緑の肉と謎の降下物……国立市富士見台の教会に集う、独裁政権とチェルノブイリを経験したルーマニア人女性たち

安田峰俊

在日外国人の増加に伴い、日本各地の住宅街に異国の宗教施設が急増している。日本における“宗教国際化”を取材してきたルポライターの安田峰俊氏は、そうした施設を長年取材してきた。今回訪れたのは、国立市富士見台の住宅街に建つルーマニア人教会。そこに集うのは、世界情勢に翻弄された女性だった。

ルーマニアは、日本人にとってはあまり馴染みがない国だ。吸血鬼ドラキュラのモデルになった15世紀のワラキアの梟雄ヴラド・ツェペシュが活躍し、第二次大戦後に社会主義化して独裁者チャウシェスクが君臨した国で、ウクライナと国境を接することで近年は地政学的な重要性が注目されている──と書いても、ピンとこない人も多いかもしれない。

だが、5月4日深夜、私は目を疑った。東京都国立市富士見台の閑静な住宅街に、在日ルーマニア人が百数十人も集まっていたからだ。彼らは夜11時前から続々と到着。車両のナンバーを見ると、埼玉や水戸、さらには尾張小牧や神戸まで、遠方からも数多くやってきているようだ。アルファードなどの高級車も多く、極めつけには外交ナンバーを掲げたルーマニア大使館の公用車までやってきた。ここにはルーマニア正教会の日本支部があるのだ。

明日はキリスト(正教での読み方はハリストス)の復活を祝う復活祭だ。これはキリスト教徒にとって最大の祭りだが、正教徒の場合は時刻がちょうど0時になったところで復活を祝う儀式をおこなう。ゆえに、大晦日から初詣のために神社に集まる日本人さながらに、ルーマニア人たちは前日からこの教会に集まっているのである。

ルーマニアは人口の約8割がルーマニア正教を信仰しており、日本国内にもいくつか教会があるが、この国立市の教会が最も大きい。この建物はもともとはカトリックの教会施設で、当初は日を決めてスペースを借りていたらしいが、カトリック側の教会活動が不活発なことで施設を手放すことになり、正教会が購入したという。

私はこれまで異国宗教施設を取材するなかで、パチンコ屋を居抜きにしたモスクやスーパーを居抜きにしたヒンドゥー寺院など、さまざまな「転生物件」を見てきたのだが、教会を居抜きにした教会を見たのは初めてだ。ここにはルーマニア人のほか、彼らと言語を同じくするモルドバ人も来るという。教会とやりとりがある人は200世帯ほどいるそうだ。

住宅街に現れるルーマニア教会 撮影:Soichiro Koriyama

■住宅街とは思えない荘厳な光景

人混みをかきわけて教会の建物に近づく。窓ガラスには聖者の絵が描かれていて美しい。礼拝堂に入ると、ルーマニア人司祭のダニエル・コリウ神父と、日本人の輔祭の武井徹氏がすでに奉神礼をはじめていた。堂内の壁には正教会ならではのイコンが並び、祭壇も極めて荘厳だ。イコンや祭壇は、この建物を買い取った後にルーマニア本国から調達したという。

雰囲気は完全にルーマニア本国だ 撮影:Soichiro Koriyama

異国の祈りの言葉を朗々と唱えるダニエル神父の声は、節回しや発声がしっかりしており、言葉がわからなくても聞き惚れる。堂内で祈っている人たちは女性が多く、神父の祈りの合間に彼女たちが歌う聖歌も、ヒーリング・ソングになりそうな優しい調べだ。

キャンドルをかかげるダニエル神父 撮影:Soichiro Koriyama

ナザレのイエス(正教での読み方はイイスス)が救世主のキリスト(同、ハリストス)であると信じる教えであるキリスト教は、やがてローマ帝国の国教になったが、帝国の東西分割と西ローマ帝国の滅亡によって、キリスト教世界の中心は西方のローマと東方のコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)に徐々に2極化し、両者は11世紀に完全に離れた。前者がカトリック、後者が正教会であり、正教会はロシアをはじめ東欧諸国やギリシャなどで信者が多い。

