〝黒船〟ドゥカティの8耐進出でホンダの天下も危うし?
競争相手が日々、ホンダを遙かに上回るスピードで進歩を続けている現状で、ホンダはいったいいつ、かつての強さを取り戻すことができるのか。あるいは、ふたたび優勝争いできる水準まで力を引き上げることは、本当に可能なのか。だれもが抱くこれらの疑念や危惧を、去年の8耐でHRC渡辺康治社長にインタビューした際に単刀直入に訊ねたが、その際に渡辺氏は以下のように話していた。
ものすごく危機感を持っています。ホンダグループ全体としても、今の状況は大きな問題だと捉えています。本田技研社長の三部敏宏も含めて、この状態を一刻も早くなんとかしなければならない、と考えています。
──一刻も早く、とはいっても、どれくらいの時間がかかると考えていますか?
そんなに簡単にできることではないだろう、と自覚しています。現在は2024年用のMotoGPマシン開発がどんどん進んでいるわけですが、今決めなければならないことがたくさんあるなかで、我々が自分たちの弱点をすべて理解しているのかというと、そこも実はトライをしながらの作業です。うまく見いだすことができれば、2024年にそれなりの戦闘力を備えたマシンが出来上がってくるでしょう。ではその確証があるのかというと、正直なところ、今はまだあるとは言いきれません。
このとき、出口の見えない苦況から脱出する方法についても訊ねたが、渡辺氏はこのように回答した。
これはなんとも、難しい課題ですが……。F1でも第四期で復帰したときは、じつはボロボロだったんです。結局、四輪(の技術陣)だけでは四輪開発はできない、ということがわかったので、(開発に)ジェット部門が入ってきたんです。ターボ等の技術で、四輪の人々が解決手法を見いだしあぐねていたのに対して、その悩みをジェットに打ち上げてみるとすぐに回答が来た。それは、ジェットが同じような悩みを持っていたことがあったからなんですね。だから、二輪でも四輪を含めてオールホンダのパワーをもっと使うようにしていけば、さらに視野が広がって新しい技術もきっと出てくると思います。
じつは今回の鈴鹿8耐では、あれから1年経った現在の現状認識や解決手法の考え等について、改めて渡辺氏に再度話を訊ねてみたいと取材依頼を出したのだが、大企業の代表取締役で大事なレースの多忙なスケジュールということもあってか、残念ながら取材時間を切り出してもらうことはかなわなかった。機会があれば、ふたたび真っ正面から対峙してホンダの復活に向けた力強く責任ある言葉をどこかで伺いたいと考えている。ホンダとしてはその機会を待つことなく高い戦闘力を取り戻していることが、もちろん理想的なのだろうけれども。
閑話休題。
渡辺氏がオールホンダのパワーを結集すると話していた復活のシナリオについて、同じ質問を石川氏にも投げかけてみた。
「二輪と四輪はそれぞれの文化があって、我々の常識が彼らの常識ではない部分もあるし、同様にその逆もたくさんあると思うんですよ。そういう意味では、いろんな考え方があるなかから使えるところを吸収していくのは、有効な方向だと思います。F1の技術や考え方をそのまま使えるということではなくて、使える部分もあるでしょうし、使えない部分もあるでしょう。そういった新しいアプローチや技術的発想を持ってくることができるという意味では、渡辺が言っていた手法は有効だと思います」
しかし、これも昨年に指摘したことだが、かつてホンダは様々な革新的技術を投入してグランプリ界を牽引した。楕円ピストンのNR500に始まり、2ストローク時代の位相同爆エンジンとそこからスクリーマーへの転換、バランサーを不要にする挟角75.5°という驚異的な発想のV型5気筒マシンRC211V等々。シームレスシフトもホンダが先鞭をつけ、他社がこぞって追随してやがて必須技術になっていった。しかし、それ以降はゲームチェンジャーになるような革新的技術はホンダから登場していない。エアロダイナミクス技術にしてもライドハイトデバイスにしても、近年の技術トレンドはおしなべてドゥカティから生まれている。石川氏も、その傾向を認める。
