島民たちが語る「祟り説」
防衛省がこの事故に関する情報を出さないなか、島民たちからある言葉を耳にするようになり、いつしか自分もそれを無視できなくなっていた。それは「祟り」という言葉だ。島の人と打ち解ければ打ち解けるほど、「あまり言いたくないけど」と前置きした上で、島民たちは祟り説を口にする。
この駐屯地の中にはいわゆる「御嶽」(琉球諸島にある聖地。拝み場所で、多くの場合、立ち入りが禁止されている)があるという。また、自衛隊ヘリが消息を絶った池間島の南東には大神島という島全域が聖域とされる島もある。この島では神事の際、今でも部外者の入島が禁止されている。
プライバシーに配慮し詳細は避けるが、この自衛隊誘致を推進した議員が数名亡くなったこと、さらにはその家族にも不幸があったこと、駐屯地に隣接する自衛隊官舎で自衛官家族による児童2名の殺人事件があったことや、交通事故で自衛官が死亡した件など、調べると確かに2019年の開所から4年にしては関連する人物が死にすぎている。そしてさらに今回の10名不明事故だ。
非科学的で無根拠な噂話ではあるが、この数を考えると「呪い」や「祟り」と口にする島民の気持ちも少なからず理解できる気がした。
また、実際にこの島々を訪れると、都市で暮らす人々の理解を超えた「何か」が今でも存在するのかもしれないという強いバイブスを感じる。この島々に暮らす人々はそういうものを守り、守られ、共存し続けてきたのだろう。言語化は難しいが、それは軽んじてはいけない自然や祖先、異界への畏怖のようなものだ。個人と共同体、そして自然との距離感が都会人とは全く違うという感覚は理解しておいてほしい。
もう少し客観的な目線で考えると、この自衛隊基地は配備や運用に、いくつもの無理があった。さらに言えば自衛隊という組織の在り方自体が現代的な感覚と合っていないと感じる。そういう理不尽や無理強いの中で生まれた軋轢や機能不全が事故や事件を誘発しているとの見方もできるのではないだろうか。
この点について、先ほど話を聞いた元自衛官はこう指摘する。
「現在も自衛隊内部の組織構造は、旧時代的な精神論、根性論によって成り立っている。ここに一般社会と大きな乖離が生まれている。その価値観の差に、隊員たちは皆苦しむ。防衛省は自衛官のメンタルヘルスケアについて力を入れているとアピールしているが、内部には結局、精神的な不調を持つものは馬鹿にされる体育会系的な風潮が根強く残る。防衛費を倍増し、装備やミサイルを拡充しても、結局それを使う自衛隊員たちが古い組織構造や教育制度の中で、ストレスを抱えている現状では、国防という観点からも合理的とは言えない」
そもそも「戦争」と「人権」とは矛盾するものである。であるとしても、事実上の軍人に類する自衛官の人権を見落とす現在の構造には問題を感じる。「人権を尊重される軍隊」一見、矛盾した話ではあるが、現行憲法の理念を踏襲すれば、「人権を尊重する自衛隊」という針の穴を通すような概念を具現化することが、国家という共同体の本質的な平和に繋がるのではないかと、新たな問いを立てられた気分になる。
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