バチカンを中心にしたトップダウン構造のカトリックと違い、正教会の場合は各国の総主教が対等の関係なので、たとえばルーマニア正教会がロシア正教会の傘下にあったりすることはない(いっぽう、各国単位で教会組織が存在するため、国家体制と距離が近くなりがちだという指摘もある)。教義は各国ともに同一で、武井輔祭によると「聖火や祈りの内容も同じ。その際の言語が違うくらい」だ。儀礼の際の細かな順序などが異なる程度らしい。

「アーミン」(アーメン)

時刻が0時に近づくと、明かりが落とされ人々がキャンドルを手にしはじめた。月並みな表現ながら、極めて幻想的だ。灯火のなかをダニエル神父と武井輔祭が歩き、ハリストスの復活が祝われた。この日この時間、この国立市富士見台の一角は完全にルーマニアだった。

深夜0時の富士見台には見えない光景 撮影:Soichiro Koriyama

■なぜか男性が少ない

「中年のきれいな女性が多い……」

参列する人たちを眺めながら、私は祈りの場に似合わない不謹慎な感想も覚えた。現場にいるのは7~8割が女性で、子ども連れも多い。女性たちは40~50代が多く、日本での滞在歴が長いようで、日本語が上手な人が多い。いっぽう、ルーマニア人の男性は比較的すくなく、むしろ男性には日本人らしき顔の人がすくなからずいる。

復活祭のクライマックス 撮影:Soichiro Koriyama

「留学で日本にきて、26年前に日本人の医師と結婚しました。ここにいる人は、国際結婚をした人が多いですよ」

取材に応じてくれた45歳の山本アデリナさん(仮名)はそう話す。名前からすると、すでに日本に帰化しているのだろう。他の人にも話を聞いてみると、彼女らの多くは20年以上前に日本に来ており、来日の理由は留学のほか「出稼ぎ」と語る人も目立った。

当時、ルーマニアは共産主義政権の崩壊からほどなく、経済的に厳しい立場にあった。いっぽうで日本はまだ豊かだった時代であり、ゆえに遠く離れた日本への留学や「出稼ぎ」を選ぶ若い女性が多くいたのだ。

■独裁政権下を生きた出稼ぎ女性たち

ゆえに、彼女らに過去の思い出を尋ねると、往年の苦労をしのばせる話がどんどん飛び出した。

「小学生のとき、クラスで選ばれてチャウシェスクの前でダンスを踊りましたよ。でも、そのときに政府から出されたお弁当が腐っていて、肉が緑色だったんです。冷蔵庫に入れないでずっと放置していたんでしょうね」

44歳の沢村ドリーナさん(仮名)は取材にそう話す。往年、ルーマニアは独裁者チャウシェスクのもとで厳格な社会主義体制が敷かれていた。やがて1980年代後半になると、ソ連のゴルバチョフのペレストロイカを批判するいっぽう、西側とも疎遠になったことで、深刻な国際的孤立に見舞われた。

「学校の教室にはすべてチャウシェスクの写真があって、悪口を言おうものなら親が(秘密警察に)連れて行かれてしまう。生活は1986年ごろから一気に悪くなって、パン・牛乳・オレンジの配給を受け取るために一晩並ぶんです。本人が確認できないと配給を渡してくれないルールだったので、深夜4時に親に起こされて、身体に布団を巻いたまま氷点下の気温のなかで配給所に並んでいた記憶があります。停電も多かったですね」

だが、彼女は続ける。

「でも、みんな同じような環境だったし、いまよりも“しあわせ”な雰囲気があったのも確かでした。チャウシェスクの時代にはホームレスはいなかったし、マンション全体の住民が家族みたいで信頼し合っていて、お互いに足りない物資を分け合ったりして。いまのルーマニアはEUに加盟したけれど、経済格差が激しい。チャウシェスクの時代を懐かしむ人もすくなくないと思います」

■真っ白なチリの正体

チャウシェスクはやがて、社会主義政権が倒れた1989年末のルーマニア革命で処刑された。ドリーナさんは革命の日、外から聞こえる銃声が怖くてテーブルの下に隠れ、親からは絶対に窓に近づかないように言われた。

