ウーマン村本が日本人に突きつけるもの〈後編〉

沖縄在住ノンフィクションライターの極私的村本論
渡瀬夏彦

 話を戻そう。

 1月21日投開票の南城市長選、2月4日投開票の名護市長選、この2つの選挙のただ中に身を置きながら、わたしはこう思っていた。

 選挙を勝ち抜くためにも、「フェイクニュース」(デマ情報)との戦いをわたしたちは強く意識しなければならない。そんな時代に、いよいよ突入してしまったのだな、と。

 1月3日に「村本大輔から渡されたバトン」をあやうく落としそうになりつつも、なんとか持ち直す時間を過ごしながら、わたしは約1か月間選挙の現場を駆け巡っていた。つまり、「フェイクニュース」が選挙戦術になってしまうような恐ろしい時代に入ったことを痛感しつつ、カウンターを打つ作業が間に合わぬ焦燥感にも苛まれていたわけだ。

 

 最後になったが、あの夜1月3日のソロ公演「大演説」の観客の、象徴的かつ代表的とも思える2人の声を紹介しておきたい。

 一人は、重度の身体障がいを持つ木村浩子さん(80歳)。伊江島の「土の宿」の創設者で、わたしも20年前に出会っている旧知の仲。現在は宜野湾市在住。介護者に付き添われ、車いすで駆け付けた。

沖縄で村本さんの舞台があると必ず駆けつける木村浩子さん(写真/渡瀬夏彦)

「THE MANZAIのネタを見て感動した。今日は直接お礼を言いたいと思って、やってきた。じつは『朝まで生テレビ』も見ていて、そのとき若い人が独りで頑張っているなぁ、と思ったけれど、それがあのTHE MANZAIの村本さんだったというのは、あとで人から教えてもらって知った。わたしの言いたいことをテレビで言ってくれる人だと思った。余計に、ありがとう、と言いたくなったんです」

 木村さんは、介護者から「『朝生」では『沖縄は元々中国』なんて間違ったこと言ってしまったから、沖縄に来たら叩かれるかもよ』と水を向けられたとき、「叩かれたっていいじゃない。どんどん言いたいこと言えばいいのよ」と意に介さなかったという。非武装の理想を率直に語るなど、村本の主張に共感する部分が多かった。

 まだ話し足りない様子だった木村さんの口元に再び耳を近づけると、「名護市長選挙は大事です。ここで負けるようなことがあったら、沖縄はおしまいです。とても危険なことになります」とつぶやいた。選挙期間中には名護市に入ってアピール行動をすると言い、有言実行。そのおかげでわたしは選挙期間中に名護市役所の前で、メッセージボードを掲げながら、たった一人で車いすで座り込む木村さんと再びコミュニケーションをとることができた。

 稲嶺進氏が勝利を掴めなかった今、あらためてじっくり話を聞きたいと思う人の一人である。

 あの夜の観客の声。もう一人は、偶然木村さんと同じ宜野湾市在住で、菓子店店員の山田涼香さん(22歳)である。

 独演会終了後、劇場前の路上で瞳をキラキラ輝かせながら、いわゆる「出待ち」状態にある彼女に、そっと声をかけさせてもらったのだ。

「THE MANZAIの前からファンです。他にも好きなお笑いコンビはいます。型にはまらない喋りをしてくれる芸人さんが好きです。村本さんは特にそうで、まっすぐな熱が伝わってきて、生きる力をもらえる感じがします。国際通りの劇場で最初見たのは2年ぐらい前ですけど、そのころはあまり政治問題を取り込むようなネタはなかった気がします。でも、世間で話題になっている出来事をわかりやすいテイストにして伝えてくれるところが好きでした。ズバッと物事の本質を言ってくれるとこ、権威のある人にも噛みついてくれるとこも、大好きです」

——基地問題のネタに関しては?

