水道橋博士が『アントニオ猪木とは何だったのか』刊行記念イベントをレポート!

水道橋博士×吉田豪×松原隆一郎
水道橋博士

そして12・31「HANASIAI」へ

 さて、吉田豪と松原隆一郎の関係は『ゴング格闘技』の長期執筆者仲間であり、吉田豪の大著『書評の星座』を巡って検証対談の相手でもあることも、ここで知らされた。

 このふたりの論点を整理すれば、格闘技を「やる側」の松原隆一郎の猪木論とは、プロレスというジャンルの「強さ」についての実践的経過観察と、猪木の放つ言葉の世間への伝播力への再評価だ。その証拠に新書に寄せた一文のタイトルは「1000万人に届く言葉を求めた人」である。氏の文武両道を極める姿勢が反映していて興味深い。

 一方、吉田豪は新書に寄せた文章を含めて、終始一貫、プロレス・格闘技に纏わる逸話を収集し「茶化す」ことで「面白がる」。プロレスへの視線、つまり「見方」を多様に保ち、ジャンルを育て、ファン層を鍛え上げるライターでもあるだろう。吉田豪にとって強さとは面白さなのだ。良書、悪書に限らず、ありとあらゆるプロレス本に目を通すことでも、活字プロレスの歴史を網羅する唯一無比のウォッチャーだ。

 猪木映画に関する見解では、悪評のおかげでハードルが下がっているため3人共に「思っていたものよりマシ」と言いつつも、結論的は映像使用権を持つ現在の新日本に忖度しすぎであるとの総意。ブラジルロケ、猪木問答を称讃し、ドラマ部門の不要を訴えた。そして『徹子の部屋』の猪木出演時の見どころ完全再現を吉田豪が披露した。

 新刊本2冊について。ボクは『格闘家 アントニオ猪木』は『アントニオ猪木自伝』(新潮文庫)、『完本 1976年のアントニオ猪木』(柳沢健・文春文庫)に続く、猪木信者の福音の書でありバイブル認定をしたが、吉田豪は、「ボクはそこまでは……」と言うと、本書が旧作からの引用が多いことを指摘する一方、「新しいインタビューは素晴らしい」との称讃も。松原先生は「やる側」からこの本を肯定し、特にブラジルのルタルーブレの猛者・ヴァリッジ・イズマイウと猪木の練習風景の記憶を再現してみせた。

 『教養としてのアントニオ猪木』は、ボクの自説である「プロレスについてしか知らない人はプロレスについて何も知らない」という箴言通りに、プロレスの「対世間」に対して、多種多様で広角な角度から見た「猪木語り」の取り扱い説明書として優れ、旧来の猪木論、プロレス論をアップデートして、新たにシャッフルする腕の完成度の高さを指摘したが、吉田豪は、「上出来ではあるが、出来ればオリジナルの猪木だけの書き下ろしで書いて欲しかった」と、さらに著者に求めるハードルを上げていた。

 ボクの「今後の課題としてのTPGの再検証」「吉田豪から博士へ引き継がれた百瀬博教伝」「国立競技場Dynamite!で闘魂ビンタを受けた真相」や松原先生の「モダンジャズと猪木」「いがらしみきお漫画に於ける猪木」、吉田豪の「会津若松の猪木襲撃事件の犯人は誰か?」などの話題にも敷衍した。

 この日の鼎談で印象的であったのは、吉田豪の書評では絶えず批判の標的となっている、Show大谷氏(一般的には知られていないので解説すれば、彼のポジションはプロレス・格闘技業界の伝書鳩であり、芸能界に於ける井上公造的な役割の人)の猪木に関する内幕本を読みたいと吐露するところだ。

 また、ボクが18歳の頃からプロレスの見方のメンター(導師)であった「シュート活字」の提唱者であり、同志社大学のプロレス研究会出身のタダシ☆タナカを「苦手な人」としながらも、関西の学生プロレス出身者の理論的支柱であり、アメリカンプロレスの魅力を棚橋弘至等に伝えてきたという、知られざる裏面史で再評価するところだった。

 アフタートークでは、松原先生が第二回アルティメットファイトの選手団、新日のモスクワ遠征の同行者であることからの初出しのトークに大いに盛り上がった。

 また、吉田豪は、大晦日の一年の総決戦のお祭りであるロフトプラスワン興行のマッチメイク担当のひとりでもある。サブカル界では招かれざるヒールにしか思えない箕輪厚介との2回にわたる噛み合わない共演を経て、箕輪の12・31アピール参戦を受け入れている。

 しかも、箕輪の泥酔状態から度重なる揶揄と挑発でバチバチの因縁が生じた、文化系武闘派編集者の久田将義との初共演が大晦日に実現。そして吉田豪の指名で、箕輪に対して実戦でのボコボコの因縁深いボクも初参戦することになったのだ。

 吉田豪曰く、「箕輪 vs 久田の中和剤として博士が必要!」とのことだが、こちらの心中は「交ぜるな危険!」に決まっている。しかし、対戦は発表済み。吉田豪もボクも随所にこのライブが大晦日へ繋がることも意識して話を続けていた。

 気が付けば3時間経過でタイムリミット。ボクは用意していた猪木のサイドビジネスの研究を披露することなく試合を終えた。

 吉田豪が『アントニオ猪木とは何だったのか』に寄せた一文のタイトル「猪木について考えることは喜びである」という言葉通りに、語り手の愉悦と共に我らが猪木と戯れる時は過ぎ去ったのだ。

 最後に、猪木語録には「スキャンダルを興行に結びつけない奴は経営者として失格」という一節がある。

 それは当事者が世間に忘れ去られたい醜聞ですらも、あえて忘却せず、点と点を結びつけ線を作り客前に晒すことで、あらゆる歪んだ人間関係も地上から見れば天空の「星座」という「物語」を紡ぐことが出来ることを指している。

 プロレスとはドロドロしてややこしく険しいマッチメイクこそが、ワクワクする美しい見世物になるのだ。

 ボクは、今、自分の鬱病すらも晒しながら客前に立つことも厭わない。

 この10・28の興行を経て大晦日の箕輪厚介戦、「HATASHIAI」からの「HANASIAI」にタイトルは変わったが、個人的には「REVENGE」を宣言し、ひとまず自分のライブの初レポートのペンを置きたいと思う。

 果たして来る12・31は殺伐とするだろうか? 「道はどんなに険しくても笑いながら歩こうぜ」の言葉を心に言い聞かして。

 会場からは以上です。藁谷編集長!!

撮影/野本ゆかこ

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プロフィール

水道橋博士

1962年岡山県生れ。ビートたけしに憧れ上京するも、進学した明治大学を4日で中退。弟子入り後、浅草フランス座での地獄の住み込み生活を経て、87年に玉袋筋太郎と漫才コンビ・浅草キッドを結成。90年のテレビ朝日『ザ・テレビ演芸』で10週連続勝ち抜き、92年テレビ東京『浅草橋ヤング洋品店』で人気を博す。幅広い見識と行動力は芸能界にとどまらず、守備範囲はスポーツ界・政界・財界にまで及ぶ。著書に『藝人春秋』(1~3巻、文春文庫)など多数。

水道橋博士の日記はこちら→ https://note.com/suidou_hakase

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