独断と偏見で選ぶ今季注目MotoGP最速ライダーの肖像

MotoGP最速ライダーの肖像 2021
西村章

『MotoGP最速ライダーの肖像』(西村章・著/集英社新書)発売記念として、今季のMotoGPと、そこで戦うライダーの実像をお届けしてきた短期連載もこれで最終回。そこで今回は「今注目すべき最速ライダーの肖像」をお届けする。次の候補者たちは、こんな面々だ!

 今回は、将来もしも『MotoGP 最速ライダーの肖像』第2弾が書かれることがあった場合、その有力候補になるであろう選手たちを数名、印象深いエピソードなどとともに紹介していきたい。

 一人目は、ジャック・ミラー(Ducati Lenovo Team)。 先日の第4戦スペインGPと第5戦フランスGPで連勝を飾った、いままさに「旬」の選手だ。

第4戦スペインGP、第5戦フランスGPと連勝したジャック・ミラー(写真/MotoGP.com)

 オーストラリア人のミラーは、1994年から98年まで無敵の5連覇を達成したミック・ドゥーハンや、2007年と11年にドゥカティとホンダでチャンピオンを獲得しながら、2012年に27歳の若さで引退したケーシー・ストーナーの、いわば後輩選手にあたる。偉大なふたりのチャンピオンライダー同様に、ミラーもまた卓越した資質の持ち主である。しかし、その性格は先輩2名と大きく異なる。最大の違いは、おおらかな〈陽〉のキャラクターの持ち主である点だ。自然に恵まれた郊外でのびのび育ったやんちゃな少年がそのまま大きくなったようなミラーは、ストイックで求道的なドゥーハンや、徹底して個人主義的なストーナーとは、その点で大きく異なる。

 ミラーはMotoGPのパドックで多くの人に愛される人気者だが、彼の魅力は日本語圏のファンにはどうも充分には伝わりきっていないようで、それがなんとも歯がゆくてしかたない。

 たとえば彼は、ストッピー(減速時に一気にフロントブレーキをかけることで後輪を持ち上げる動作。いわゆるジャックナイフ)、しかも派手に後輪を大きく振り上げる動作を、ピットレーンに戻ってきたときやセッション終了時のコース上などで非常に頻繁に行う。「世界の頂点を競うMotoGPのトップライダーがやることにはすべて理由がある。あれは子供みたいに面白がって遊んでいるのではなく、あくまでもカーボンブレーキに熱を入れるための動作なのだ」という推測を仄聞したことがあるが、それは深読みのしすぎというものだ。ジャック・ミラーに限っては、あれはただ子供のように面白がって遊んでいるにすぎない。マウンテンバイクでフロントアップのコツを覚えた13歳の子供がどこでもフロントを振り上げて遊ぶのと、まったく同じ。ただストッピーをしたいからやっている。ジャック・ミラーとはそういう若者なのだ。

優勝したフランスGPでも大喜びでストッピーを披露(写真/MotoGP.com)

 そういえばこんなこともあった。

 彼がMotoGPへステップアップして2年目の2016年、開幕戦のカタールでインタビューをしたときのことだ。当時のミラーは21歳。どういう経緯だったか、レースやバイクから話が広がって音楽の話題になった。いまの21歳はどんなものを聴くのだろうと思いながら訊ねると、「好きな音楽はジミ・ヘンドリックスとか、レッドツェッペリンとか、ピンクフロイドとか、いつも聴いてるのはだいたいそのへんかな」

 という、やや予想外の答えが返ってきた。それは21歳の若者が好んで聴くには少しおっさんくさすぎやしないか、と訊ねると、

「まあそうかもしれないけど、親父がずっとそういうのを聴いていて、おいらもジミやフロイドで育ってきたんで、そういうのがいちばん馴染みがあるんだよ」

 とのことだった。その翌年、ミラーは鈴鹿8耐に参戦した。レースウィーク中にピットレーンから各チームの様子を見て回り、ミラーが参戦するチームのボックス前も覗きに行ったときのことだ。ピットレーンにいるこちらに気づいたミラーは親指を立て、「いいTシャツ着てんじゃん」と笑顔で声をかけてきた。そのときに自分が着ていたTシャツは、ピンクフロイドの名盤 “The Dark Side of the Moon” のジャケットを模したものだった。

