鼎談

第二回トルコと日本のかかわり ―トルコからはじまる世界征服計画―

内田樹先生、スーフィー研究者に会う
内田樹×中田考×山本直輝

プレゼンスが低下する日本

中田 そういう志で、こういう教科書作りの企画とかを構想しているんです。これからユーラシアが中心になっていく時代の局面の中で、ヨーロッパだけじゃなくて、中国、ロシア文明やトルコが、東アジアとどう関わっていくかというときに、東アジアのアイデンティティーと、特に戦後の日本の平和主義のような我々の思想を含めたメッセージをどうやって伝えていくかという話ですね。それが、これからの東アジアの未来をつくると思うのです。もっとも、それには非常に難しい問題がたくさんあることも事実であり、それは分かってはいるのですが。

 というのは、最近のトルコでは、人気の面で完全に日本は韓国に抜かれているんです。しかも、特に韓国人の場合、ボランティアでトルコで韓国語、韓国文化を教えたいという人はいっぱいいるんです。ところがそれが熱心なクリスチャンの福音派の人たちが多いんです。トルコの場合は宗教的には世俗的な人間も多いので、クリスチャンだからといってあまり抵抗感はないんですけれども、共和国の建国の歴史のせいで、文化的にイスラームがアイデンティティーなっているので、やっぱりキリスト教の宣教を表に出されると、イスラーム教徒が絶対多数の社会の中で、あまりうまくいかないんです。

山本 そうですね。中国語も、中国人はみんなウイグル人を弾圧している敵だと思っているのか結構偏見もあって。

 人気の面では、日本語を勉強したいという人は徐々に減ってきていて、韓国語のほうが圧倒的に人気ですね。韓国政府も、トルコで韓国語の作文コンテストとか、BTSのダンスコンテストなどを開いているんですけど、優勝の景品を韓国旅行のチケットにしたりもしています。あと、トルコの学生向けに奨学金制度をとても充実させて、マスターぐらいだったら、枠はそんなに多くはないんですけど、修士の2年間ぐらい完全に学費出します、というような大学もあります。それも韓国政府が完全に援助しているので、日本で勉強するよりも韓国の大学院に留学する機会が圧倒的に多いですね。

 サムスンとかシャオミとか携帯会社があるじゃないですか。携帯会社はマルマラ大学のキャンパスの中にブースを開いて、携帯が当たる景品大会などビンゴ大会をやっているんですよ。でも、ソニーとか東芝は、僕、全然見たことないですね、イスタンブールで。おまけに日本人もそういう企業あったっけ?くらいな感じで。だから今、日本と言われたときに、思い浮かべられるものといったら、寿司とアニメしかないですよ。「アニメってそんなに大したことあるの?」って聞いてくる日本人もいるんですけど、逆に言えば、日本が大したことあると思われている分野ってアニメしかないんです。「いろんな魅力的なものがあってアニメもすごい」じゃなくて、何の魅力も残ってなくて唯一残っている魅力がアニメと漫画くらいになってます。

中田 日本政府が全然そういうことをやらないんですね。ところが、韓国とか中国だと官民一体で国策としてやっているので、全く太刀打ちができない。その中でどれだけ日本語をやっていこうかと思うと、セットの中で、日本語を共通言語として、というのが一番戦略的にも、日本のためにもなるし、恐らくアジアのためにもなると。

内田 先生は愛国者だなあ。

中田 私は愛国者ですよ。そもそも日本語しかまともにできないもので。


今は日本が文化発信する最後のチャンス

山本 文科省と集英社が組んで、中東諸国に集英社支部や、少年ジャンプミュージアムとかつくれば、めちゃくちゃ受けると思いますよ。

内田 1960年代にアフリカや中南米に日本が進出したときに最先端にいたのは外務省じゃなくて総合商社の営業マンでしたからね。日本の役所は無理でしょう、文化的な展開って。孔子学院みたいなものを何で80年-90年代のお金がうなるほどあったときにやらなかったのかな。誰も提言しなかったんですかね。

