駐屯地開設後も反対運動は続いている
宮古島駐屯地から南東に車で20分、保良地区にあるのが陸上自衛隊保良訓練場だ。いわゆるミサイルの弾薬庫を併設し、2021年の11月に反対運動のなか、地対空、地対艦誘導弾が搬入された。この場所では平日の午前中、地元保良地区の住民たちによる抗議行動が3年半続いている。写真を見てもわかるようにこの基地と集落との距離は最も近い場所で250mほどで、ミサイルと隣り合わせの生活を強いられている。
80年前、この地区では旧日本軍の弾薬庫の爆発に巻き込まれ、子どもたちが亡くなるという事故があった。その記憶が残る住民たちが、今、再び弾薬庫の影に怯えている。
住民たちは工事車両へのスタンディング並びに通過する一般車両(主に観光客)へのアピール行動を行なう。また、彼らは基地の運用を厳しく監視し、問題があればその都度、要望書や質問状を提出して説明を求めるなどの活動を続けている。
防衛省は4月上旬、この訓練場内の射撃場を市や地元住民、マスコミへの公開を予定していた。しかし今回の陸自ヘリ事故でそれらは延期された。
保良地区の住民で、保良射撃場の前で毎日、スタンディングをする60代の女性は、「基地ができても監視や要望、情報公開の要請を続けていくことが大事、それをしないと自衛隊という組織は、一歩一歩ジリジリ、非合法に、なし崩しに、訓練や規模を拡大してくるからね」と話す。
与那国、石垣島と自衛隊を、そして沖縄島で米軍基地を見てきた自分としてもこの感覚にはとても同調した。
駐屯地開設後も反対運動を続ける人々の存在が、自衛隊という組織に法的にも道義的にも規範をもたらしているのではないか、それが彼らが計画外の訓練をしたり、性犯罪などの事件を起こすことの抑止力となっていると感じる。この件には元自衛官も同意を示し、こう語る。
「上官が反対運動の声を気にして、隊員たちに綱紀粛正を求めることは当然あります。まあ、反対運動が無くてもしっかりとしてほしいものですが……」
これは台湾有事や国防ばかりが報道されるメディアでは、なかなか語られない感覚だろう。なお現在、この弾薬庫周辺の土地の所有権に関して、住民が数件の裁判を起こしている。
宮古島の中心街では観光客が楽しげに闊歩している。インスタグラムにはきらきらした青い海の写真が並ぶ。自衛隊基地建設や海外、ドバイなどからの直行便の就航で、コロナ前の宮古島はバブルと呼ばれていた。しかしそれに伴う家賃の上昇で、ワンルームの賃貸が10万円台に高騰するなど、地元民の暮らしが壊される、いわゆるジェントリフィケーションが起き、半グレの流入問題も表面化した。
「プラスマイナスで考えると、島の人の得になることは、あんまりなかった気がします」と基地問題には無関心な地元の20代女性も不満を口にした。
自衛隊ヘリの事故やその背景となった駐屯地の建設、ミサイル配備、さらには戦争の歴史や、大和人としての加害性などにはまったく無頓着で明るくはしゃいでいる観光客を見ると、嫌気が差すような気分になった。しかし、それが地元の観光産業や、もっといえばこの島の平和にとってのバロメーターになっている側面もあり、なんともいたたまれない気分のまま、私は大和人として所在なく、島を見つめていた。
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