政権中枢が推し進める横浜市へのカジノ誘致に対し、これを阻止すべく人生最後の闘いに打って出た91歳“ハマのドン”こと藤木幸夫さん。
そこには横浜のみならず全国の港湾を束ねる者として、「博打は許さない」という信念がありました。
決戦の舞台は2021年夏、横浜市長選。菅首相はじめ政権総がかりで来る中、藤木さんと市民との共闘のゆくえは――。
この闘いを追いかけたドキュメンタリー番組は国内外で大きな反響を呼び、このたび「ハマのドン」は映画化されました。
初監督を務めたのは、元「報道ステーション」チーフプロデューサーの松原文枝さん。
このドキュメンタリー制作の舞台裏と“ハマのドン”の生き様が綴られた『ハマのドン 横浜カジノ阻止をめぐる闘いの記録』(集英社新書)の刊行を記念し、大阪の隆祥館書店にて、著者の松原文枝さん、ゲストに『何が記者を殺すのか』著者の斉加尚代(毎日放送)さんを招いたトークイベントが開催されました。
カジノ誘致に大きく舵を切った大阪の市民にとって注目のトークイベントの模様を、ノンフィクションライターの木村元彦さんに執筆していただきました。
台風の中で
2023年6月2日。台風が列島を襲ったこの日、松原文枝監督は朝から大阪・十三の第七藝術劇場、通称ナナゲイに「ハマのドン」の舞台挨拶に来ていた。政権中枢が推し進める横浜港へのカジノ誘致に対して、保守の重鎮でありながら真っ向から反対して市民と共闘し、ついにはこれを阻止した影の権力者、藤木幸夫(91歳)を追ったドキュメンタリーである。10時の回は、豪雨が関西を直撃した時間帯であったが、熱心な観客は足元の悪さをものともせずにスクリーンの前に集ってきた。
松原は大阪に午前入りで難を逃れたが、この後のトークの相手である斉加尚代監督は前日のギャラクシー受賞式に出席後、この日の昼間に東京での取材を入れていたために、午後からの新幹線のダイヤの乱れに巻き込まれてしまった。東京駅で乗車後、最初の停車駅である品川に着いた直後に、「豊橋から三河安城で強い雨が続くために運転を見合わせる」とのアナウンスを受ける。それはまだ運転再開の可能性があるかのようなニュアンスでもあった。
ドキュメンタリストは、ロケ現場で常に瞬時の判断を迫られる。何を撮り、何を捨てるのか。その都度、集めた情報を精査吟味して最善の道を選んでいく。このときの斉加もまたジャッジが早かった。停止のアナウンスを聞くと、羽田からの空路大阪行きを検索し、空席があることを確認すると、即座に新幹線のチケットをキャンセルし、返す刀で京浜急行に飛び乗って羽田空港を目指した。この判断が奏功する。全日空の最後の一席が確保できてシートに滑り込んだのである。新幹線はこの後、東海道全線が停止し、そのまま運行停止となった。
気の毒であったのは、斉加より30分早く東京を出た担当編集の藁谷浩一であった。藁谷が乗った新幹線は新富士駅近くで動かなくなり、5時間缶詰めになった後、結局、運行停止が告げられた。柔術家でもある編集者は体力を活かして豪雨の中を一時間歩いてビジネスホテルにたどり着き、そこで一夜を明かすこととなった。
一方、強運と判断を味方につけた「教育と愛国」の監督は、17時33分に離陸すると、伊丹空港から谷町六丁目までタクシーを飛ばして30分の遅れだけでトーク会場に駆け付けた。
書籍『ハマのドン』には、当然ながら、映画には描かれていない逸話がいくつかある。興味深いのは、テレビ版の「ハマのドン」について、民間放送教育協会の審査において、崔洋一、森達也、星野博美の三氏の評価が割れたことである。森、星野の両氏がテレビジャーナリズムの可能性について言及しつつ、本作を称賛しているのに対し、港湾労働の経験がある崔氏は「港の描き方が甘い」と歯に衣着せずに苦言を呈したという。監督が批判に対しても隠さず吐露する、懐の深い筆致の本である。
「独ワイマール憲法の“教訓”」を振り返る
