財務省の決裁文書は極めて真っ当なため改ざんされた

瀬畑源

森友学園への土地売却に関する決裁文書改ざん問題で、安倍政権に激震が走っている。なぜこんなことが起こってしまったのか? この一件で最も注目すべきポイントはどこか?2月に『公文書問題』(集英社新書)を著した、瀬畑源氏を直撃した。

──森友学園への国有地売却をめぐり、財務省の決裁文書に「書き換えの疑いがある」と朝日新聞などが報じた問題で、ついに財務省が「書き換え」の事実を認めました。いわゆる「原本」からの修正点は文書14件、300箇所にも及び、「本件の特殊性」という表現や、具体的な価格交渉に関する記述、また、首相夫人の安倍昭恵氏や複数の政治家の名前が削除されているなど「改ざん」と呼ばざるを得ないものです。財務省が、それも組織的に決裁済みの公文書の改ざんを行うという、前代未聞の状況を瀬畑さんはどのように見ておられますか?

 正直、驚きましたね。「あー、ホントだったんだ……」と、やっていけないことを本当にやってしまった。明らかに常識では考えられないことが起きてしまったというのが、このニュースに接した時の率直な印象です。

   近代の官僚制というのは「文書主義」によって成り立っています。すべての決定事項において、かならず文書が作られ、その文書に稟議でハンコが押されることで「これは組織として決めたことだ」という証を残す、ということを大前提に公文書の信頼性が担保されて「行政」が動くという仕組みなんですね。

 そのように「行政」という仕組みの根幹を支える「決裁文書」の内容を書き換えるというのは、常識ではあり得ない話です。仮にそうした「決裁文書」が信用できないものだとなれば、官僚は自分たちの仕事の最低限の存立基盤を自ら壊してしまうことになる。

 マスコミの取材を受けた他の官僚たちも一様に「信じられない」とコメントしていましたが、これは財務省のみならず、この国の行政そのもの信頼を大きく傷つけかねない、非常に深刻な問題だと感じています。

──これまで財務省が国会などに提出していた「改ざん後」の文書と、今回、新たに明らかになった「原本」を比較して、どのような点に注目されていますか?

 個々の「書き換え」や「削除」についても、いろいろと思うところはありますが、それ以前に大変驚いたのは、いわゆる「書き換え前」の文書がすごく詳しかったという点ですね。日本の官僚の一般的な特性として、後で問題になりそうな情報はできるだけ公文書に入れないというのが基本です。2001年に情報公開法が施行されてからは「公文書」「行政文書」の定義を狭く解釈することで、それ以前の過程に関する情報は公文書ではなく「私的メモ」とか「個人資料」という形で公文書扱いしないことが少なくない。

 ところが、今回明らかになった「原本」には安倍昭恵首相夫人や、複数の政治家の名前を始め、具体的な価格交渉に関する経緯が詳しく記されており、それが「本件の特殊性」という記述を支える内容になっています。決裁文書に政治家の接触記録を残すなど、非常に稀なケースで、むしろ、近畿財務局の職員はあの文書に関してはちゃんと頑張って仕事したんだなぁと思うほどです。

 ではなぜ、彼らはこれだけ詳しい情報を敢えて公文書に盛り込んでいるのか? これは推測でしかありませんが、やはり森友学園を巡る土地の取引というのが、かなり特殊な案件だったということなのだろうと思います。

 それだけ特殊な事例であったからこそ「ひとつの先例」として、参考資料を残したのかもしれないし、あるいは、実際の土地取引にあたった組織を守るために「自分たちはこういう事情で8億円近い値引きを判断せざるを得なかったのだ」という理由を明確にするために、これほど詳しい状況を記録したのかもしれません。

──つまり、原本から削除された文言にもあるように、森友学園に、あれほど有利な条件で国有地を売却したのは、そうした「本件の特殊性」があったからだということを、詳しい状況を添えて公文書に記すことで、官僚が一種の自己防衛を図った可能性もあると。

 そう思います。その意味で言えば、あの「原本」は行政が下した決定事項の経緯や背景についても詳しく、具体的に記しているわけですから「公文書」「行政文書」としては、極めて真っ当だとも言えます。むしろ「極めて真っ当」であったからこそ、森友学園が政治問題化したときに、「なんでこんな詳しいコトまで書いてあるんだ!」と財務省側が大慌てしたということなのでしょうね。

 ただ、今思えば、昨年二月の時点でこの「原本」を公開しておくべきでした。それに、あの時点で出していれば「それで済んだ」可能性すらある。決裁文書の原本から削除されたり、修正されたりしていた内容には、森友学園への国有地売却に何らかの政治的な影響があったという「状況証拠」にはなりますが、あの「原本」に記されていることが事実だと証明する文書の多くは残っていない、と財務省は主張しているからです。

 しかし、3月19日の毎日新聞の報道では、個人資料で残っているということが報じられており、「ない」とは断定できなくなりました。

──「原本」にある詳細な情報も「それは事実ではない」と否定してしまえば、それで押し通すこともできたかもしれない……と。

 少なくとも、あの「原本」だけでは決定打にならなかった可能性はあったでしょう。ところが、財務省は決裁済みの公文書を書き換えるという、絶対にやってはならない「禁じ手」に手を出してしまった。しかも、その、改ざんした公文書を国会の求めに応じて提出したわけですから、これは問題の次元が全く異なります。

 まず、書き換えの行為自体が「有印公文書偽造」や「有印公文書変造」といった「刑事犯罪」に問われる可能性がありますし、行政が立法機関である国会の要請に対して「改ざんした公文書」を提出したとなれば、これは三権分立や民主主義の根幹に関わる大問題です。

 何より、先ほども述べたように「公文書そのもの」の信頼が失われれば、この国が拠って立つ「基盤」そのものの信頼が失われてしまいます。その意味は非常に深刻です。誰がそんな事を命じたのかわかりませんが、「論外」としか言いようがありませんし、当然、これを「現場が悪い」とトカゲのしっぽ切りで済ませることは不可能です。森友学園に対する安倍昭恵という人物の関与の可能性が政治問題化してから、財務省が国会議員に対して嘘をついたわけですから、これが財務省の現場レベルの話ではないことは間違いないと思います。

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プロフィール

瀬畑源

1976年、東京都生まれ。一橋大学大学院社会学研究科特任講師を経て長野県短期大学准教授。一橋大学博士(社会学)。日本近現代政治史専攻。著書に『公文書をつかう 公文書管理制度と歴史研究』(青弓社)、共著に『国家と秘密 隠される公文書』(集英社新書)。共編著に『平成の天皇制とは何か 制度と個人のさざまで』(岩波書店)などがある。

 

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