「罪を償う」のはいかにして可能か?[後編]

古田徹也×藤井誠二 『贖罪 殺人は償えるのか』刊行記念
古田徹也×藤井誠二

『贖罪』に終わりはない

古田 今日は本当に長い時間、密度の濃い対話が出来ましたが、この対談もそろそろお時間ということで。

藤井 私の今回の『贖罪』だけでなく、古田さんの『謝罪論』も熟読させていただいて色々考えたのですが、謝罪というのは、本当に難しい問題だな、と。正直言って、今後、どのようにしてこの問題について考察を深めていっていいのか、正直、途方に暮れています。

 確かに私との手紙のやり取りの中では、水原は反省し、被害者への謝罪の言葉を書きつらねています。自身への深い考察もあります。でも、それが真に心の底からのものなのかは、正直言って、私も分かりません。私は水原という人間に、一度も会ったことすらない。『贖罪』の中にも書きましたが、水原も面会をすることを希望しており、私も面と向かって彼と話したかったので、刑務所に行きましたが、刑務所側から「長期受刑者は親族以外会えない」という理由で面会を拒否されてしまったので。

 ですから、私は水原という男の顔を見たこともない。私の手元にある「彼」が実在することを感じさせるものは、彼から届いた肉筆の手紙だけなのです。ただ、彼が今後どのように変化していくのか。それは、この『贖罪』という本を書いた者として、責任を持って見守っていこうと思っています。

 先ほどもお話しましたが、被害者遺族の中で「心情等伝達制度」を利用する方が、今後増えていくだろうと、私は予想しています。しかし、結果的に返ってきた加害者からの返事によって二次被害を受ける可能性がありますが。

「やはり、犯人は刑務所に入る前と何も変わっていなかった。反省していなかった」

 と、被害者遺族は絶望するわけです。残念ですが、今、私の取材している状況から見ると、そうなってしまう。でも一方で、制度を利用した意味があったととらえる被害者の方も少なくない。

 法務省は修復的司法の一環として、心情等伝達制度を選択できるようにしていますが、推し進めようとしている。この結果をどのように「白書」で記載するのか注目していきたいと思っています。

 これは非常に深刻な問題なので、自分としては今回の『贖罪』という本を書いて、加害者の更生というテーマは終わり、というのではなく、今後も随時、この問題に関する取材を続けていきたいと思っています。

古田 今日は藤井さんの『贖罪』という本を手掛かりとして、「謝罪とは何か」「謝罪は可能なのか」といったテーマについても、色々とお話をさせていただきました。

 この本では水原氏という一人の受刑者のケースに絞って、その更生の過程を記録されているわけですが、この「贖罪」というテーマは非常に重要で、個人の例に還元できる話ではない。やっぱり、こうした更生や反省が他の受刑者にも波及するためには、システムや制度面の整備が急務です。

 そのことは、法務省をはじめ行政に携わる方々や、政治家の方々も真剣に考えてほしい。そうしないと、先ほど藤井さんが指摘されたように、更生や反省にはつながりにくいし、受刑者から被害者遺族への二次加害が起こってしまう場合もあるでしょう。

 繰り返しになってしまいますが、やはり、更生や反省といったものは、受刑者一人ではできない。周りの人のサポートが欠かせません。反省するための語彙を獲得するには、読書がいかに重要か。受刑者にとって、今回の藤井さんのような、親身になって話を聞いてくれる人との対話が、いかに必要か。そして、受刑者の心情を率直に書いた水原氏の手紙にも、更生教育のたくさんのヒントが含まれています。ですから、ぜひ皆さんに、この藤井さんの『贖罪』という本を読んでもらいたいと思います。

藤井 この本で水原が自身に課したような、贖罪や謝罪のプロセスを透明化、制度化するというのは、個別性がありますからすごく難しいことだとは分かっていますが、でも、確実にやらないといけないことですよね。被害者遺族はほぼ百パーセント「被害者通知制度」を利用して、半年に一度だけですが、加害者の態度やおこなっていることを簡単ですが知ることができます。懲罰を受けたとか、受刑態度はいいか、悪いか、普通なのか、あるいは「特別改善指導」という殺人や性犯罪、薬物犯罪の罪で服役している者が受けるプログラムを、いま受けているかどうか等です。それでは不十分だという声が圧倒的に多い。それを補うためにも心情等伝達制度が利用されていくこともあると思います。

 今、刑務所の矯正教育にも、被害者の視点というものが、以前と比べてどんどん取り入れられるようになってきています。それ自体は、私から言わせれば導入が遅すぎたという印象ですが、そうした取り組みの中で、どうすれば本当の意味での反省、謝罪意識を加害者に持たせることができるのかということを目的にして実践してほしいと思います。

 法務省も犯罪被害者等基本計画に基づいて、色々な施策とか、法制度の改正などに取り組んできてはいます。でも、現場を取材すると、実際のところは、満足に機能していない。様々な問題が山積みになったままというか、新しく出てきています。現在のところは、まだまだ犯罪被害者に対するサービスの一つで、被害者が権利主体になっていない気がします。

 ですから、何か一つ法律が出来たら、犯罪被害者が救済されるみたいな認識は、間違いです。問題点はまだたくさんあってそれを現状に則して一つひとつ見直していくところにしか、刑務所の矯正教育の未来は無いと思っています。

 最後になりますが、最近、水原から受け取った手紙では、彼も心情等伝達制度に興味を持っており、私に資料を送ってほしいと言ってきました。さっそく、私も彼に、法務省から出ている資料などを送っておきましたが、それを聞いたとき、やはり彼も、被害者遺族から連絡が来る可能性を想定しているのかな、と。彼がそんな気持ちになったのも、今回、この『贖罪』という本を出したのがきっかけになったのかな、と私は勝手に解釈をしていますが。

 私から最後に長々と話してしまいましたが、古田さん、今日は本当に長い時間、ありがとうございました。

構成/星飛雄馬
撮影/甲斐啓二郎

1 2 3

関連書籍

贖罪 殺人は償えるのか

プロフィール

古田徹也×藤井誠二

藤井誠二 (ふじい・せいじ)

1965年愛知県生まれ。ノンフィクションライター。少年犯罪について長年にわたって取材・執筆活動をしている。著書に『人を殺してみたかった―愛知県豊川市主婦殺人事件』『少年に奪われた人生―犯罪被害者遺族の闘い』『殺された側の論理―犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』『黙秘の壁―名古屋・漫画喫茶女性従業員はなぜ死んだのか』、共著に『死刑のある国ニッポン』(森達也との対談)など多数。

古田徹也(ふるた・てつや)

1979年熊本県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科准教授。東京大学文学部卒業、同大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。新潟大学教育学部准教授、専修大学文学部准教授を経て、現職。専攻は、哲学・倫理学。『言葉の魂の哲学』で第41回サントリー学芸賞受賞。その他の著書に、『それは私がしたことなのか』『ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考』『不道徳的倫理学講義』『はじめてのウィトゲンシュタイン』『いつもの言葉を哲学する』『このゲームにはゴールがない』『謝罪論』など。訳書に、ウィトゲンシュタイン『ラスト・ライティングス』など。

集英社新書公式Twitter 集英社新書Youtube公式チャンネル
プラスをSNSでも
Twitter, Youtube

「罪を償う」のはいかにして可能か?[後編]