「1年ぐらい前に国際通りの『ハピナハ』(現在閉鎖)という劇場でも見ています。凄い拍手でしたよ。わたしたちの地元の問題を漫才に取り込んでくれて、嬉しかったです。それが全国放送されてみんなが知ってくれた、ということに感謝したいです」

 じつはそんな彼女の言葉を、わたしはその後、しばしば反芻している。反芻しながら、特に名護市長選挙の最中には、しみじみ考えさせられた。

 政治的な問題の本質を、わかりやすく若い世代に伝えるということ、についてである。

 もちろん冗談として聞いてほしいのだが、わが稲嶺進陣営の応援演説に村本大輔が来てくれていたら、小泉進次郎氏の人気などはおそらく吹き飛んでいたことだろう、という考えさえ頭に浮かんだ。

 冗談はそれぐらいにして、真面目に考えなければならないことがある。

 例えばの話、こういうことだ。

 若者たちよ!

 新名護市長となった人は、選挙期間中、基地問題を終始曖昧にはぐらかして、あらゆる公開討論会や座談会を拒否して逃げ回ったよね。それって、どうよ? おかしくないの? そんなことよりも、名護大通りにwi-fi設置したりスターバックスを出店させることのほうが大切なの?

 翁長知事は選挙戦の中で、こう訴え続けたよね。

「オスプレイが飛び交うような場所で、観光振興も生活向上もあり得ません」と。

 稲嶺進現職市長(当時)も、繰り返し主張していたさ。

「辺野古新基地と引き換えの米軍再編交付金を政府からカットされても、市の財政が傾くどころか、防衛省予算に頼らず、各省庁の補助金などを使って、名護市の予算を8年間で500億円も増やしてきているんです。それは市の職員のやる気と創意工夫があったからこそ、実現できたんです」

 でも、稲嶺市政の本質的な凄さ・素晴らしさを、稲嶺陣営の人たちが、きちんと伝えることができなかった。基地のない街で安心して子育てできる、本物の豊かさをこれからしっかり築いていく、次の4年間の大切さを、多くの名護市民に、特に若者たちに、きちんと伝えることができなかった。

 そういうことなんだろう。

 本稿の冒頭に、「たかがお笑い、されどお笑い」と書いた。彼の話芸は、それ以上でもそれ以下でもなく、ただ存在するだけで尊い。

 村本大輔が言うように、ハードルを上げるのは酷だ。彼は「自由を求めて、自由に言いたいことを言いたいだけ」なのであり、それで充分。彼に対して、基地に関する賛否をはっきりしろとか、ましてや反基地運動の最前線に加わってほしいとか思うのは野暮な話だ。

 全国の、これまで関心のなかった人、無自覚だった人たちに、「沖縄が背負わされている基地問題って、何?」と一瞬でも気づかせた彼の功績をきちんと評価したい。

 そのような「伝える力」の尊さを、わたしたちは常日頃から意識し、工夫していきたい。

 

 村本大輔、ありがとう。

 

 ここまでの原稿の大半を書いたのが、じつは2月中旬である。

 その後、3月11日の石垣市長選挙では、名護市長選挙同様、期日前投票を重視し自公の動員力を駆使し、安倍政権のテコ入れによって現職が悠々と勝ち、4月22日の沖縄市長選挙でも安倍政権と国政与党の応援する候補が圧勝した。「フェイクニュース戦術」とは言わぬまでも、石垣市の場合など、「自衛隊ミサイル基地建設問題」は巧妙に争点から外されていた。物事の本質を、広くわかりやすく伝える難しさと大切さについて、痛感する日々は続いた。

 その間の3月25日、那覇市「てんぶすホール」での村本のソロ公演「大演説」にもわたしは立ち会った。

 1月の公演とは違って、報道陣のカメラは1台もなく、落ち着いた雰囲気の中でトークは繰り広げられたが、ボディガード的警備担当らしき人物が若干名、ホールの出入り口に張り付いているのが印象的だった。

 じつはその前日、沖縄コンベンションセンターで開催された「よしもと」のお笑いイベントに村本がウーマンラッシュアワーのコンビで出演した際、彼の乗ったタクシーを右翼街宣車が追いかけまわすという事件があり、それを受けての念のための措置のようであった。

