〈純ホンダ〉ライダーとしてキャリアをまっとうする中上貴晶
小椋は、若手選手育成のアジアタレントカップやMotoGPルーキーズカップを経て、2019年にHonda Team AsiaからMoto3クラスへのフル参戦を開始した。2021年にMoto2クラスのIDEMITSU Honda Team Asiaへ昇格して2023年まで所属し、今年から現在のチームへ移籍した。来年からはアプリリアのMotoGPライダーとなるため、日本メーカーのホンダとはいっさい関係がなくなる。
最高峰クラスの日本人選手で、このように日本企業と関わりの無いヨーロッパ勢から参戦するケースはきわめて珍しい。過去を振り返ると、1990年代に250ccクラスでアプリリアファクトリーチームのエースだった原田哲也が最高峰の500ccクラスへ参戦したことを思い出す古参ファンもいるかもしれない。また、2003年には芳賀紀行がアプリリアのMotoGPプロジェクトで1シーズン参戦したこともあった。
だが、それ以外の日本人選手は、必ずホンダやヤマハなど日本メーカーとの関わりのなかで最高峰クラスへ参戦してきた。たとえばその典型的な例が、今シーズンでフル参戦ライダーから退いて来年はHRC(Honda Racing Corporation)のテストライダーに就任する中上貴晶だ。
中上は、Moto2クラス参戦中の2014年にIDEMITSU Honda Team Asiaへ移籍。2015年以降は最高峰クラスに日本人選手がいなくなったため、この時代からずっと、日本のエース的存在として注目されてきた。2018年にLCR Honda IDEMITSUからMotoGPへ昇格し、現在に至る。
引退か現役継続かの正念場を迎えた今シーズンは、開幕前のマレーシアプレシーズンテストで中上に話を聞いた際に、ホンダから他陣営へ移籍を検討する気はなく、MotoGPから他のカテゴリーへ移ることも考えていない、と明言していた。要するに、〈ホンダのMotoGPライダー〉として最後までキャリアをまっとうする肚を固めていた、ということだろう。
多くのファンの期待を担い最高峰クラスを7年間戦ってきた中上は、フル参戦ライダーとしては最後になる日本GPを13位で完走し、「感無量の週末になった」と振り返った。
「もう2周あれば、前のグループに追いつけてバトルをできたかもしれませんが、最後まで全力で走り、ベストを尽くしました。チェッカーフラッグを受けた後は『これが日本で最後のクールダウンラップになるのかもしれない……』とも思いましたが、すべてのコーナーや観戦席で応援してくださっている方々の姿が見えて、本当にありがたく思いました。今日は本当に特別な日曜になりました。いいレースをできたと思います」
13位というリザルトは、普通に考えればけっして望ましい結果とはいえない。だが、ドゥカティやアプリリア、KTMのヨーロッパ勢に大きく水をあけられて底辺あたりで低迷を続ける現在のホンダの戦闘力を考えると、中上が最大限の努力でポイント圏内に食い込んだことは間違いない。感無量のレースだったと話す中上に、クールダウンラップの際にはヘルメットの中でこみ上げてくるものがあったのかどうか訊ねると、
「いや、そういうわけでもないんですが……、ピットに戻ってチームのクルーたちやスタッフ全員の姿を見るとなんとも言えない気持ちになって、ちょっと泣きそうになりました」
と照れたように笑った。
プロフィール
西村章(にしむら あきら)
1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。