 触れるのが遅くなってしまったが、彼の経歴を簡単に見ておこう。

 1995年にオーストラリア・クイーンズランド州タウンズビルで生まれたミラーは、国内のモトクロス選手権等を経て10代半ばで欧州に渡り、スペイン選手権(現FIM CEV レプソル選手権)に参戦。現在のドゥカティファクトリーチームでチームメイトのイタリア人選手フランチェスコ・バニャイアや、スズキファクトリーチームのアレックス・リンス、ヤマハファクトリーのマーヴェリック・ヴィニャーレス、マルク・マルケスの弟でホンダ陣営の一角を占めるアレックス・マルケス、といったスペイン勢のトップライダーたちとも、このCEV時代に知り合っている。

 彼らは足並みを揃えるように世界選手権へ歩を進め、Moto3クラスで鎬を削りあう。2013年にはヴィニャーレスとリンスが熾烈なタイトル争いを繰り広げ、翌14年はミラーとアレックス・マルケスが最終戦までチャンピオン争いを続けた。

 この2014年の最終戦バレンシアGPでは、シーズン最終決戦を前にふたりの事前記者会見が木曜に行われた。大会の開催地スペインの地元選手がタイトル争いの一翼を占めるという要素があったとはいえ、この当時、MotoGPクラス以外の中小排気量クラスでこのような事前会見の場が設けられるのは非常に珍しいできごとだった。

 日曜のMoto3クラス決勝レースは、ミラーが優勝。タイトルは3位でチェッカーフラッグを受けたアレックス・マルケスが2ポイント差で凌ぎきって、チャンピオンを獲得した。ポディウムの頂点で憮然とする19歳のミラーと、王座を獲得して喜色満面の18歳、アレックス・マルケスの表情がじつに対照的で印象深い表彰式だった。

 この翌年、アレックス・マルケスがMoto2に昇格したのに対して、ミラーは一気にMotoGPクラスへとステップアップした。この〈2階級特進〉は賛否が分かれ、階段をひとつずつ上って習熟を重ねてから最高峰クラスへ来るべきだ、と述べる関係や選手もいた。

 ミラー自身はそのような口さがない批判に対して馬耳東風といった風情にも見えたのだが、ステップアップ初年の2015年にポイントを獲得できたレースは18戦中6戦。しかも最高位11位という苦戦の一年で、内心でじつはかなり思い悩んでいたようだ。当時はまだ20歳の若者にすぎなかったのだから、それもやむを得ないだろう。2016年の第8戦、雨のオランダGPで初優勝を達成した際、ステップアップ以来の批判や陰口にようやく結果で一矢報いることができた、と涙声で語ったときには、平素は外に出そうとしなかった彼の繊細さを目の当たりにして胸を衝かれるような思いがした。

 ミラーは5月2日に行われたスペインGPで、ドライコンディションでの初優勝を遂げたが、上述の2016年アッセン以降、実は一度も優勝を達成したことがなかった。だからこそ、ドライコンディションで勝つことは彼の長年の目標になっていたのだ。

第4戦スペインGPで5年ぶり2勝目、ドライ初優勝をあげ感極まるミラー(写真/MotoGP.com)

 そしてその2週間後、第5戦フランスGPが5月16日にルマン、ブガッティサーキットで開催された。この時期のロワール地方は不安定な天候になることが多く、今年も低い温度条件のなか、晴れと雨がめまぐるしく入れ替わるコンディションになった。日曜午後2時にスタートしたMotoGPの決勝レースはドライコンディションで始まり、数周後には雨が降りはじめた。このような場合、選手たちはレース中にピットレーンへ戻ってウェットコンディション用のタイヤを装着したマシンへ乗り換える〈フラッグトゥフラッグ〉ルールが適用される。