中田 日本政府が主導したクールジャパン政策も完全に失敗しましたので。

内田 日本語と日本文化を希望する人には無料で教える。そこで日本語ができるようになった人たちを日本の大学や大学院に受け入れて、そこで学位を取って、祖国に帰って、そこで出世してもらって、親日派の指導層を形成する。これって、イギリスやフランスが19世紀以降やってきた植民地経営の基本じゃないですか。どうして、日本だって帝国主義国家だったのに、先行する植民地主義の成功事例を学習しなかったんでしょうかね。

中田 今が最後の最後のタイミングだと本当に思いますね。

内田 本当に日本にはもうこのあとはないですからね。

中田 本当に今が最後のチャンス、という自覚は持った方がいいと思います。

内田 日本の文化的発信力、日本の漫画とかアニメの力も、栄枯盛衰があるわけで、出版社には申し訳ないけれど、今がピークで、これからあとは日本の発信力は低下してゆくと思うんです。

山本 いいアニメーターを中国の会社が引き抜いているらしいですね。

中田 そうしたら内田先生にも関係が深い武道はもっと可能性があるので、これを広めていきましょう。

内田 そうですね。武道ならまだ可能性があると思いますよ。僕はこと合気道に関しては、これが世界に広がることについてはまことに楽観的なんです。

山本 僕は、武道の素人なので、学生向けに話すことはあまりないんですけど、でも、合気道の道場はイスタンブールにたくさんあります。

内田 大量にあるんですか!

山本 地区によっては通りに数軒並んでいるところもありましたよ。

内田 すごいですね…。

中田 誰が教えてるの?

山本 トルコ人です。日本で習ってきました、みたいな人が道場を開いてやっていますね。僕は全然、合気道に詳しくないんですけど、合気道の先生の写真を三枚飾っています、道場に。

中田 植芝盛平先生と……。

内田 あと吉祥丸先生と今の守央道主の写真ですかね。

中田 内田先生にはちゃんとした合気道の精神を伝えてもらうためにも、ぜひイスタンブールにいらしていただきたいですね。

 トルコにも、伝統武道という点では、トルコレスリングなどもあり、今すごく保護されているらしいんですけどね。武道もブルーオーシャンなので、これから研究を進めていくと面白いですね。

山本 そうですね。あと、トルコという社会自体が、トルコ共和国になってから伝統的な文化が長い間忘れさられていたので、武術的なものはレスリングとかありましたけど、60年、70年ぐらいずっとされなくて、旋回教団も、実はプロの人間なんて全然いなくて、あれはダンサーみたいな人が片手間で覚えたようなものを観光地でやっているだけで、師匠と弟子の系譜って基本的には全部途切れているんですね。

 トルコ人からよく、日本では宗教というのが全部死んでいて文化しか残ってないんでしょうとか、宗教性を表現するようなものって残ってないんでしょうみたいに聞かれることあるんですけれども、それって違うじゃないですか。結局、我々が神性をどう表現するのかって今でも結構いろんな形で残っているわけで、その表現の仕方が違うだけであって、その表現の仕方が武術であったり、あるいは普通に我々がたまに神社に行って、寺に行くのだって、結局、我々の表現の仕方です。そういうのも実際に見てないから分からないんだと思うんです。結局、日本人が世界で一番世俗化した民族みたいなふうにトルコ人も思っているんですけどそれは違うはずです。

中田 逆もありますね。「まだ忍者はいるのか?」とか、そういうのもあります。

山本 両極端な説が残っているんですね。そこのバランスというのは、日本人がある程度頑張ってパッケージとして見せることができないと、いつまでたってもよくならないと思います。

マルマラ大学東アジア文化サークルの書道体験イベント

 トルコ人の日本研究者は大体1970年代から1980年代の、一番日本が勢いがあった良い時代を主に知っているんです。今の日本の疲れ切った感じや疲れ切ってなおもこの文化を何とか残そうと頑張っている人たちの営みを知っている人はほぼゼロで。その辺りで、今、日本に生きている我々が(私、もうトルコに移住していますけど)、発信できる術を考えるのはすごい大事だと思います。

 例えば武術実演であっても、実演するだけじゃなくて、この服にどういう意味があるのかとか、この動きにどういう意味があるのかみたいなのもちゃんと説明できる人材を増やすという感じですかね。

