ホンダOB玉田誠も小椋のヨーロッパ陣営選択を高評価
2025年は、中上と入れ替わるように小椋が唯一の日本人MotoGPライダーとして、アプリリアのサテライトチームTrackhouse RacingからMotoGPにステップアップするのはすでに述べたとおりだ。かつてサテライトチームは、メーカー直結のファクトリーチームと比べて様々な条件面で不利を強いられることが多かった。しかし、この数年は以前よりも力が拮抗するようになっている。Trackhouse Racingのダビデ・ブリビオは、その理由を以下のように説明する。
「ドゥカティがその方向性を押し進めてきたということだと思いますが、ここ3、4年ほどはメーカーがインディペンデント(サテライト)チームにかなり深く関わるようになってきました。我々もまた、アプリリアから手厚いサポートを得ています。メーカーがインディペンデントチームをサポートする方向がさらに進み、ファクトリーチームとインディペンデントチームが互角に戦うことができる時代になってゆくのが、私の夢です」
来年のTrackhouse Racingは、小椋とラウル・フェルナンデスという若いライダーのラインナップになる。ある意味では、2010年代にホンダやヤマハが圧倒的な強さを誇っていた時代、復活したばかりの脆弱なスズキを率いたブリビオが、チームとライダーを長期的な視野で育て上げたときと似た環境ともいえるだろう。
「ラウルは来年24歳で、4年目のMotoGPシーズンを迎えます。次世代を担うライダーのひとりですね。藍は来シーズンからルーキーとして参戦します。ふたりの若い選手たちが成長し、やがてMotoGPのトップライダーとして活躍してくれることを我々は楽しみにしています。そして先ほども言ったように、インディペンデントチームの力がファクトリーとますます拮抗するようになれば、選手たちはさらに成長してくれるでしょう。そうやってライバルたちと互角に戦えるようなチームになりたいと思います」
小椋は最高峰クラスに昇格するに際し、中上の後継としてホンダの道を進むこともできただろう。だが、あえてアプリリアサテライトチームという環境を選択したことで、真に国際的な戦いの場へ己の身ひとつで新たな一歩を踏み出した、ともいえる。その道を選んだのは当然の帰結、と話すのは、ホンダOBの玉田誠だ。
「小椋君がヨーロッパのメーカーを選んだのは正解だと思いますよ。今のホンダでMotoGPに上がったとしても、勝てるとはとても思えないですから」
と玉田は苦笑する。ちなみに玉田が20年前の2004年の日本GPでポールトゥウィンを達成して以来、日本人ライダーは一度もMotoGPで優勝していない。
「国際映像にも映らないし誰も話題にしないし、これではライダーがかわいそう。ホンダのピットボックスをピットレーンから眺めていても、今の位置にいるのが当たり前、みたいな雰囲気じゃないですか。順位も技術もそうだけど、『あなたたち、やる気があるの?』って思いますよね」
今シーズンのホンダは、昨年よりもなお低迷の度を深めている。コンストラクターズランキング(日本GP終了段階)では、首位のドゥカティが574ポイントを稼いでいるのに対してホンダは56。じつに十分の一しか獲得できていない。昨年はシーズン終了時に185ポイントだったので、今年はその半分にも届かないことは確実だろう。
チームランキングでは、ドゥカティファクトリーのDucati Lenovo Teamの695ポイントに対してホンダファクトリーのRepsol Honda Teamは27。繰り返すが、ホンダファクトリーがここまでの16戦で必死にかき集めてきた点数が27である。ドゥカティファクトリーは日本GPたった1戦で、軽くその倍以上の59ポイントを獲得している。
プロフィール
西村章(にしむら あきら)
1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。