「チャウシェスクが処刑されたとき、テレビを見ていて『かわいそう』と思ってしまった。なにも殺さなくていいのにって。まわりの大人を見ていても、ルーマニア革命からしばらくはみんな喜んでいたけれど、たとえ自由があってもお金がなければなにも買えないことに気づいてからは、熱が冷めていった記憶があります」

いっぽう、同じく話を聞いた村田イヴェリーナさん(44)は、幼少期に忘れられない思い出がある。それはまだ社会主義政権時代だった、1986年4月26日の朝だった。

「季節外れの雪みたいなもので、家の外が真っ白になっていたんです。チリみたいなものが数センチ積もっていて、私をはじめ子どもたちはそれを蹴って遊んでいました。温泉みたいな変な匂いがしていたのを覚えています。やがて、親から外に出るなと言われて」

真っ白なチリのようなものは、同日未明に爆発事故を起こした隣国ウクライナ(当時はソ連構成国)のチェルノブイリ原子力発電所から飛んできた放射性物質だと思われた。

「あの朝、一緒に外で遊んだ姉はまだ50代ですが、甲状腺の病気。私も怖い」

彼女の故郷は、ルーマニア北東部のモルドバ国境にあるヤシの街だ。チェルノブイリからは直線距離で500キロほど離れており、私が放射性降下物の飛散マップを確認した限りでは被害を免れているように見える(もっとも距離のうえでは、降下物が飛んでいても不自然ではない場所である)。

ルーマニアにおけるチェルノブイリ原発事故の被害は不明な部分が多いのだが、イヴェリーナさん同日の朝に確かに、独特の匂いと白いチリに包まれた街を体験した記憶がある。情報がとにかく不透明な社会主義体制のもとでは、こうした話も多い。

礼拝にならぶ女性たち 撮影:Soichiro Koriyama

■激動の時代を生きた女性たちの祈りの場所

「もういちど人生を送るとしたら、同じ生き方はしない。国際結婚は大変だし、日本での生活に慣れるのも時間がかかった」

一人が言うと、周囲の女性たちが頷いた。彼女らはこの日、日本人の夫を連れてきている人も多い。夫たちは結婚する際にルーマニア正教に改宗した人もたくさんおり、決して夫婦仲が悪いわけではないはずだが、同胞同士で集まるとそう感じてしまうようだ。別の女性もいう。

「結婚して21年になるけれど、いつかはルーマニアに帰りたい。最後は自分の国で暮らしたい」

彼女らと話していて印象的だったのは、同じように1990年代~ゼロ年代の日本に「出稼ぎ」に来たフィリピンやタイなど東南アジアの人たちと比較しても、話の内容が筋道立っていることだった。日本語も強引に単語を並べて喋るブロークンな話し方ではなく、文法や発音を真面目に勉強したことを思わせるしっかりした表現で話す人ばかりだ。

本来であれば、普通に高校や大学に行って、会社員になって結婚して……という人生のルートを歩んだはずの一般市民の女性が、国家が崩壊したことで遠い東の果ての国に働きに行くことになった。彼女らはやがて日本人の男性と結婚し、この国の社会の一員になったが、子どもが手元を離れる年齢になって遠い故郷が懐かしくなり、国立市の教会に集っているのである。

「いま、ルーマニア人はどんどん世俗的になっていて、教会に行かなくなっています。でも、年を取ってから教会に帰ってくる人がいる。(日本でルーマニア教会に来る人たちについては)教会の再発見。ある意味で『改宗者』のような存在だといえるでしょう」

ダニエル神父はそう話す。30数年前の東欧諸国の激変が、回り回って国立市富士見台の教会を動かしている。

富士見台の信仰の場を支えるダニエル神父 撮影:Soichiro Koriyama

プロフィール

安田峰俊

やすだ みねとし 1982年、滋賀県生まれ。ルポライター。立命館大学人文科学研究所客員協力研究員。著書『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』(KADOKAWA)が第5回城山三郎賞、第50回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。『現代中国の秘密結社』(中公新書ラクレ)、『「低度」外国人材』(KADOKAWA)、『北関東「移民」アンダーグラウンド』(文藝春秋)などアジアと中国関連の著書多数。

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緑の肉と謎の降下物……国立市富士見台の教会に集う、独裁政権とチェルノブイリを経験したルーマニア人女性たち