松原はかつて、報道ステーションのプロデユーサー時代にキャスターの古舘伊知郎とともにドイツに渡り、特集「独ワイマール憲法の“教訓”」を制作している。ナチスドイツの台頭は軍事クーデターではなく、民衆の圧倒的な支持を受けた選挙によって招いたという事実、当時世界で最も民主的と言われたワイマール憲法下からいかにして、ユダヤ人を虐殺したあのファシズムが台頭していったのか、古舘にモノローグで語らせ、その演出をした作品はギャラクシー賞テレビ部門大賞を受賞している。
「ハマのドン」以前の重要な仕事として、冒頭、斉加が登場するまでの繋ぎを依頼された筆者の問いに、以下のように述べた。
「これから日本で憲法改正がなされ、特にその中に自民党が言う『緊急事態条項』が盛り込まれて総理大臣のもとに権力が一元化されたら、どんなことが起こるのか? それをどうすれば、自分ごとと考えることができるのか、を考えて(あの番組を)企画しました」
これまでは、憲法について記録の掘り起こしの番組はあったが、予見をする試みは初めてだったので躊躇もしたという。
「それでも民主的な憲法のもとで、戦争に進むのは新しいことではなく、実際にナチは、国民主権、思想信条の自由、男女平等をうたい、当時最も民主的と言われたワイマール憲法の中の第48条『国家緊急権』というたった一つの条文を引き金に市民を独裁に巻き込んでいったわけです」
ヒトラーは首相になるとこの「国家緊急権」を幾度も行使して集会・言論の自由を制限し、司法手続き無しで野党の政治家を逮捕し、果てには、政府が国会を経ずしてすべての法律を制定できる「全権委任法」を通してしまう。同番組で、古舘伊知郎はワイマールの街中を歩きながら、滔々と語る。
「ナチは、『独裁』を『決断できる政治』、『戦争の準備』を『平和と安全の確保』というように言葉を変えていきました」
閣議決定で言葉の定義さえ変えてしまう日本の現在との酷似をあぶりだすワンシーン、ワンカットの見事な長回しの映像である。
ナレーション原稿を書いた松原は、「古舘さんはとても記憶力の良い方なのですが、あれは少しでも間違うと問題なのでカンペを出していました(笑)」軽妙に笑いを取りながら、「何しろ大切な歴史について語っているので、微塵も誤りは許されないと思って学者の方にも監修してもらいました」
徹底的に歴史の事実と学術的な知見にこだわった松原は、自民党の憲法草案をドイツの憲法学者(イエナ大学のドライアー教授)にも見せてこんな見解をもらっている。
「(この自民党草案は)議会チェックの認定条件がぬるくてワイマールの国家緊急権より悪用される可能性が大きい。有事で言えば、日本はあのような(東日本大震災)災害にも対処しており、なぜわざわざこれを入れるのか」
まさに歴史から学び、見事に情緒を排してエビデンスからのみ「緊急事態条項」に警鐘を鳴らした特集「独ワイマール憲法の“教訓”」は反響を呼び、先述したように放送界でも大きな評価を得た。
しかし、直後、松原はなぜか報ステから所属が変わった。「自民党に盾突くワイマールの番組を作ったからではないか。更迭プロデユーサーと呼ぶ人がいますが」という問いには、快活に答えた。
「私自身、人事異動のことは分かりません。でもあらたに経済部に移ったからこそ、『ハマのドン』はできたんです。更迭という方もおられますが、自分は(職場が)変わって良かったと思っています」
豪雨を縫って会場に駆けつけた斉加は、その映画に対してこう評した。
「安倍政権が2014年に放送法の解釈を変えた文書を出しました。そして私と松原さんは2016年、安倍政権の圧力がメディアに最もかかった年に出逢いました。『ハマのドン』と私の『教育と愛国』とは一見、関係が無いように見えますが、実は国策に抗う人たちをそれぞれ描いているという大きな共通点があるんです」
抗う人たちとは、横浜で強大な権力がこしらえたカジノ建設計画を阻止した市民、そして政治が教育や学問の領域に介入することに抗った教師や学者たちのことを指す。
なぜドンを主役に描いたのか?
