。 トルコのイブン・ハルドゥーン大学文明対話研究所助教を経て現在、国立マルマラ大学大学院トルコ学研究科アジア言語・文化専攻助教。主な翻訳に『フトゥーワ―イスラームの騎士道精神』(作品社、2017年)、『ナーブルスィー神秘哲学集成』(作品社、2018年)。集英社新書プラスで「スーフィズム入門」を連載(終了。現在新書として編集中)https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/column/cc/sufism