 選手たちは三々五々、ピットへ戻ってウェットタイヤやのマシンに乗り換え、ふたたびコースイン。しかし、レース終盤は雨もやんで路面が乾いてきたためにウェットタイヤの摩耗が激しくなるという、じつに複雑で難しい展開になった。ミラーはその困難なコンディションを制して、前戦から2連勝を挙げた。2016年の雨のアッセン以降、なかなか勝てなかったライダーが、ドライで圧勝、次戦のフラッグトゥフラッグもコンディションを誰よりも巧みに乗りきって勝利、と優勝の機微を摑みはじめた感もある。すべてのコンディションで優勝を達成した印象をレース後の彼に訊いてみたところ、以下のような回答が返ってきた。

「MotoGPの勝利はいつも格別だよ。今回のフラッグトゥフラッグは、さほど精神的にキツいわけじゃなかった。先週のヘレスは、トップを走っているときにペコ(・バニャイア/Ducati Lenovo Team)とフランキー(・モルビデッリ/Petronas Yamaha MotoGP)にずっと追いかけられていたから、かなり厳しかった。でも、今回の勝利はとても気分がいい。肉体的に厳しかったわけではないけれども、レース後に他の選手たちに話を聞いてみてもやはり集中力が勝負を左右するレースで、次のコーナーがどういう状態なのか、天気がどう変化していくのかを常に予測して読み続けながら走らなければならなかったことが、もっとも大変なことだった。だから、今日のレースはいわば、精神的な消耗戦のようなかんじだったね」

第5戦フランスGPは途中から雨が降ってきたため、全員がレインタイヤを装着したマシンに乗り換えるフラッグトゥフラッグに(写真/MotoGP.com)

 このときのレース後記者会見は、YouTubeでも無料公開されている(https://www.youtube.com/watch?v=IYSPtW7dCvw)。この会見をご覧いただけば、彼の気さくな人柄の一端をご理解いただけるのではないかと思う(ちなみに上記質疑応答は36:15あたりから)。                                                                                                               

 近年のMotoGPは、レース中の画面に様々な情報が表示されるようになっている。たとえば、コーナーでのブレーキングの強さ、ストットル開度、旋回中のリーン(傾き)アングル等々。数年前からは、選手の心拍数も表示されるようになった。技術的にどうやって心拍数をモニターし、データを転送しているのか、レースを運営するDORNAのスタッフに尋ねたことがあるのだが、その詳細は開示をしてもらえなかった。おそらく、GARMINの市販心拍モニターのようなデバイスを使用して、計測データをピットボックスなどに電送しているのだろうと推測される。

 この心拍モニターに関連して、昨年のいつだったか、マーヴェリック・ヴィニャーレス(Monster Energy Yamaha MotoGP)の心拍数表示が走行中にも平静時からさほど大きく変化せず、そのことが話題になったウィークがあった。それを評して「あいつ、きっと爬虫類なんだよ」と述べたのはジャック・ミラーだ。

 上記のとおり、ミラーはヴィニャーレスとCEV時代からともに育ってきて、いわば幼馴染みのように親密な間柄だ。生年月日も、ミラーが1995年1月18日であるのに対して、ヴィニャーレスは同年1月12日、と非常に近い。そしてこのヴィニャーレスのファーストネームだが、勘の良い方ならおわかりのとおり、映画『トップガン』で主役を演じたトム・クルーズの配役名に由来している。スズキからヤマハへ移籍した際の最初のテストでは、その『トップガン』を連想させるようなフェアリングのデザインでヤマハは歓迎の意を表した。

映画『トップガン』でトム・クルーズが演じた主人公、マーヴェリックから名付けられたヴィニャーレス(©www.suzuki-racing.com)

 彼が世界選手権に参戦を開始したのは2011年。最小排気量クラスの技術規則が2ストローク125cc最後の年になったシーズンだ。ヴィニャーレスの世界選手権参戦はおおいに注目を集めたが、その理由は彼の才能や将来性に注目が集まったから、というだけではない。世間の耳目を一気に集めたのは、このシーズンに彼が所属したチームのオーナーが、当時から何かと世間を騒がせていたパリス・ヒルトンだったからだ。

