タレントの堺正章氏が主催するクラシックカー・イベント「SUPER MUSEUM」が2023年3月26日から27日にかけて開催された。20台のクラシックカーが1泊2日で東京から富士スピードウェイを往復するツーリングイベントで、富士スピードウェイのメインコースを周回したり、江之浦測候所(後述)を見学したりという特別プログラムが組まれていた。
そのイベントに『クラシックカー屋一代記』(集英社新書/3月17日に発売)の著者・涌井清春氏も参加するというので、同書の構成を手がけたジャーナリストの金子浩久氏が密着、その模様をお届けする。
堺正章氏は1990年にイタリアで観戦したクラシックカーレース「ミッレミリア」に感激してクラシックカーを入手して以来、これまでに国内外でレースやラリーをはじめとするさまざまなイベントに参加してきた。30年以上もクラシックカーを愛し、同好の士たちと交流を深め、その魅力に取り憑かれてきた。
当然、その間に培われた知識や見識などは豊富で、オーナー同士の交流は濃厚なものになった。その成果を活かすかたちで開催されたのが、今回のイベントだ。参加するオーナーもクルマも堺氏が選定し、招待した。
集合場所の六本木ヒルズアリーナにはスタート時刻が午前11時からにもかかわらず8時前からすでに半数以上のクラシックカーが集まり始めていた。パッと見ただけでも、フェラーリが3台、ブガッティが2台、黒いメルセデスベンツ300SLも特徴的なガルウイング(カモメが羽根を広げたように見える)ドアを広げている。
他のクルマも次々と集まってくる中、エンジンを掛けていないのではないかと思わせるほど静かに、そして悠然と姿を現したのはグレーの2トーン塗装に真紅の細いストライプも鮮やかなロールスロイス・ファンタムⅡ・コンチネンタル・ドロップヘッドクーペ・バイ・カールトン(1930年)だった。運転しているのはオーナーの涌井清春氏である。
開会の挨拶に立った堺氏は、開催の動機について次のようにスピーチした。
「クラシックカーの奥深い魅力を多くの方に知っていただき、走る姿を観ていただくことで世の中に元気を提供したいという思いから始めることにいたしました。世界に誇るべき20台が2日間にわたって、ここ六本木ヒルズから富士を往復する間に、どれほどの感動を与えることでしょう」
あいにくと、この日の東京は朝から雨だったが、20台は観衆の拍手に送り出されて六本木をスタートした。
雨の日曜日の午前中なのに、首都高から東名高速までずっと渋滞している。渋滞など存在していなかった頃に造られたクルマたちにとっては大敵だ。水温が上がってエンジンの冷却が追い付かなくなり、歩くような速度でのストップ・アンド・ゴーではクラッチが切れなくなり変速ができなくなる。ガソリンの気化やブレーキの酷使なども問題を引き起こすだろう。現代のクルマでは当たり前のエアコンもないから、窓ガラスも曇り出してきて視界が奪われる。渋滞は、クラシックカーにとってトラブルメーカーなのである。
中央環状線が3号線に合流するところでは、参加車の中で最も若いアルファロメオ・TZ1(1964年)とフェラーリ・250GTベルリネッタSWB(1961年)、同250GTベルリネッタ“TdF”が縦に3台連なって進みながら渋滞に耐えていた。まるで動物や魚などが群れることで外敵から身を守ろうとしているようだ。
そんな中で東名高速には進まず、用賀で首都高を降りていくクルマも見えた。助手席に乗っているナビゲーター役の人間がスマートフォンなどを使って、渋滞状況を調べたのだろう。
六本木を製造年代の古い順にスタートしたが、早くもバラけてしまった。ラリー競技ではないので慌てる必要もない。
ランチ会場のGDO茅ヶ崎ゴルフリンクスに涌井氏のロールスロイスが到着するのと入れ違うように、国道134号を西に向かってダッシュしていったのは、馬蹄形のラジエーターグリルと明るいブルーのボディでそれとわかるブガッティT40GS(1928年)だった。走行ルートの違いで、だいぶ差がついてしまったようだ。
次の目的地は、富士スピードウェイホテル。昨年新設されたモータースポーツに関連したレーシングカーやラリーカーなどが陳列されているミュージアム併設ホテルだ。それらは豊田市のトヨタ博物館本館や国内外の他メーカーからの貸与を受けて陳列されている。イベント参加者たちはウエルカムディナーを楽しみ、ここに宿泊する。
プロフィール
かねこ ひろひさ
1961年生まれ