写真という「表現」を通じて闘い続ける理由

写真家・石川真生が「琉球大写真絵巻」に込めた思い 最終回

石川真生
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  1953年、米軍占領下の沖縄で生まれた石川真生さんが写真と出会ったのは高校生の頃。そして1971年の秋、彼女が18歳の時に「事件」は起きた。この年、沖縄の本土復帰後も米軍基地存続を認める沖縄返還協定に反対する10万人規模のデモに参加していた石川さんの目の前で、過激派の投げた火炎瓶が機動隊員にあたり亡くなったのだ。
「どうして沖縄人同士が殺しあわなきゃいけないの!」この時、泣きながら逃げ惑う彼女の中でひとつの決意が生まれる。「沖縄が燃えている。燃える沖縄を表現したい」それが、沖縄にこだわり、沖縄と向き合いながら闘い続けてきた「写真家・石川真生」の原点だった。

 初めて石川さんと出会ったとき、思わず「はっ」とさせられた言葉がある。「私、米軍は大っ嫌い。でも米兵は大好きさ!」

 22歳の時に、自ら米軍の黒人兵たちが通うバーのホステスとなり、遠い異国の地に生きる米兵や同僚のホステスたちの生き生きとした姿を、濃密で匂い立つようなモノクロ写真に焼き付けた初期の作品。港で働く男たち。米軍基地のフェンスで区切られた「二つの世界」。

 44年間、さまざまなテーマに挑んできた石川さんの作品を貫くのは、国籍や立場を超えた「ひとりひとり」への眼差しと、差別とは無縁で真っすぐな「愛」だ。沖縄と米軍、沖縄と日本、そして米軍基地の建設反対派と容認派……。故郷・沖縄が歩んできた苦難の歴史、差別に対する怒りと哀しみを強く胸に秘めながらも、その眼差しはそうした「対立構造」の両側にいる、ひとりひとりの人たちにも柔らかく注がれる。それは不器用に、そして真っすぐに「自分」や「故郷」や「被写体」と向き合ってきた石川さんの生き方そのものであり、彼女の作品が持つ「力」の源でもある。

 

「大琉球写真絵巻」がパート1からパート4まで全部揃って沖縄以外で公開されるのは、今回が初めて。でも、私は別に沖縄だろうがヤマト(本土)だろうが関係ないの。写真展の会場が「原爆の図丸木美術館」だっていうのも、そこに深い意味はなくてね、私はプロの写真家だから、私の写真展をきちんと運営してくれる人がいて、作品を見に来てくれる人がいるならどこだって構わない。
 ときどき勘違いしている人がいるんだけれど、私は別に誰かを「啓蒙しよう」と思って写真を撮っているわけじゃないし、これを「運動」だとも思ってもいない。私は写真家で、写真を撮ることしかできないから、自分の思いを込めた写真を撮って、その作品を見た人たちが、いろんなことを感じたり、考えたりしてくれればいいと思っている。

 この「大琉球写真絵巻」もパート1から始めて、パート2、パート3と毎年新作を撮り続けていくうちに、撮影に参加してくれる人や写真展を手伝ってくれる人、そして私の作品を見に来てくれる人たちが、少しずつ一種の「運命共同体」みたいになってきていることに気がついた。その意味では、「大琉球写真絵巻」はこれまで44年間写真を撮り続けてきた自分にとっても「特別な作品」になりつつあると思う。

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プロフィール

石川真生

1953年、沖縄県生まれ。写真家。主な作品に『熱き日々in沖縄』(フォイル)、『石川真生写真集 日の丸を視る目』(未来社)、『石川真生写真集 FENCES,OKINAWA』など。現在、「大琉球写真絵巻」のパート5を作成中。

 
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