去る10月28日、『アントニオ猪木とは何だったのか』執筆者の水道橋博士さん、吉田豪さん、松原隆一郎さんを迎えて渋谷LOFT9で開催された刊行記念イベントの模様を、登壇者の水道橋博士さん直々にレポートしていただきました!
鬱病からの執筆オファー
新書の担当編集者・藁谷さんからライブレポートの依賴があったが、自分の出演しているステージの客観的なレポートは無理だと思った。
ですから現場レポートとして主観的に書いていこうと思います。
2022 10月1日、アントニオ猪木逝去。享年79。
あれから一年が経った——。
あの日、ボクは国会参議院会館714号室で訃報に接し茫然自失のまま天を仰いだ。
昨年、ボクが還暦の歳を迎えると運命的に激動の日々が始まった。
5月、松井一郎大阪市長(当時)にTwitterの引用RTだけで名誉毀損のスラップ(口封じ)訴訟を起こされ一大決心、ライブハウス『阿佐ヶ谷ロフトA』に於いて、山本太郎代表同席の上、反スラップ訴訟法案作成の公約を掲げ「れいわ新選組」から出馬宣言。6月、7月と猛暑の日本列島を東奔西走し、生きるか死ぬかの戦(イクサ)である選挙を戦った。
そして7月10日の投開票で無事当選したものの3日後にコロナ罹患。8月、映画『福田村事件』の酷暑の京都で極右の軍人役を演じ終える頃にはすっかり疲労困憊し、9月、臨時国会の委員会審議が始まると共に、過労と重圧に雁字搦めになり持病の鬱病が再発してしまった。猪木風に言えば文字通り、「国会に卍固め」をされたのだ。
一方でアントニオ猪木は2019年から続く難病・アミロイドーシスとの闘病生活が続き、敢えて、あの偉丈夫が衰えゆく姿をメディアに晒し切っていた。
ボクは選挙期間中、「炎のファイター」をアレンジした応援歌を選挙カーで流し、真紅の闘魂タオルを首に纏って演説に立ち、病床の猪木にエールを送っていた。
我々の世代は、自分が乾坤一擲の勝負に出たときは、脳内に「炎のファイター」が鳴り響き、「迷わずいけよ! 行けばわかるさ!」と念じるスイッチが埋め込まれている。政治記者に戦況を聞かれるたびに「出る前に負けることを考えるバカいるかよ!」と大真面目に猪木節で返していた。
そもそも今回の前の鬱病の発症は3年前だった——。
2018年の8・4「HATASHIAI」という名称の素人同士の闘いに特化した格闘技のイベント出場が契機になった。
やしきたかじんの死を巡る百田尚樹のベストセラー『殉愛』(2014)が「純愛ノンフィクション」と銘打つには作者の落ち度だらけであり、取材すること無く一方的に悪人に描かれた長女や元マネージャーが不当に追い詰められていた。しかもあろうことか、たかじんの後妻の経歴の新事実を調べ上げ、事実の訂正を求めたネットの無垢なる読者に対しても名誉毀損の裁判をチラつかせ脅しあげる様子を目撃したボクは抗議の声を上げた。『殉愛』がたかじんの遺族側から「事実と違う」と訴えた裁判でも遺族側の訴えが認められ、幻冬舎側は上告が退けられても、出版元の幻冬舎社長・見城徹は訂正も謝罪もしなかった。ボクはSNSで読者への謝罪を求めたが、のらりくらりと躱され続けた。この問題が紆余曲折の末、幻冬舎の若手編集者のお調子者・箕輪厚介とのガチンコ対決の一戦に繋がった。
体重差20キロ、年齢差20歳以上の試合は、箕輪厚介の瞬殺圧勝に終わる。
無念だったのはたとえ負けても、リング上でマイクアピールしようと思っていた「殉愛問題」に言及出来なかったことだった。
ボクはこの試合で前歯3本を折られ、そのまま会話不能に陥り、やがて鬱病を患った。
昨年の議員在籍のままの鬱病再発は、この『HATASHIAI』事件以来のことだった。
心身の疲弊に加えて、猪木ロスからかつて経験のない深い喪失感に陥った。「元気がなければ何も出来ない」のだ。マスコミから依賴のあった猪木追悼文コメントも全て断っていた。
そして3ヶ月の休養を経て、2023年1月に正式に議員を辞職した。
もともと鬱病体質ではあるが、このときは初めて希死念慮を感じた。自責の念から「死んで侘びたい」「消えてなくなりたい」とまで思い詰めたが、そんな時、猪木語録のなかの「花が咲こうが咲くまいが生きているのが花なんだ!!」の一節が降りてきた。それは言霊だった。あの頃は、ひとり死線を彷徨い生きていることが精一杯だったのだ。
猪木の訃報から半年が経ち体調が次第に回復しかけてきた時に、旧知の編集者の藁谷さんから追悼文の依賴があった。「もし体調が許すならリハビリを兼ねて書いてみてはどうでしょうか?」と。ボクが文章を書き上げることによって鬱からの治癒を図り、その完成度を回復のバロメーターにしていることは何度も書いていたのを知ったオファーだった。
そして集英社新書『アントニオ猪木とは何だったのか』は2023年9月15日に上梓された。この本は猪木一周忌に向けて、プロレス業界外の書き手が7人——入不二基義/香山リカ/水道橋博士/ターザン山本/松原隆一郎/夢枕獏/吉田豪——と多士済々の論客が集まり1万字絞りのそれぞれの猪木論を寄せた。
本の出版=誕生とともに刊行イベントが開催されるのは今では恒例の行事だ。昔は著者のサイン会、読者との質疑応答だけであったが、今はゲストを迎えるトークショウがセットで、配信ありの有料ライブが通例だ。それは客寄せの興行でもある。
プロフィール
1962年岡山県生れ。ビートたけしに憧れ上京するも、進学した明治大学を4日で中退。弟子入り後、浅草フランス座での地獄の住み込み生活を経て、87年に玉袋筋太郎と漫才コンビ・浅草キッドを結成。90年のテレビ朝日『ザ・テレビ演芸』で10週連続勝ち抜き、92年テレビ東京『浅草橋ヤング洋品店』で人気を博す。幅広い見識と行動力は芸能界にとどまらず、守備範囲はスポーツ界・政界・財界にまで及ぶ。著書に『藝人春秋』(1~3巻、文春文庫)など多数。
水道橋博士の日記はこちら→ https://note.com/suidou_hakase