松原は映画・書籍の主人公となる港のドン、横浜市長選で市民と連帯した藤木幸夫に密着したときの感想を語る。
「藤木さん自身が、菅義偉前首相を育てた人で、元々が保守で権力側だったわけですが、自らどんどん市民の中に分け入っていくんです。しかも普段からああなんです。上からの目線ではなく、人を分け隔てしない。普通、政治家だと地元の催しなんかでも挨拶の10分間だけ顔を出して去っていくんですが、藤木さんは開始の1時間前にやって来る。なぜそんなに早く来るんですか?と聞いたら、『だって準備の段階からだと、いろんな人と話ができるでしょう』と。港湾のドンは怖いと思っている人とも打ち解ける。とにかく人間が好きなんです。私たちの取材でも聞かれれば、右翼や山口組の田岡組長との関係など、日本の裏面史とも言える話もあけっぴろげに語られる。それも含めてマスに向けてカジノ反対を自ら発信されたんですね」
斉加はこう感想を述べた。
「後半の取材のされ方に心を打たれました。カジノに反対する藤木さんの言葉で印象的だったのが、『自分には横浜の港の歴史が重なっている。荒っぽい場所で人もたくさん死んでいる。港で命を落とした人たちが自分にIR反対を語らせているのだ』という部分です」
藤木が父祖の代から続く、港湾労働者とのつきあいを背負っていることを指摘した。
一方で「なぜ、ドンを主役にされたのでしょう? あるいはもっと深く藤木さんの毀誉褒貶を描かれないのかという声についてはどう思われますか?」と質問を投げた。
主権在民と銘打ちながらも、藤木は権力構造の上部にいる人間ではないか? 政財界とのつながりもあり自身もギャンブルについては推進していたではないか? との批判がネット上でも散見される。斉加は、松原へのリスペクトがあればこそ、腫れ物にせず、出版イベントにありがちな予定調和を排して忖度無く訊いた。
対して松原も正面から答える。
「国策のカジノを撤回させることはすごいことで、それが本作の主眼です。国が押し進めてきたものを声を上げてひっくり返すことの大変さ。しかも菅首相という最高権力者のおひざ元の横浜でです。物を言うこと自体、今の社会は憚られて沈黙を強いられている中で、藤木さんは時代を背負いながら、市民にも分け入っていった。もちろん人間にはいろんな側面があります。しかし、主権官邸ではなく、主権在民なのだと、彼から聞いたこのカジノに対する姿勢は多くの視聴者、読者と共有したいと思って描きました」
府民21万人以上のカジノ反対の署名が集まったにもかかわらず、日本初のカジノを含む総合リゾ-ト(IR)計画が4月に政府の認定を受けた大阪での本イベント開催の意義を見出した主催者=隆祥館書店の二村知子は、書籍を読んで感じた藤木の人柄を「自民党にここまで言える坦力がすごい。そして横浜エフエムの代表もされていますが、放送のスポンサーに消費者金融を入れないというところが、ほんまに大阪とちゃう」と語り、爆笑を誘った。
言うまでもなく、大阪でカジノを推進している吉村洋文知事は、かつて武富士の顧問弁護士であった。松原は、「藤木さんは利権でカジノに反対していると見る人もいるんですが、猛烈な読書家であることや消費者金融と距離を置いていることもまた事実で、青少年のことを考えています。人間性を描く上でそれで(人物造形の要素として)入れました」
多彩なゲストが次々コメント
他にも会場からは多彩なゲストが発言を重ねた。
おおさか市民ネットワークの藤永のぶよさん。「自分の孫や子孫にまで類が及ぶカジノには反対し続けていますが、大阪には藤木さんはいてません。おるのは金儲けしか考えていない悪ドンですわ」
元参議院議員の辰巳コータローさん。「国は認定といっているが、その実情は、国土交通省の有識者委員会が25の項目を設けて1年かけて調査し、1000点満点中600点以上を合格とした中で、大阪は657.9点ギリギリのラインなのです。現在、カジノに反対する二つの裁判が同時に進んでいます」
阪南大教授の桜田照雄さん。「認定と認可は違う。認定は、『一定の機能を備える施設』として基準を満たした施設に対して行う事実認定だが、これさえ満たしていないということで裁判が行われている。まだ認可には至っていないので、撤回の余地は充分にあります」
映画にも登場したNY在住のカジノ設計業者・村尾武洋さんは、オンラインでコメントした。
「私は松原監督の報道を見て、カジノ候補地として名前が挙がっていた大阪と横浜に向けて、『カジノはなぜダメか』という手紙を書きました。横浜は、港湾のドン藤木さんに、大阪は、当時の大阪維新の代表に。藤木さんからは丁寧な返信があり、維新の代表の方からは何もなかったです。大阪を見ていて驚いたのは、行政の方が、カジノに対して設備投資するなんて信じられません。アメリカの場合は、行政側は許可を出すだけで、設備投資からすべてカジノ側が100%出します。利益は70%が行政で、30%がカジノ側が取る。ところが日本の場合、それが逆になっている。一度、カジノを作ってしまったら、最後は家族破綻どころではない。わざわざ地元に持ってくるなんて考えられないです。特に、大阪のような大都市にはいらない」
2時間、びっしりとトークは続き、大阪のカジノ裁判、さらにはカジノを巡る報道の問題まで言及されていった。
松原『ハマのドン』、斉加『何が記者を殺すのか』(ともに集英社新書)のサイン会に移行しても参加者からの質問は途絶えることなく、活発に続いた。
同時刻、まさに二つの新書の担当編集の藁谷は豪雨の中、ビジネスホテルに向けて歩を進めている最中であった。
会場撮影/李信恵