宮古島・陸自ヘリ墜落現場では何が起こっていたのか

取材・文・写真/大袈裟太郎
大袈裟太郎

石垣島に自衛隊のミサイルが配備され半月が経たない4月6日、宮古島の航空自衛隊分駐屯地を離陸した陸上自衛隊ヘリUH-60JAが、宮古島と伊良部島の間の海上で消息を絶った。行方不明者は10名。3月に着任したばかりの陸上自衛隊第8師団のトップである坂本雄一陸将や、宮古島駐屯地の司令である伊與田雅一1等陸佐など陸上自衛隊の幹部が搭乗していたことや、同日に中国海軍の艦艇が宮古島と沖縄島の間を航行したことなどから、ネット上には様々な真偽不明の投稿が並んだ。憶測が憶測を呼び、事故原因も判明しないなか、筆者は現場、宮古島へ向かった。

池間島から捜索を続ける自衛隊員、4月18日

到着したのは下地島空港だった。この島は2015年に宮古島と伊良部島間に伊良部大橋が開通したことにより、隣接する伊良部島を介して宮古島まで自動車で20分ほどでいける場所となった。到着するといきなり米軍F16戦闘機2機に滑走路で出迎えられた。この2機が陸自ヘリ事故の翌日、この下地島空港に緊急着陸したことも不穏な憶測を呼んでいた。

4月14日、下地島空港に駐機する米軍機F16。メンテナンスのための米軍ヘリも飛来した

私は自衛隊ヘリの捜索が行われている伊良部島、佐良浜港に宿をとった。

自衛隊ヘリが消息を絶ったのは、この伊良部島と宮古島の間の海域だ。取材を開始するとすぐにこの佐良浜港からほど近い「サバウツガー」という古い井戸がある海岸で漂流物が見つかったと地元の人の情報があり、駆けつける。そこでは、ちょうど地元警察が自衛隊ヘリの「発煙筒らしきもの」を運んでいた。地元警察はこちらの目にナーバスになっているようで、漂流物は隠すように回収されていった。

図版作成/海野智
4月14日、サバウツガー付近で回収された漂流物

伊良部島の佐良浜集落は、すれ違う人すべてに挨拶するような牧歌的な集落だった。その姿は、駐屯地ができる前のかつての与那国を思わせた。夜9時を過ぎると歩くのもままならないほど真っ暗になり、そのなかを蛍だけが静かに飛び回っている。

地元の老人に話を聞くと「(行方不明者が)早く見つかってほしい。中国の船も一緒に探してくれたらいいのに」と、ネット上の喧騒とはほど遠い、やさしい言葉が返ってくる。また別の住民から「消息を絶った日は晴れていたが、翌日から2日間、悪天候で地元の漁船も捜索に参加できなかった。このあたりの海には鮫も多いから心配だ……」という話も聞いた。素人目には、遠くまで透き通る海に見えるが、ひとたび荒れると漁師でさえも太刀打ちできない強い自然が広がっている。

地元のある男性は「事故の原因はニングヮチカジマーイではないか」と語った。ニングヮチカジマーイとは、漢字では「二月風回り」と書く。旧暦の2月頃(現在の3月から4月にかけて)突如として、突風が吹く現象で、地元の漁師たちも恐れているそうだ。

事故から1週間が経過した13日、陸自ヘリが沈んでいる地点が発見され、翌14日には乗組員と見られる5名も沈んだ機体と共に海中で確認、飽和潜水による引き上げが始まった。

伊良部島から宮古島を見渡せるある廃墟には、自衛官たちが陣取って捜索を続けていた。地元の方が「この場所の使用許可を取ったのですか?」と質問すると、「広報を通してください」と答えるだけだった。彼らからは疲れ切った雰囲気と緊張感が漂っていた。島のいたるところで自衛隊員たちを見かけるが、話しかけるとおどおどする様子が気になった。人命救助活動をしているのだから胸を張れば良いと思うのだが、その対応に不自然さが漂っていた。捜索活動に関して私有地に無断で入り、揉め事になったという話も後に聞いた。

伊良部島、三角点。自衛隊機が消息を絶った海域が見渡せる
伊良部島の廃墟から捜索を続ける自衛官たち。戦地のような光景だった
伊良部島は自衛隊車両だらけと言って良い状態だった
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プロフィール

大袈裟太郎
大袈裟太郎●本名 猪股東吾 ジャーナリスト、ラッパー、人力車夫。2016年高江の安倍昭恵騒動を機に沖縄へ移住。
やまとんちゅという加害側の視点から高江、辺野古の取材を続け、オスプレイ墜落現場や籠池家ルポで「規制線の中から発信する男」と呼ばれる。 
2019年は台湾、香港、韓国、沖縄と極東の最前線を巡り、2020年は米国からBLMプロテストと大統領選挙の取材を敢行した。「フェイクニュース」の時代にあらがう。

 

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