 レースメディアはもちろん、ふだんは二輪ロードレースに興味を持たないメディアも、揃ってこのニュースをいっせいに報じた。そもそもどういう経緯で彼女がレースに関心を示したのか、あるいは誰が彼女を担ぎ出したのかはさだかではないが、ひとまず大きな話題になったことで広告塔としての役割は充分に果たした、ということなのだろう。だが、パリス・ヒルトン自身がシーズン中にサーキットへ来たことは一度もなかったように記憶している。本人もほどなく飽きてしまったのか、チームとの関わりを放り投げてしまったようで、翌年以降はこのチームの運営や広告などにもいっさい関わらず、パドックで彼女の名前を聞くことも一度もなかった。

 ヴィニャーレス自身は、このチームで世界選手権デビューを果たした初年度から存分に才能を発揮した。3戦でポールポジションを獲得し、優勝4回を含む9戦で表彰台を獲得して年間ランキング3位につけた。4ストローク250cc初年度の翌2012年もランキング3位で、2013年にチャンピオンを獲得したのは、彼の資質からすればむしろ当然すぎる結果だった。

 Moto2へステップアップした2014年は2戦目で優勝。以後もコンスタントに表彰台を獲得してランキング3位。この中排気量クラスは1年経験しただけで、2015年には最高峰のMotoGPへステップアップした。抜擢したのは、活動休止からこのシーズンに復活を果たしたスズキファクトリーチームだ。復活初年度のチーム、しかも最高峰ルーキーということもあって目立った成績は残さなかったシーズンだが、8戦でトップテンフィニッシュを果たしているという事実は、いま振り返ってみればなかなかのパフォーマンスであったことがわかる。

 2016年は飛躍の年になった。この年は第5戦目に開催された得意のフランスGPルマンで、スズキと自身にとって初表彰台となる3位を獲得。そして8月の第12戦イギリスGPで、ついに優勝を達成した(このあたりの事情は拙著『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』で詳説している)。さらにその後も2レースで3位を獲得し、年間ランキング4位でシーズンを終えた。この年のチャンピオンはマルク・マルケス、2位はバレンティーノ・ロッシ、3位にホルヘ・ロレンソ、そしてヴィニャーレスに次ぐランキング5位はアンドレア・ドヴィツィオーゾ、という顔ぶれが、そのシーズンの彼の活躍をよく物語っている。

 イギリスGPで優勝を達成した時期には、やがて21世紀のケビン・シュワンツのような存在として今後のスズキを支える屋台骨となることも期待されたが、水面下での様々な交渉の結果、翌年からはヤマハファクトリーチームへ移籍することになった。それから5年間が経過し、現在はヤマハファクトリーのエースであると同時に、MotoGPを代表するトップライダーのひとりでもある。今シーズンは、開幕戦のカタールGPで優勝を達成した。速さを発揮できないときなどは、ともすればメンタル面で不安定になりがちな点を指摘されることも多かったが、ヴィニャーレス自身も近年はその課題を自覚して克服に努めているようだ。

今季開幕戦カタールGPは優勝したものの、その後は苦戦中のヴィニャーレス(写真/MotoGP.com)

 たとえば我々メディアとの質疑応答の際にも、今年の彼は質問に答えるときに、問いを発した者の名前を必ず呼ぶようにしている。「ありがとう、フランク。その質問だけど……」「そうだね、ミシェル。いまの指摘のとおり……」といった具合だ。回答の際に質問者の名をあえて呼ぶのは昨年までの彼にはなかったことで、このような方法を採ることで親近感を意識的に演出するとともに、自らの情動抑制も心がけているのだろうと推察できる。2021年は開幕戦の優勝以降、10位あたりに沈むレースが続いている。今季のチームメイト、ファビオ・クアルタラロの好調さが目立つだけに、シーズン中盤からの復活に期待をしたい。

 

 次世代のMotoGPを担うライダー、という今回の括りからは少し逸脱するかもしれないが、ユニークさという点で是非とも紹介しておきたいライダーがいる。アレイシ・エスパルガロだ。弟のポル・エスパルガロと揃って兄弟で最高峰クラスに参戦しており、今シーズンからレプソル・ホンダ・チームに所属するポルがマルク・マルケスと熾烈なライバル関係にあったことは『MotoGP 最速ライダーの肖像』で詳述したとおりだ。 