 彼はそんな状況もネタにして笑いを取っていた。

「小さめの街宣車に追いかけられながら、タクシーの運転手さんに僕はこう言いました。そこを左に曲がってください。あの人たちは右にしか曲がりませんから!」

 いずれにしても、権威とか圧力とかレッテル貼りとかに惑わされずわが道をゆく芸人魂に、一層磨きがかかっていると感じられたものである。

 わたしはその夜のツイッターでこんな意味のことを呟いた。

「あなたがもしテレビ界から干されても、吉本興業をクビになっても、こうして生のステージを支え続けますとも」

 そして6月17日、桜坂劇場での「大演説」にも再び立ち合った。 

「俺は(政治的に)どっちにも偏らないよ」と、いつものバランス感覚を発揮しながら、それでいて言いたいことはズバズバと直球で観客席に投げ込んでいた。

 冒頭付近で、自民党のホープ小泉進次郎とあるパーティで会話を交わし、「この男、ものの本質が見えてないんじゃないか」「演説がうまくて、あやしい」と思ったというネタで笑いを取って観客の心を掴み、「普通って何のこと?」「かわいそう、ってどういうことだよ」「マイノリティこそ面白い」「障がい者が高江(や辺野古)の座り込みに参加したいと思って何が悪い」「人はみんな障がい者だよ」「障がいは、神様からの贈り物」「誤解を恐れずに言うけど、障がい者は生まれ変わっても障がい者として生きてほしい」など、ある意味ではとても挑発的にさえ聞こえるスリリングな本質的なトークが繰り広げられた。

 この夜も、彼が観客に向かって投げつけたのは、普通の芸人では、いや、生半可な文化人・言論人ではちょっと真似できないような、レッテル貼りや差別からは対極にある、自由と優しさに溢れた「素朴な疑問」のつぶての連続だった。

 村本大輔は、やっぱり正直で誠実だった。

 テレビなんか干されてもいい。マイク一本で食える芸人になる。

 その思いがますますストレートに伝わってきた。

 その夜、劇場には、旧知の友人知人がたくさん来ていた。あ、この人も?あの人も?と思うぐらい、客層の幅が広かった。

 昨年12月7日、米海兵隊ヘリの部品が落下した緑ヶ丘保育園の父母でつくる「チーム緑ヶ丘1207」の母親たちも、誘い合って来ていた。公演終了後、村本がタクシーに乗り込む前に、チームの母親2人が彼に駆け寄り短い会話を交わしていた。

 観客にそうさせる力のある村本大輔である。

 また、いつものように、重度の身体障がいを持つ80歳の木村浩子さんも駆け付けていた。開演前、「またお会いしましたね。これで3回目。お互い皆勤賞だね」とわたしたちは笑い合った。浩子さんは公演中、やはりいつものようにケタケタと声を上げ、電動車いすの上で身をよじっていた。

 こんなふうに、質のよい観客に恵まれつつ広がり深まっていく、彼の今後の活動が、その展開が、楽しみで仕方がない。

 しかしなぁ、わたしなんぞがこんなこと書いていると気づいた次の瞬間、照れ屋で負けず嫌いの彼は、もうその評価=レッテル張りからスルリと抜け出す努力を始めるのだろうな。

 (文中一部敬称略)

 

 

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プロフィール

渡瀬夏彦
ノンフィクションライター。1959年埼玉県生まれ。高校3年のときに「与那国島サトウキビ刈り援農隊」に参加して以来、約28年間沖縄通いを続け、2006年から沖縄県民となる。『銀の夢 オグリキャップに賭けた人々』で講談社ノンフィクション賞とJRA馬事文化賞を受賞。他の著書に『修羅の華 辰吉丈一郎がゆく』(講談社)、共著書に『誰が日本を支配するのか!? 沖縄と国家統合』(マガジンハウス)など。基地問題からスポーツ(琉球ゴールデンキングス、琉球コラソン、FC琉球、高校野球、ボクシング等)、書評まで、幅広いジャンルで雑誌、新聞等にドキュメントやコラムを執筆。関心は、脱基地、脱原発から、沖縄文化、自然、芸術・芸能・音楽、スポーツまで多岐にわたり、Facebook やTwitterでも情報発信。現在、沖縄を舞台にした複数のノンフィクション作品を構想、執筆中。「沖縄戦・精神保健研究会」会員。

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