そのオチの話の前に彼が何を語ったか、についても箇条書き的に記しておこう。
◇沖縄のことに触れただけで、世間から「村本はドッチ派だコッチ派だ」と決めつけられるということ。
◇沖縄の皆さんと共有したいことがある。それは、僕が疑問に思ったような、高江や辺野古で座り込みしてるおじいさん、おばあさんが警察官たちに担がれたり怒鳴りつけられたりしている事実も、東京ではほとんど話題になっていないということ。
◇自分の弟は自衛隊にいる。しかし国を守るために武器を持って、誰か外国の人を殺してほしくない、ということ。
◇僕はレッテル貼りをされた高江や辺野古の人に会いたいと思い、ツイッターの呼びかけをした。それに応えて3人の人が集まってくれたこと。
そうして村本は、大袈裟太郎を含む3人と語り合った夜のことを詳細に語った。今思えば、彼はここで重要な話をしていた。
「僕は、人を見る目があるんですよ。簡単には人を信用しないから、騙されない。ハニートラップみたいものに引っかかったこともない」
◇そんな自分が、辺野古で3人と2時間ぐらい酒を飲みながら話して、「信用できる」と思ったこと。その理由の一端は次のようなこと(昼間の記者会見でも語ったこと)。
辺野古ゲート前には米兵に対して「ヤンキー・ゴー・ホーム」と叫んでしまうおじいさんが確かにいること。しかしその人は、沖縄戦時、自分の目の前で米軍に家族を2人殺されていること、日本兵にも家族を1人殺されていること。そういう人が「ヤンキー・ゴー・ホーム」と叫ぶのを、止めることができますか、と、大袈裟太郎が涙を流しながら語ったこと。などなど。
やがて、独演会開始から1時間半近くが経とうとする頃、村本は、こう言った。
「ここで、ある方を呼びたいと思います」
呼んだのは、「那覇の街でヤンキーに絡まれ、泣いていた」と、1時間前に観客に紹介した若い女性だった。
「舞台に上がって!」
と、先ほどよりも気安い口調で要求する。すんなりと舞台に上がった女性からも、さっきのはにかんだ仕草は消えていて、堂々たる態度と笑顔。
ここで、村本大輔がこんな風に、話にオチをつけた。
「彼女は、よしもとのスタッフの台本作家なんです。ようこそ、わたしの3ページ目へ!」
このタネ明かしを聞いて、観衆はどう思ったろうか。
わたしなぞは、自分が実験台にされたという少しの不快感をごまかしつつ、「嗚呼、完全にしてやられた。それにしても見事なトラップだった」と脱帽したものである。
冷静に振り返ってみると、昨夜遭遇した格好の「ネタ」というべき出来事を語るにしては、その語り方があまりにあっさりとしていて、詳細がぼかされていた。だがそれにしても、なるほど人間とは、こんなに簡単に「嘘の情報」「フェイクニュース」に騙されてしまうものか、と恐ろしくなったのも事実である。
今回の村本大輔ソロ公演「大演説」のキモは、じつはここにあったと言っても過言ではないのだが、地元メディアの記者さんたちも、この点にはなぜか少しも触れていない。紙面のスペースや放送時間枠の都合もあるだろうが、原因はそれだけではないような気がする。わたしがこれ以上あれこれ指摘するよりも、あの夜あの公演に立ち会った一人ひとりの報道関係者が、自ら反芻すべきことなのではないかと思う。
かく申すわたしも、村本大輔があの夜仕込んだ「フェイクニュース」というテーマに関するネタについて、即座に思考を整理できたわけではない。
じつは、1月の南城市長選挙と2月の名護市長選挙という、重要な2つの選挙に「応援団の一人兼取材者」として真剣に関わる過程で、期せずして重大なテーマとして胸のうちに膨らんできたのである。
南城市長選挙では、元衆議院議員で新人の瑞慶覧長敏氏(ずけらん・ちょうびん 社民・共産・社大・自由・民進推薦)が、当初は楽勝ムードだった現職の古謝景春氏(こじゃ・けいしゅん 自民・公明・維新推薦)を猛追し、65票差で競り勝つという結果になった。
様々に勝因敗因が挙げられるだろうが、わたしは古謝氏が「デマ拡散常習犯」として知られるいわゆるネット右翼的人物と一緒になって「海保職員2人自殺」の「フェイクニュース」を拡散し、その後、訂正・謝罪もしなかった「事件」が、大きく影響しているとにらんでいる。
行政の長ともあろう人間が、デマ情報を発信したまま開き直った、こう認識せざるを得ないこの「事件」は、簡単に打ち消すことはできないし、悪しきイメージもかなり広がったはずである。
一方、名護市長選挙では、「フェイクニュース」は巧妙に流され続けた。
結果は、周知の通り、現職候補だった稲嶺進氏(いなみね・すすむ 社民・共産・社大・自由・民進推薦、立憲支持)が、新人の渡具知武豊氏(とぐち・たけとよ 自民・公明・維新推薦)に3458票もの差をつけられ敗北した。
稲嶺氏が受けた「デマ攻撃」は枚挙に暇がないほどだった。その詳細と検証・反証の記事を書き始めれば、これはこれで原稿用紙数十枚は要するものとなるので割愛するが、相手候補陣営の公式パンフレットから怪文書ビラ、誹謗中傷の横断幕に至るまで、事実歪曲の上で、稲嶺市政の実績を貶めようとするものが目立った。
逆に言えば、辺野古新基地建設に断固反対の公約を8年間守り、ブレない姿勢を貫き、米軍再編交付金をカットされても、市職員の創意工夫とやる気を促し、名護市の予算を増やし続けてきた稲嶺氏の手腕は、デマを絡めなければ攻撃できないほど、立派なものだったという証であり、じつに皮肉な出来事だった。
もちろん、稲嶺氏陣営の敗因はデマ攻撃へのカウンターができなかっただけではないはずだ。さらに精緻な分析を経て教訓として多くの人が共有し、活かさなければならないと思う。