 2005年に125ccクラスで世界選手権デビューを果たし、MotoGPクラスでは10年以上のキャリアを持つ兄のアレイシ・エスパルガロは、この7月末に32歳になる。どちらかといえば、ベテランライダーに分類した方がいい年齢の選手だ。2015年にスズキがMotoGPへ復活した際には、ヴィニャーレスとともにファクトリーライダーとして活動したが、そのときも、ヴィニャーレスがフレッシュなルーキーとして今後の成長を期待された抜擢であったのに対し、アレイシはベテラン選手としての経験を買われた起用だった。

ベテランとしての経験を買われ、スズキ復帰の際に抜擢されたアレイシ・エスパルガロ(©www.suzuki-racing.com)

 このスズキ時代は彼にとって非常に充実した2年間で、どんなに調子の悪いときでも、あるいはスズキ側の開発に起因する成績不振であっても、常にポジティブな姿勢で建設的な発言ばかりだった印象がある。もともとアレイシは多情な性格で、ともすれば感情が先走る傾向もないではないが、だからこそ、スズキの開発を自分が担っていくのだという自負は彼のことばの端々からいつも感じられた。この時代に飼い始めた犬にもスズキの名を取って〈ズキ〉と名付けている。風洞実験やミーティングなどで浜松の本社を訪れた際に立ち寄った当地のハンバーグチェーン「さわやか」も、なかなかのお気に入りだったようだ。

 アレイシは日本食が好きで(この点は弟のポルも同様なのだが)、和食好みが嵩じてついには自分で日本食レストランを経営するに至った。スペインとフランスの国境にある小国アンドラに「GINZA 41」(http://ginza41.com/)という店を構えている。店名の41は彼のバイクナンバーで、これはかつて小排気量クラスで活躍していた宇井陽一氏に憧れて、自分もその番号を現在も使用していることに由来する。パンデミックが終息していつかふたたび欧州を訪れる機会があれば、この店でいちどアレイシにじっくりとインタビューをしてみたい、と考えている。

 2016年末でスズキを離れたアレイシは、アプリリアへ移った。アプリリアは、スズキと同様に2015年シーズンからMotoGPに復帰してきた新興勢力だ。スズキの場合は、2011年末以降3年間の活動休止期間を経て復帰を果たしたのに対し、アプリリアは2004年を最後に参戦を見合わせていたため、11年ぶりの最高峰クラス復帰になる。しかも、スズキはフルファクトリー体制としてレースに参画したが、アプリリアは前年までホンダのサテライトチームとして活動していたグレシーニレーシングがレース運営を担当することになった。アレイシとしては、スズキ時代と同様か、むしろそれ以上にマシン開発の責務を担いながらの参戦になる。

 周知の通りスズキは2020年にチャンピオンを獲得し、いまでは強豪陣営の一角を占める存在だが、同じ年に復活を果たしたアプリリアは、2015年以降現在まで、まだ一度も表彰台を獲得していない。マシン開発面などでも、コンセッション(優遇措置)を適用されている唯一のメーカーだ。アレイシはその陣営に加わって今年で5年目になるが、ゆっくりとしたペースあるものの成績は上昇傾向にある。今シーズンはほぼ毎回、予選では速いライダーたちがタイムを競うQ2のグループでシングルポジションのグリッドを獲得し、決勝レースでも8位以内の成績を収めてきた。ただし、第5戦のフランスGPでは序盤4戦のようなパフォーマンスを発揮できず、「テクニカルトラブル」(本人談)のためにレース中にマシンが停止し、今シーズン初めてのリタイアを喫した。

 このフランスGPは、アプリリアがライバルメーカーと肩を並べて互角な勝負を繰り広げるには、やはりまだ多少の道のりがありそうだと示唆するレースになってしまった。

今季のエスパルガロとアプリリアのマシン(バイクナンバー41)は健闘中もトップとはまだ差がある(写真/MotoGP.com)

 その一方では、朗報もある。昨年末でドゥカティを離れたアンドレア・ドヴィツィオーゾ(彼の実績の詳細は『MotoGP 最速ライダーの肖像』第9章を参照)が、今季はアプリリアの開発に協力することになった。この事実は、アレイシ・エスパルガロにとっても心強い要素であることはまちがいない。