 武術の話もそうですけど、型ってあるじゃないですか。結局あれ、イスラームの礼拝とか、動きとかも、全部型という意味では同じですよね。預言者の型を今に受け継ごうとするという点で武術と相似なところがある。あれを日本人に紹介するために日本語に訳している外国人のムスリムの説教師もたくさんいるんですけれども、その「型」に込められた内実が分からないから、まず英語のフォームとかいう言葉を使って説明しようとする。そうして訳されたものだと、いつまでも日本人には分からないんですけれども、武術の型をふまえると伝わるものがある。

 余談ですが、礼拝する前に清めの動作、ウドゥーがあるじゃないですか。友人と一緒にインドネシアのシラットのマスターのある動画を見て笑ったんですけど、そのマスターは、「実はウドゥーもそのままでマーシャルアーツなんだ」と言っていて、「これを極めればこれだけでも人を倒せる」と。「ここにも全ての完璧な無駄のない美しい動作が宿っている」というのですね。

中田 こうした状況を知っていただくにはまずトルコに来てもらわないと分からないので、内田先生にもお弟子さんを連れて、できる限りおもてなしをするので、いつか来ていただきたいですね。トルコはコロナでも何でも大歓迎ですから。しかも、今、先ほども言いましたけれども、トルコには大量のロシア人とかも流れてきていますので。世界中からの亡命者が集まっている、そういう状況が全部見られますので。

内田 世界中からの亡命者。

中田 本当にそうなんですよ。

内田 昔のジュネーブとかウィーンみたいな。

中田 あまりにもスパイが多過ぎて取り締まりようがない。中東の多民族社会、バイリンガル、トリリンガルが当たり前の中では、ある意味でみんなスパイだから。

内田 なんだかすごい話ですね。イスタンブール、体が動くうちでしたら、お招きに与りたいですね。武道の術理はかなり宗教的といえば宗教的なので、言葉を尽くして説明すれば、たぶんトルコの人にも分かってもらえると思います。それに、世界中どの文化圏にも「武道的なものが好き」という人っているんですよね。着物と袴を身につけたいとか、一度刀を腰に差してみたいとか、師匠のカバン持ちをしたいとか、そういうことに強いあこがれを持っている人って、どこの国にも一定数いるんです。その人たち、それぞれの社会ではちょっと「浮いている」んですけれど、なぜか日本の伝統的な文化に深い理解を示すことがある。そういう人たちを大切にしたいですね。

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関連書籍

一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教
宗教地政学から読み解くロシア原論 (イースト・プレス)

プロフィール

内田樹

(うちだ たつる)

1950年東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。著書に『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)『日本辺境論』(新潮新書)『街場の天皇論』(東洋経済新報社)など。共著に『世界「最終」戦争論  近代の終焉を超えて』『アジア辺境論  これが日本の生きる道』『新世界秩序と日本の未来』(いずれも集英社新書・姜尚中氏との共著)『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』(集英社新書・中田考氏との共著)等多数。

中田考

(なかた こう)

1960年岡山県生まれ。イスラーム学者。東京大学文学部卒業後、カイロ大学大学院文学部哲学科博士課程修了(哲学博士)。在サウジアラビア日本国大使館専門調査員、山口大学教育学部准教授、日本学術振興会カイロ研究連絡センター所長、同志社大学神学部教授、同志社大学客員教授を経て、イブン・ハルドゥーン大学(トルコ)客員フェロー。著書に『イスラーム 生と死と聖戦』『イスラーム入門』『一神教と国家』(内田樹との共著、集英社新書)、『カリフ制再興』(書肆心水)、『タリバン 復権の真実』 (ベスト新書)、『宗教地政学から読み解くロシア原論』(イースト・プレス)他多数。

山本直輝

(やまもと なおき)

1989年岡山県生まれ。同志社大学神学部卒業、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。博士(地域研究)。専門はスーフィズム、トルコ地域研究。 トルコのイブン・ハルドゥーン大学文明対話研究所助教を経て現在、国立マルマラ大学大学院トルコ学研究科アジア言語・文化専攻助教。主な翻訳に『フトゥーワ―イスラームの騎士道精神』(作品社、2017年)、『ナーブルスィー神秘哲学集成』(作品社、2018年)。集英社新書プラスで「スーフィズム入門」を連載(終了。現在新書として編集中)https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/column/cc/sufism

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