「シームレスミッション以降は、我々から競合他社をリードするようなものはなかなか出てきていない、と感じています。とはいっても、けっして何にもやってないわけではなくて、トライアンドエラーの部分も確かにありますが、技術的なチャレンジは今後もやっていかなければならないと思っていますし、新しいチャレンジは諦めることなく常に行っています」
MotoGPに関わるHRCの人々にとって、今年はかつてないほど辛く厳しく苦しい1年になっていることは想像に難くない。冒頭にも記したとおり、レース成績は上位陣からほど遠く、グランプリ参戦史上でもおそらく最も低迷を強いられている。そのような状況でも戦い続けるのは、なぜなのだろう。二輪ロードレースという欧州発祥のスポーツ文化に対する参加意識と貢献なのか、ビジネスや従業員教育に正のフィードバックを現在でも期待できるからなのか。それとも、レースをすることがやはりホンダのレゾンデートルだからなのか。
「レースで勝利を目指し、世界一を目指すのはホンダにとってやはり大事なことで、『ホンダって何なんですか』というと、そういうことなんだと私は思います。チャレンジし続けていくことで人材や技術を作っていくことに繋がり、それがひいては事業に結びついていく。だから、レースで勝つことにチャレンジし続けるのはすごく重要だ、と我々は考えています」
20年少々前に、ホンダは〈我々は、世界一の負けず嫌いである〉という非常に印象的な広告を打った。その話題を振ると石川氏は、今も同じだと思います、本当に悔しくて悔しくてしかたがない、と述べた。だがその言葉は、勝利になって実を結ばないかぎり、ただの負け惜しみやリップサービスで終わってしまう。
「そのとおりですよ。会社全体でも今の状況をよしとしている人は誰もいないし、だからといって『じゃあ辞めてしまえばいい』なんていう人もひとりもいません。早くこの状況から脱出するためにどうすればいいのか。まさにオールホンダで議論ができる会社なので、そういう意味でも、皆が負けず嫌いなんだと今は痛感しています」
そんな彼らの負けず嫌いの心性は、さらに強い刺激を受けようとしている。上記で言及したドゥカティのパオロ・チャバッティ氏にインタビューをした際、ドゥカティが近い将来にフォクトリーライダーとファクトリーマシンで鈴鹿8耐へ参戦する意志があることを明らかにした。自身が今回の8耐に向けて来日したのは「将来的にまたここへ来て勝つために知見を重ねること」が目的だと述べ、鈴鹿8耐で勝利する初めての日本国外メーカーになること、そのためにMotoGP王者フランチェスコ・バニャイア以下のメンバーを揃えてレースに臨むつもりでいると明言した。
Ducati Team KAGAYAMAを率いる加賀山就臣は、「黒船襲来」をキャッチフレーズに、ドゥカティの強力なバックアップでチャンピオンマシンのPanigale V4Rを2024年の全日本ロードレース選手権と鈴鹿8耐に参戦させている。全日本では全戦で表彰台を獲得し、8耐では終盤まで激しい表彰台争いを繰り広げて最後は4位でゴールした。全日本の結果もさることながら、彼らが初参戦の8耐で最後まで表彰台を争ったという事実は非常に重い。
「泰平の眠りをさます上喜撰(蒸気船)たった四盃で夜も寝られず」という有名な狂歌にもあるとおり、徳川幕府三百年の鎖国政策は黒船の来港で一気に回天した。鈴鹿8耐ホンダ30勝という覇権は、ごく近い将来、ドゥカティという黒船によって大きく揺り動かされることになるかもしれない。それは戦う側にとってさらに厳しく苦しいものになるだろうが、観戦する側には大きな昂奮材料になり、ロードレースの人気を刺激する起爆剤にもなる。おそらくそれこそが、黒船を呼び寄せた加賀山の狙いなのだろう。その結果として鈴鹿8耐の興趣が高まることは、ひいてはホンダとHRCにとっても中長期的にプラスの効果をもたらすはずだ。艱難汝を玉にす、とはまさにそういうことだろう。
取材・文/西村章 撮影/楠堂亜希
プロフィール
西村章(にしむら あきら)
1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。