 チーム代表のファウスト・グレシーニがこの2月に新型コロナウイルス感染症で逝去するという不幸なできごとがあっただけに、アプリリア関係者やグレシーニレーシングのスタッフたちにとっても、好結果を目指す決意は例年以上に強いはずだ。それだけになおさら、彼らが表彰台を獲得する瞬間は人々の心をおおいに震わせるものになるだろう。

 

 ドヴィツィオーゾが戦列を離れた2021年シーズンに、彼の衣鉢を継ぐような〈賢人〉としてのスタンスをさらに際立たせているライダーがいる。フランコ・モルビデッリだ。

第4戦スペインGPで3位表彰台にあがったモルビデッリ。サテライトチームとしては大健闘だ(写真/MotoGP.com)

 1994年生まれのモルビデッリは、現在26歳。イタリア人の父とブラジル人の母の間に生を受け、ローマで成長した。バレンティーノ・ロッシが主宰する育成プログラム・VR46ライダーズアカデミーの一期生といっていい存在で、2017年にMoto2クラスの年間総合優勝を達成し、2018年から最高峰のMotoGPへ参戦している。ヤマハサテライトチームのPetronas Yamaha SRT所属で、ファクトリースペックから一段劣るマシン仕様ながら、昨年は3勝を挙げて年間ランキング2位、というじつにめざましい結果を残した。〈ふたつの祖国〉を持つ自己のアイデンティティの象徴として、今年のヘルメットは左右にそれぞれ南米風のトロピカルフラワーとイタリアをイメージさせる花をあしらったデザインになっている。

 モルビデッリのヘルメットといえば、前掲書のあとがきでも記したとおり、昨年アメリカ合衆国や欧州で盛り上がりを見せたBLM運動を支持する意思表示として、スパイク・リーの映画『ドゥ・ザ・ライト・シング』に触発されたデザインを、ホームグランプリのサンマリノGPで使用し、その行動はおおいに共感と賞賛を集めた。

 ヘルメットトップにはモルビデッリ自身を戯画化したとおぼしき男性が描かれ、ラスタデザインっぽい衣装で “Time Out!” と叫んでいる。これは映画のなかで、若き日のサミュエル・L・ジャクソン演じるラジオDJ、ミスター・セニョール・ラブ・ダディが “ YO! HOLD UP! Time out! TIME OUT! Y’all take a chill! Ya need to cool that shit out!”(いいかげんにしやがれ、おめえら。もうおしまいなんだよ、おしまい。とにかくどタマ冷やしておちつきやがれ)と叫ぶ、あの場面を模していることは、映画を観た人なら即座にピンとくる図柄だ。さらに後頭部には〈平等〉を意味する言葉が、英語、日本語、スペイン語、ロシア語など多様な言語で記されている。

 このデザインを採用した意図を、モルビデッリは当時、以下のように説明した。

「今回のレースでスペシャルデザインを採用しようと考えたとき、なにか大きなテーマ……そう、人種差別(反対)を扱いたいと思ったんだ。しかも、この2020年という年をまるごと表現したかった。今年は年頭から良くないことが起こり、好ましからざることもたくさん発生した。でも、ぼくたちは観客の人たちに向けてモノを見せる立場で、見ている人たちに愉しみを感じてほしいと思っている。だから、そういったトピックをシリアスでストレートに出すのではなく、できれば軽いかんじで表現したかったんだ。

 で、スパイク・リーの映画で、このテーマをとてもうまく扱った『ドゥ・ザ・ライト・シング』という作品がある。これはぜひ皆に観てほしいんだけど、そのなかである登場人物が〈お互いに憎しみあうのはもうおしまいだ! タイムアウトなんだよ〉というシーンがある。そのキャラクターの姿を自分自身に擬して、ヘルメットに描いてみたんだ。

 そしてもうひとつ、いろんな言語で〈平等〉というメッセージも伝えたかった。これは、皆が胸に留めておくなにより大切なことだから。皆が平等であるということは、新型コロナウイルスが悪い形で認識させてしまった。でも、ぼくたちはいい意味での〈平等〉ということを忘れないようにしなきゃいけない。これは最高のメッセージだと思うし、そういったことをぼくはできるかぎり軽いかんじで伝えたいんだよ」

 この発言を一語一語考えながら発したときの彼の口吻は、その穏やかな人柄と、知性、理性が一体となった人物像をじつによく伝えている。MotoGPの公式サイトでこのときの彼の発言は無料コンテンツとして公開されているので(https://www.motogp.com/en/videos/2020/09/12/morbidelli-explains-message-of-equality-with-poignant-helmet/343329)、興味のある方は彼の真摯で深みのある口調をぜひ直接その目と耳で確認していただきたい。

 F1界では、ルイス・ハミルトンが率先して人権啓発や差別撤廃の意志表示を行動で示していることはつとに知られている。テニス界でも大坂なおみ選手が人種差別や偏見に反対する意志を積極的に表し、NBAの八村塁選手やMLBのダルビッシュ有選手もSNSなどで厭わず発言を行う。ひるがえって、たとえばMotoGPの世界で、日本やアジアの選手たち、あるいはアジアにビジネスの大きな軸足を置く参戦関連企業が、たとえばいまこの瞬間にも多くの人々の生命が危機に晒されているミャンマーの深刻な事態や、あるいは民主政や人権が強権的に脅かされて続ける各地の状況に対して、あるいは反動的なアジア人へのヘイトクライムに対して、もしも、なんらかの声をあげることがあるならば、彼らの勇気ある意思表示にはきっと大きな共感と賛意が集まるだろう。それもまた、スポーツやアスリートが世の中に対して為しえる〈ポジティブなフィードバック〉のひとつであるはずだ。

 閑話休題。

 フランコ・モルビデッリに話を戻すと、今季の彼はポイント圏外の15位以下で終えるレースもあれば、冒頭に紹介したジャック・ミラーのことばにもあるとおり、強烈なパフォーマンスを発揮して表彰台を獲得するレースもある、といったふうに、出来不出来の差が激しいリザルトが続いている。とはいえ、注目しておけばレース観戦の面白さにさらに深みが増す選手のひとりであることはまちがいない。上述のとおりサテライトチームでファクトリースペックから一段劣るマシンで戦っているところも、おそらく日本人ファンの判官贔屓マインドをいたく刺戟するのではないだろうか。

今季は成績の浮き沈みが激しいが、その分面白い選手になりそうなモルビデッリ(写真/MotoGP.com)

 と、ここまで紹介してきたライダーたち以外にも、紹介しておきたい選手は枚挙にいとまがない。たとえば、第2戦と第3戦で連勝を飾り、現在はランキング首位に立つファビオ・クアルタラロ。彼が鳴り物入りでMoto3にデビューを果たした2015年のカタールGPでパドックがざわついた様子や、その後の苦戦。好敵手ジョアン・ミルのMotoGPステップアップを知って、自身も即座に最高峰へ進むと即座に決めたことや、その最高峰クラスに颯爽とデビューを果たした2019年にはマルク・マルケスと互角の勝負を繰り広げるなど華やかな活躍を見せた一方で、若さゆえの弱点もたびたび露呈したこと。そして、ファクトリーチームのMonster Energy Yamaha MotoGPへ所属することになった今年、その弱点を地道に克服しつつある様子。

今季2勝、第5戦終了時点でランクトップのファビオ・クアルタラロ(写真/MotoGP.com)

 あるいは、小排気量クラス時代から己の才能を恃む自信を隠そうとせず、今年の最高峰デビューでも高い資質を披露しながら、その後の転倒により現在は負傷治療で休暇中のホルヘ・マルティン。そのマルティンと鎬を削る激しい争いを続けて昨年はMoto2のタイトルを獲得し、MotoGPへステップアップしてきたエネア・バスティアニーニが、ふだんは闘争心のかけらも感じさせないような穏やかで温厚な笑顔の持ち主であること、等々。

 いまはまだ20歳すぎの新人選手にすぎない彼らも、やがて数年後にはMotoGPのチャンピオンを争う主役となってゆくだろう。そしてそのころに、もしも『MotoGP 最速ライダーの肖像』の第2弾が書かれることがあるのならば、そのなかには歴代チャンピオンのひとりとして日本人選手の章もあってほしい、と希う。

 

関連書籍

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プロフィール

西村章

西村章(にしむら あきら)

1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。

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